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第15話 文化祭、行く?

 文化祭の話題を最初に出したのは、圭介だった。


「で、今年の文化祭どうする?」


 夕食のあと、食器を片づけながらの軽い一言だったのに、ブランが真っ先に反応した。


「ぶんかさい」

 白銀の耳がぴんと立つ。

「なに?」


「大学の祭りみたいなもん」

 圭介が説明する。

「屋台もあるし、展示もあるし、ステージもある。人も多い」


「いきたい」

 即答だった。

 ノワールは一拍だけ遅れて視線を上げる。

「人が多いなら、先に注意点を確認するべきです」

「お前も行く気あるだろ」

 圭介が言うと、ノワールは少しだけ沈黙した。

「……兄さんが行くなら」


 悠真は、そこでわざとらしく肩をすくめた。

「別に、無理して行くほどでも」


 だが、その言い方が本心でないことは、もう共同体の全員にばれていた。

 自分の大学へ、ノワールとブランを連れていきたい。

 その危うい誇らしさを、悠真はまだうまく隠せない。

 大学という、自分の側の世界へ連れていく。そう思った瞬間、胸の奥で何かが少し持ち上がった。


「へえ」

 圭介が露骨に言う。

「じゃあやめる?」

「やめるとは言ってない」

「言ってないな」


 九条がそこで口を開いた。

「顔くらいは出してもいいですが」

 あまり気乗りしない響きだった。

「たぶん、少し騒がれます」


「何でですか」

 ノワールが訊く。

 圭介が小さく笑う。

「この人、大学の中だとちょっと有名なんだよ」

「ちょっとではありません」

 牧瀬が言う。

「元ミスコンだ」


 ブランが素直に目を丸くした。

「みすこん」

「そういう肩書きで呼ばないでください」

 九条はすぐに嫌そうな顔をした。

「面倒です」


 圭介は、その横顔を見ただけで少し黙る。

 大学の中でも、この人はちゃんと九条紗英なのだとわかってしまう。その実感だけで、恋心がまた一段現実味を持つ。


 準備の話になると、九条は現実的だった。


 服装。

 待ち合わせ。

 混雑の中で固まらないこと。

 写真を向けられる可能性。

 知らない人に話しかけられても、すぐ答えないこと。

 人が多ければ、途中で引き返すこと。


 見られることに慣れている側の線引きが、ひとつずつ置かれていく。


「私は多少目立つかもしれません」

 九条が言う。

「だから、あなたたちも見られる可能性があります」


 ブランは少し考えたあと、ノワールを見る。

「みられる」

「そうです」

「いや?」

 白銀の問いは短い。

 ノワールは、答える前に悠真を見た。

「……兄さんが困るのは、嫌です」

 それが先に出た。

 悠真は一瞬だけ言葉を失う。


「お前らが嫌なら、やめる」

 と、ようやく言う。

「別に、無理して行く必要ないし」


「行く」

 ブランがすぐ答えた。

 それから今度は、ちゃんと悠真を見る。

「お兄ちゃん、いきたい」


 ノワールも、白銀の横で小さく頷いた。

「兄さんが同行するなら、私は構いません」

 その言い方は慎重だった。

 怖くないわけではない。

 でも、行かないと決める理由にもしたくない。そういう顔だった。


「僕たちも普通に行って、普通に帰るだけですよね」

 圭介が言う。

「それが一番難しいんです」

 九条が返す。

「この家の“普通”は、外では普通に見えません」


 その一言で、テーブルの空気が少し変わった。

 ブランは意味を半分もわかっていない顔をしている。

 けれどノワールは、わかってしまっていた。

 悠真も、同じだった。


     *


 翌日から、文化祭へ行くための準備が始まった。


 九条はメモを作った。

 圭介は大学の導線と混雑しやすい場所を書き足した。

 牧瀬は「本当に行くのか」と三回くらい言って、結局いちばん最初に連絡体制を整えた。


 ブランはその横で、何が起きているのかを正確には理解しないまま、やけに機嫌がよかった。

「ぶんかさい」

 と言っては、紙の端を指で叩く。

「やたい」

「まだ行ってねえだろ」

 圭介が言う。

「でも、ある」

「まあ、あるけど」

 それからまた、紙の上を指先でとんとん叩いて、

「はみだし、はみだし」

「だいせいかい」

 と機嫌よく歌う。

 ノワールの視線が、表の空白からそちらへ一瞬だけ滑った。

「お前、それ好きだな」

 悠真が笑う。

「すき」

 ブランはいつも通り即答した。


 ノワールは、表の空白をじっと見ていた。

「もし途中で人が増えすぎたら」

「撤退です」

 九条が即答する。

「あなたが無理だと判断した場合も同じです」

 ノワールは少し考えてから頷いた。

「わかりました」


 悠真は、その二人のやり取りを聞きながら、心の底で別のことを考えていた。

 見せたい、と思っている。

 自分の大学を。

 自分が通っている場所を。

 圭介が普通に歩いていて、九条が九条紗英として存在している世界を、二人にも見せたい。

 それはたぶん、誇らしさだ。

 でもその誇らしさには、かなり危ういものも混じっている。

 自分の大事なものを、自分の世界へ連れ込むことへの欲望に近い。


 そのことに、悠真自身がいちばん言葉を持てていなかった。


 夜が深くなる頃には、話し合いはもう終わっていた。


 責任が全部片づいたわけではない。

 所在がきれいに決まったわけでもない。

 でも、少なくとも、

 誰も“他人事”の顔ではいられなくなった。

 それだけははっきりしていた。


 ブランはパンダを抱えたまま眠そうにしている。

 ノワールはまだ起きていた。メモに目を落としているが、視線はときどき悠真のほうへ戻る。

 悠真もまた、もう眠る顔ではなかった。


 文化祭は、ただ楽しいだけでは終わらない。

 それでも、行きたい気持ちのほうが勝っていた。


 九条が最後にメモを閉じる。

「もう一つだけ」


 全員がそちらを向く。


「私だけではなく」

 九条は淡々と言った。

「あなたたちもです」


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