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第17話 しおりととなり

 次にブランが興味を示したのは、手作り体験の教室だった。


 模擬店や展示の並ぶ中で、その教室だけは少し空気が違う。

 廊下にまで紙とインクの匂いが流れていて、

 入口には「オリジナルしおり作れます」「缶バッジ体験」と手書きのポスターが立てかけられていた。

 文化祭らしい雑多さの中に、少し丁寧な場所だった。


「これ」

 ブランが立ち止まる。

「やる」

「急だな」

 悠真が言うと、

 白銀は真顔で頷いた。

「でも、やる」

「理屈がない」

「ある」

「何」

「つくる」

 それは理屈というより願望だった。


 圭介がポスターを覗き込む。

「お、しおり作れんのか」

「缶バッジもありますね」

 九条が読む。

「時間的には問題ありません」

 その言い方が、いかにも九条だった。

 牧瀬は少し肩をすくめる。

「こういうの好きそうだもんな、白いの」

「すき」

 ブランは即答した。

 好きなものへの反応だけは、ほんとうに速い。

 迷いがない。好きなものの前では、白銀は残酷なくらい正直だ。


「晃一」

 牧瀬が横へ視線を流す。

「お前も付き合ってやれ」

 ノワールは、一瞬だけその呼び方に目を伏せる。

「……はい」

 短く返して、すぐにブランの隣へ立つ。

 自分からではない。

 けれど、立つこと自体に迷いはなかった。


 教室の中は、外よりずっと静かだった。


 長机がいくつか並べられ、

 学生スタッフが紙やフィルムやパーツを手際よく配っている。

 好きな色紙を選んで、

 文字やイラストを載せて、

 ラミネートして、

 穴を開けて紐を通せば、簡単なしおりになるらしい。


「しおり」

 ブランがその単語を繰り返す。

「本にはさむやつ」

 悠真が言う。

「しってる」

「ほんとに?」

「たぶん」

「たぶんなんだよな」

 圭介が笑う。


 学生スタッフが六人分の材料を配る。

 ブランはすぐに黒と白の紙を取った。

 迷いがない。

 ノワールはその手元を見て、

「自分の色を選ばないのですか」

 と訊く。

「ん?」

「白なら、白だけでいいのでは」

「やだ」

 ブランはすぐ言った。

「なんで」

「ノワールもいるから」

 それだけだった。

 だが、それだけで十分すぎた。


 ノワールは少し黙る。

 白銀はもう次の工程へ進んでいる。

 黒い紙を半分。

 白い紙を半分。

 器用ではないが、迷いはない。

 最初から一緒にするつもりで選んでいる。


 悠真たちは同じ机についたが、微散った。


 九条は、説明どおりにきれいな手つきで作業を進める。

 線がまっすぐで、迷いもない。

 圭介はその横で、なぜか無駄に緊張していた。

「近い」

 小さく言う。

「何がですか」

「いや、距離が」

「作業机ですから」

「そうなんだけど」

 それは間違いなく机のせいだけではない。


 ノワールは、その二人をちらりと見る。

 圭介は、やはり混ざっている。

 さっきからずっとそうだ。

 気にしている。

 近づきたい。

 でも踏み込みきれない。

 緊張している。

 でも離れるつもりもない。

 その不格好さを、九条はたぶん半分くらいわかっていて、半分くらい見逃している。


「三崎」

 九条が言う。

「はい」

「そこ、ずれています」

「うわ」

「貸してください」

 九条は圭介の紙を受け取り、定規を当てて一度で整えた。

「はい」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」

 会話だけならなんでもない。

 でも圭介の声だけ、一段低かった。


「やっぱ変だな」

 牧瀬がぼそっと言う。

「だから雑なまとめ方やめてください」

 圭介が即座に返す。

 教室の静かな空気の中で、その小競り合いだけが少し浮いた。

 でも、それで少し場が和らぐ。


 ノワールの手は、途中で止まった。


 何を作るか、決めきれなかったのだ。

 文字を書くのか。

 絵を描くのか。

 何も載せないのか。

 作る意味を考え始めると、手が進まない。


「ノワール」

 ブランが小さく呼ぶ。

「何ですか」

「とまってる」

「ええ」

「なんで」

「決めていません」

「なにを」

「何を作るか」

「しおり」

「そういう意味ではなく」

「じゃあ、ふたり」

 白銀は自分の紙を見せる。

 黒と白が半分ずつになったしおりだった。

 まだ何も描いていない。

 でも、その時点でもう、ブランの答えとしては十分だったらしい。


「ふたり?」

「うん」

「……二人で一つ、ということですか」

「だめ?」

 その問いに、ノワールは即答できなかった。


 だめではない。

 むしろ、嬉しい。

 でも、その嬉しさがどこから来るのかを考え始めると、また手が止まる。

 片割れだから。

 設計されているから。

 そういう理屈が、すぐに頭を出す。


「だめじゃない」

 ノワールは、かなりゆっくり言った。

「なら、いい」

 ブランはそれで満足した。

 そして当然みたいに続ける。

「ノワール、かいて」

「何を」

「すきなの」

 また、その言葉だった。

 逃げ道みたいな曖昧さが一切ない。


「好きなものを書けばいいんですか」

「うん」

「……そういうものなのですか」

「そういうものじゃないなら、なんでつくるの?」

 ブランは本気で不思議そうだった。

 理屈ではない。

 でも、理屈より深いところへ当たり前みたいに触ってくる。


 ノワールは、しばらく紙を見ていた。


 好きなもの。

 それを、いま自分が持っていていいのか。

 書いていいのか。

 そもそも“自分の好き”と呼んでいいのか。

 考え始めると、まだ曖昧なままだ。


 その隣で、ブランはもう迷わず線を引いていた。

 黒と白を半分ずつに分けた上へ、

 雑ではあるが、きちんと二本の尻尾みたいな線を描いている。

「それ」

 ノワールが言う。

「しっぽ」

「見ればわかります」

「じゃあ、なんで」

「何故それを書いたのですか」

 ブランは少し首を傾げる。

「あるから」

「……あるから」

「うん」

 白銀は頷く。

「ぼくにあるし」

 そこまで言って、

 今度はノワールを見る。

「ノワールにもある」

 その答えは単純すぎた。

 でも、嫌になるほどまっすぐだった。


 自分にあるもの。

 今、自分にあるもの。

 それをそのまま書くだけでいい。

 そう言われている気がした。


 ノワールは、ようやく黒い紙のほうへ一本線を引いた。

 長くはない。

 控えめな線だった。

 でも、たしかに自分で引いた。


 机の向こうで、圭介が九条へ訊いていた。


「九条先輩って」

「はい」

「こういうの、昔から上手かったんですか」

「こういうの、とは」

「なんか、全部です」

 雑すぎる質問だった。

 九条は少し考える。

「上手くやらないと落ち着かなかっただけです」

 その答えに、圭介が少し黙る。

「……そういうのも、あるんだ」

「あります」

「へえ」

「あなたは?」

「俺は逆」

 圭介は笑う。

「雑でも平気なほう」

「そうですね」

「即答だな」

「事実です」

 九条は本気でそう思っている顔だった。

 でも、それで終わらない。

 少し間を置いて、続ける。

「ですが、あなたは雑でも放りません」

 圭介の手が止まる。

 九条は自分のしおりへ視線を落としたまま言う。

「だから、そこは信用できます」

 静かだった。

 あまりに静かで、

 ノワールはその一言をはっきり拾ってしまう。


 圭介はしばらく何も言えなかった。

 それから、小さく笑う。

「……それ、ずるいっすよ」

「何がですか」

「何でもないです」

 でも、その顔はさっきまでのそわそわとは少し違った。

 混ざっている。

 けれど、いま受け取った言葉の嬉しさは、ごまかしようがない。


 ノワールはその横顔を見ていた。

 感情は混ざっている。

 でも、混ざっていることと、嘘であることは、同じではない。

 そのことを、目の前で見せつけられている気がした。


「できた」

 ブランが先に言った。


 白と黒が半分ずつのしおり。

 そこへ、雑な二本の尾と、丸っこい字で

 「いる」

 とだけ書いてある。


「何ですか、それは」

 ノワールが訊く。

「いる」

「見ればわかります」

「じゃあ、いい」

 白銀は得意げだった。


「意味は」

 ノワールがさらに訊くと、

 ブランは少し考えて、

「いるから」

 と答える。

「なにが」

「ノワール」

 そして、少し紙を上げる。

「ぼくのとなりに」

 その言葉に、ノワールは一瞬だけ呼吸を忘れた。


 理屈ではない。

 でも、その一言は強かった。

 好きとか、由来とか、そういう問いの前に、

 まず「いる」と置かれる。

 片割れとして。

 自分として。

 今ここに。


「……そうですか」

 やっとそれだけ返す。

「うん」

 ブランは満足そうだった。

「ノワールは?」

 問われて、ノワールは自分のしおりを見る。


 黒い紙の上へ、細い線が一本。

 それから、少し迷って、短い言葉を書き足していた。


 「となり」


 自分でも、いつ書いたのかわからないくらい自然だった。

 見返すと、その言葉は手に馴染んだ。


「それ」

 ブランがすぐに覗き込む。

「となり」

「ええ」

「いい」

 白銀はすぐ笑う。

「おそろい」

「どこが」

「いると、となり」

 その理屈はやはり雑だった。

 だが、不思議と間違っていない気もした。


 ラミネートされたしおりを受け取って教室を出る頃には、

 外の音がまた少し近くなっていた。


 ブランは、出来上がった二枚を大事そうに持っている。

 自分の分と、ノワールの分。

 当然みたいに両方持っているのが、いかにもブランだった。


「渡しません」

 ノワールが言う。

「え」

「それは私の分でしょう」

「そう」

「なら、持ちます」

「なくさない?」

「なくしません」

「ほんと?」

「ほんとです」

 そこでようやく、白銀はしおりを一枚渡す。

 受け取る瞬間だけ、指先が軽く触れた。


 ノワールは、そのしおりを見下ろす。

 となり。

 それは、まだ答えではない。

 でも、たぶん手がかりではある。


 自分の感情がどこから来たのか、

 まだはっきりはわからない。

 設計かもしれない。

 刷り込みかもしれない。

 兄の欲望の残響かもしれない。

 疑いは、まだ消えない。


 けれど、ブランが自分を「いる」と書いて、

 自分がそれに対して「となり」と書いたこと。

 それは少なくとも、今の自分が選んだ手つきだった。


 教室を出たところで、牧瀬がしおりを覗き込む。


「何作ってんだ」

「しおり」

 ブランがすぐ答える。

「見ればわかる」

「なら訊くな」

 牧瀬はそう言って、

 ノワールの手元へちらりと視線を落とした。


「となり、ね」

 低く言う。

「……何か」

 ノワールが構える。

 牧瀬は少し黙ってから、肩をすくめた。

「別に」

 それ以上は言わない。

 言わないが、その目だけは少し複雑だった。

 晃一として見ている。

 でも、晃一ではない“今のこいつ”がそこへ書いた文字も、もう目に入ってしまっている。

 その矛盾を、たぶん牧瀬自身もうまく処理できていない。


「次、どうする?」

 悠真が訊く。


 ブランはすぐに答えた。

「うた」

 迷いがない。

「まだやるかわかんないだろ」

 圭介が言う。

「でも、うた」

 白銀はそのまま、期待を先取りするみたいに小さく続けた。

「はみだし、はみだし」

「だいせいかい」

「まだ始まってもないぞ」

 圭介が笑う。

「でも、たぶん、うた」

「たぶんな」

 悠真が少し笑う。

「そろそろ中庭のステージのほう、何か始まると思う」

「いく」

 白銀は即答した。

 ノワールはその横でしおりをポケットへしまいながら、ほんの少しだけ目を伏せた。サビの断片だけでも、もうすぐ胸の奥へ触れてくると知っている顔だった。


 ノワールは、その横でしおりをポケットへしまう。

 となり。

 その言葉の重さが、まだ胸のどこかに残っている。


 圭介の気持ちは、混ざっていた。

 それでも本物だった。

 ブランの気持ちは、まっすぐだった。

 それも本物だった。


 ポケットへしまう前に、ノワールは一度だけしおりの端を撫でた。先に指が触れて、それから意味が追いつく。


 では、自分は。


 まだ言い切れない。

 でも少なくとも、

 好きじゃないなら、そんな顔をしない。

 好きじゃないなら、呼びたくならない。

 好きじゃないなら、となり、なんて書かない。


 そこまで考えたところで、

 中庭のほうから、聞き覚えのある軽いギターの音が流れてきた。


 ノワールは顔を上げる。

 その一拍が、次の答えへつながっていく気がした。


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牧瀬は晃一に好意を抱いてるのは分かるし、当の2人であるノワールとブラン自身もその晃一から生まれたのを理解し自覚してる上でそう呼ばれるのは分かってるだろうけど、理性的なノワールを自身が好意を抱いてる悠真…
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