2話 お家
アグニの住処は、思っていたより綺麗だった。先程いた場所は街のはずれだったようで耳をすませば話し声が聞こえていたが、彼が住んでいるのはそこから遠く離れた丘の上だった。彼はロマンチストだったのかもしれない。
「ここが俺の家だ。文句があるなら早く言えよ。すぐフロンティアまで帰してやるからよ」
「……フロンティア?」
「……お前、マジかよ……?」
記憶にない単語だったから聞き返しただけなのにものすごく驚いているようだ。そんな一般常識すら知らなかったような反応をされても困る。
「フロンティアっつーのは魔物がうじゃうじゃ湧いてくる危険地帯で、お前もそこで見つけたんだよ。多少の知識はあるみたいだが……こんな一般常識も知らないとなると大分偏りがあるみたいだな」
どうやら一般常識だったようだ。それなら驚かれるのも無理はないか。
「……そんなことはいいから早く入れよ。これから面倒を見てくれるって奴をドアの前でずっと立たせるつもりか??」
そんなつもりはないので素早く家の中に入った。
内装もかなりちゃんとしていて心なしか外見よりも中が広く見えるほどに開放感のある間取りだ。水回りや台所も確認してみたが全く問題はなく理想的な良い家だと言えるだろう。
「あー……必要なもの、必要なものは……まずは服か」
そう言うと彼はクローゼットからいくつかのシャツやズボンを私の前に並べた。その中から好きにとって良いようだったので、動きやすそうなものを選んでみたがサイズが合わない。何回も裾を折り曲げることで少しは見た目が整ったがまだまだ不格好だ。生地が肌に触れる感覚が妙に新鮮な感じがして何だかくすぐったかった。
「飯はいいとして……他に何か必要なものがあるなら今言え」
他に欲しいもの……ある。今、最も欲しいものがある。
「名前が欲しい」
「……は?名前?」
「いつまでもお前呼びされるのは嫌だ」
そう言うと彼は顔を歪めてとてもめんどくさそうな顔をした。でも答えが返ってくるのは案外早く、たったの十数秒ほどだった。
「……アルナでどうだ?良い感じじゃねぇか?」
「……いいじゃん」
この男、ネーミングセンスが中々良いではないか。私の中での評価を少し上げておいてやろう。
「さて、飯作るか。お前は好きなもんとかあんのか?」
「…………」
これも分からない。知識と思考する能力があるだけで自分のことが何も分かっていないのだから当然とも言える。そもそも自分に味覚や消化器官はあるのだろうか?だがこんなことを考えても仕方がない。試してみるのが一番だろう。
「それも分からねぇってことか。じゃ、適当に作るから座って待ってろ」
言われた通り、椅子に腰をかけた。……座り心地が良い。ネーミングといい家具といい、彼は中々にセンスがいいのかもしれない。アグニが引き取ってくれたのは実は当たりだったのかも。
そうしてたったの数分で彼の株が上昇したところで料理が出てくる。玉ねぎをドロドロに煮詰めたものと何かしらの汁を混ぜたものの上に焼かれたパンが乗っている。要はオニオングラタンスープだ。たったの数分でできるものではないと思うが、そんなことを気にする必要はない。なぜならとても美味しそうだから!! 見た目が良ければ味が悪いことなんてそうないだろうと思いつつ口に運ぶと……とても美味しい。本当に美味しい。自身に味覚があったことよりも料理が美味しいことが一番の驚きだ。アグニは料理もできる男だったか。これは流石に敬意を表さざるを得ないか……。
「……そんながっつかなくてもいいだろ。それはそれとして、見た感じ口内は人間と一緒みたいだな。味覚もあるみたいだし多分人体と構造は一緒っぽいな」
アグニが頬杖をつきながら私に語りかけてくる。ジロジロと食べているところを見られているのは分かっていたが口内を観察されていたとは……ちょっと嫌だな。まぁまだ信用されるようなこともしていないし観察対象として扱われるのは至極当然だ。……でもそれはそれとしてちょっと嫌だな。
「そうだ、お前自分が実験動物みたいなもんだからって働く必要がないなんて思ってないだろうな?」
……え? ……いや、まぁそりゃタダでずっと面倒見るなんて御免だろうけど……だからって人間に危害を及ぼす可能性があるやつに言うセリフではなくないか? 何? もう忘れちゃった感じ? 私人間じゃない可能性が高いんですよ?? 危機感なさすぎじゃないか??
「……何だよ。そんな顔したって無駄だからな。お前には明日から稼いでもらうぞ」
「幸い、イノベーターは身分証明の必要がない。魔物だろうが何だろうがやれることやっときゃ金が稼げる。多少のノウハウは俺が教えてやるから頑張れよ」
マジかこいつ。本気で働かせるつもりだ。家事でもなんでもやらせときゃ良いだろうに何で普通に職持たせて働かせようとするんだ。もしかして金を稼いでくれそうだから引き取ったのか? それとも今考えたのか? 名案思いついちゃったみたいな顔してニヤニヤしてるから後者か? いずれにせよめんどくさいことになったな……。……それはそれとして気になることが一つある。
「イノベーターって何だ?」
「あぁー……そっちも知らねぇのか……」
アグニが顔を右手で覆う。反応からしてこちらも一般常識レベルだったのだろう。
「イノベーターはフロンティア内の魔物を狩ったり、内部の鉱石やお宝を掘り出してくる職業だ。運が良けりゃ平凡で退屈な人生にたったの1日で革命を起こすことができる。夢だけ詰まった職業のことだ。ちなみにこれも一般常識な」
一般常識が当たってたのは置いといて、確かに聞いたところ夢のある職業ではあるようだ。でも夢があるということは現実的で堅実な職業ではないということ。まともな収入が一切ないまま数ヶ月が経つなんてこともあり得るだろう。そう考えると自身がイノベーターであると言っていたアグニはこんなに上等な家に住むことができるほど優秀な部類なのかもしれない。
「お前……アルナに拒否権はねぇ。明日にはギルドに登録しに行くからな」
「そんじゃ、俺はもう寝るから明日は早めに起きろよ」
そう言ってアグニは階段を駆け上がっていった。……大分面倒なことにはなったが正直ワクワクしている自分がいる。新生活の始まりのこの高揚感はいつまで保つのだろうか。




