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第23話 それだけで、十分だった

「……救われてたから、です」


 悠真は、少しだけ俯いたまま言った。


 盤上パンタは何も挟まなかった。

 ノワールも、ブランも黙っている。


「父さんと、全然うまくいかなかった時」

 悠真はペットボトルを両手で握る。

「家に帰るのしんどい日とか、普通にありました」

 少し笑おうとして、失敗する。

「今思えば、わりとずっとそうだったかもしれないです」

 風が少し吹いた。

 休憩所の向こうを、誰かが通り過ぎていく。


「それに」

 悠真は続ける。

「自分の趣味のことも、セクシャリティのことも、誰とも共有できなかった」

 盤上パンタの目が、少しだけ真剣になる。

「ケモノが好きとか、ロボットが好きとか、変身が好きとか、そのへんだけならまだ笑って言えるんですけど」

「うん」

「でも、そこから先は、ずっと言えなかったです」


 ブランが悠真の腕へ、そっと頬を寄せる。

 ノワールは何も言わないまま、少しだけ近くに立ち位置を寄せた。


「盤上パンタさんの配信見てると」

 悠真は言った。

「たまに、あ、今の話、わかる人だって思う瞬間があって」

 少しだけ顔を上げる。

「全部を言わないのに、でも、完全には隠してない感じが」

 盤上パンタは静かに聞いていた。

「それで」

 悠真は小さく息を吐く。

「自分一人じゃないかもしれないって、思えたんです」


 言ってしまうと、あまりにもまっすぐで、少し恥ずかしかった。

 それでも、誤魔化すほうが違う気がした。


「だから」

 悠真は続ける。

「圭介にも話せた」

「……」

「最初にちゃんと、俺こうなんだって言えたの、たぶん、そのあとです」

 ブランがそっと言う。

「すごい」

「すごいのは、お兄ちゃんです」

 ノワールが静かに続けた。

 その声音は穏やかだが、目はずっと盤上パンタから逸れていない。

「たぶん、一人だったら無理でした」

 悠真が答える。


 そこでようやく、盤上パンタが息を吐いた。

 ひどく静かな吐き方だった。


「そっか」

 その二文字は、さっきよりずっと深かった。

「……それは、嬉しいな」

 悠真は、少しだけ目を見開く。

「嬉しい、ですか」

「うん」

 盤上パンタは頷いた。

「そういうふうに見てもらえてたなら、やってた意味ある」


 その返しが、まただめだった。

 悠真は目を逸らせなかった。


 しばらく、誰も喋らなかった。


 でも、その沈黙は苦しくなかった。

 さっきまでのパンクしそうな感じとは違う。

 言葉にしてしまったぶんだけ、胸の中の何かが少し整っていた。


 そして悠真は、その整った隙間に、ずっと引っかかっていたものが残っていることに気づく。


 これだけは、聞いておきたかった。


「……俺も」

 小さく言う。

 盤上パンタが顔を上げる。

「うん」

「ひとつ、聞いていいですか」

「いいよ」


 悠真は少しだけ迷った。

 でも、ここで飲み込んだら、たぶんずっと後悔する。


「盤上パンタさんって」

 言葉を選ぶ。

 選んで、それでもまっすぐ行くしかなかった。

「……そっち側なんですか」


 ブランがぴたりと止まる。

 ノワールの視線が、静かに盤上パンタへ向いた。


 悠真は、もう逃げなかった。


「趣味のことも」

 少しずつ言う。

「その、好きになる相手のことも」

 喉が少しだけ乾く。

「俺と、近いんですか」


 盤上パンタは、すぐには答えなかった。


 ごまかされるかもしれない、と思った。

 そりゃそうだ、とも思う。

 こんなの、現実で会ったばかりの相手に、しかも街の休憩所で、簡単に返せる質問じゃない。


 でも。


 盤上パンタは、悠真を見たまま、ゆっくり頷いた。


「近いよ」

 その声は低かった。

「かなり」

 言い切ってから、ようやく目を伏せる。


 悠真の指先が、ペットボトルの表面を少し強く握る。


「……やっぱり」

 こぼれた声は、ほとんど独り言だった。


 盤上パンタは、少しだけ苦く笑った。

「コメントでばれてる気もしてた」

「全部じゃないです」

 悠真は反射で言う。

「でも、たまに」

「たまに?」

「わかる時が、ある」

 それを聞いて、盤上パンタは少しだけ目を細めた。


「そっか」

 また、その言い方をする。

「じゃあ、たぶん俺たち」

 一拍置く。

「思ってたより、ちゃんと近かったんだね」

 その声には、見つけた側の熱が少し混ざっていた。


 ブランは目を瞬かせてから、静かに言った。

「お兄ちゃん、うれしそう」

「今それ言う?」

 悠真が返すと、白銀は少しだけ首を傾げる。

「だって、そう見える」

 その率直さが、今日は少しありがたい。


 ノワールはそこでようやく口を開いた。

「兄さん」

「なに」

「今の話は、急がないでください」

 悠真が少しだけ目を上げる。

「……わかってる」

 ノワールは返事をしなかった。

 目だけが、まだ盤上パンタを見ていた。


 夕方が近づいていた。


 休憩所の屋根へ差し込む光が少しずつ斜めになる。昼と夜のあいだみたいな時間で、四人の空気もまだそんなふうに曖昧だった。


 最初の衝撃はもう過ぎている。

 でも、完全に打ち解けたわけでもない。盤上パンタは距離を守っていて、ノワールは警戒を残しつつ、ブランはかなり嬉しそうで、悠真だけがその真ん中でまだ呼吸の仕方を決められずにいた。


 さっきまでよりは話せていた。


 白夜の端っことして。

 盤上パンタと。


 おかしな状況だとわかっていても、

 この時間が嬉しいことだけは否定できなかった。


 盤上パンタは、ペットボトルの蓋を指先で遊ばせながら、何気ない調子で言った。


「白夜の端っこってさ」

「……はい」

「さっき、“父さんと全然うまくいかなかった時”って言ってたよね」


 悠真の肩が、わずかに揺れた。


 そこを拾うのか、と一瞬思う。

 思ったけれど、意外ではなかった。

 だからこそ、少し怖い。


「……言いました」

 悠真は小さく答えた。


 盤上パンタは、すぐには続けなかった。

 言葉を選んでいる、というより。

 自分の中にあるものを、そのまま出していいか、一瞬だけ考えているように見えた。


 ノワールもそれを感じたのだろう。

 黒金のアヌビスが、静かに視線を上げる。

 ブランも、きらきらしたままではあるが、少しだけ首をかしげた。


 そして。


 盤上パンタは、ふと、ひどく素直な調子で言った。


「ああ、俺の親父も君たちみたいなケモロボだったらよかったのにな」


 風が、ひとつ吹いた。


 それだけだった。

 それだけなのに、休憩所の空気は、一瞬で変わった。


 誰にも、すぐには肯定できない。


 ノワールは、ぴたりと止まった。

 ブランも、すぐには意味を飲み込めなかったらしく、ただぱち、と目を瞬かせる。


 たぶん普通なら、冗談だと思う。

 少し危ない嗜好を軽く言ってみせたものだと。


 でも悠真には、冗談ではないとわかった。

 白と黒に浮かれた勢いでもない。父親が遠くて、いっそ自分の好きな形へ変わってしまえばいいと、一度は願ってしまった人間の声だった。


 頷けないのに、切り捨てることもできない。

 そのことが、いちばん痛かった。


「……盤上パンタさん」


 ようやく出た声は、思ったよりかすれていた。


 盤上パンタは、そこでようやく自分の言葉がどこへ届いたのかを見たようだった。

 休憩所の空気だけが、薄く張ったまま動かなかった。

 ごめん、と言いかける気配はあった。

 でも、取り消さなかった。

 取り消せば嘘になるのを、自分でもわかっている人間の黙り方だった。


 取り消せないのだろう。


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何でこうも的確に悠真を刺してくるんだこの配信者は
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