↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
51/60

第51話 依り代

 それは、そこにあったそうです。


 巨大な塊。


 土器に似た色。褐色。焼いた土の、あのくすんだ色。でも土器みたいに乾いてはいない。表面は少し湿っていて、脈打つたびにうっすら光を返す。筋が走っている。血管みたいな、根みたいな、見てるだけで気分の悪くなる線が全体に這っている。


 高さは、人の背丈の三倍はあったとか。


 ただそこに置いてあるんじゃない。

 生きている。


 とくん。

 とくん。

 とくん。


 全体が、心の臓みたいに収縮していたそうです。縮んで、戻る。戻って、また縮む。そのたびに、壁の蔦も、床の水溜まりも、空洞そのものがかすかに震える。


 過去の儀で影が回収してきた神器。


 それが全部、ここへ集められていた。


 禍神の肉、とでも言えばいいんでしょうか。


 あたしは後で聞いても、信じたくありませんでしたよ。見てなきゃ。喜兵衛は飯屋の主人であって、神様の内臓の形なんか知りたくもないんです。


 でも、見た者がみんな同じように言うんです。


 「生きていた」って。


 そう言うしかないんでしょうね。あんなものは。


---


 その巨大な塊の前に、泉水さんが立っていたそうです。


 振り返って、二人を見る。


 顔は、まだ泉水さんの顔でした。穏やかな目。きれいに整った口元。薄暗い地下の中でも、その顔だけはやけに静かで、まるでいつものように薬草の説明でも始めそうな顔をしていたとか。


「神器ですよ」


 そう言ったそうです。


「影は回収した神器を、ここに集めていたんです」


 白夜さんが、顔をしかめた。


「……知ってたのかよ」


「調べましたから」


 やさしい声。


「禍月が神の骨格なら、これは神の肉です」


 一拍。


「すべての禍月が集まった今、これに触れた者が依り代になる」


 睦月さんが、短刀を構えたそうです。


「やめてください」


 泉水さんは、ほんの少しだけ笑った。


「見ていてください、睦月さん」


 白夜さんが駆けた。


「やめろ!」


 声が響いた。空洞の壁にぶつかって、少し遅れて返る。


 でも、間に合わなかった。


 泉水さんの手が、塊に触れた。


---


 最初は、何も起きなかったそうです。


 本当に、一拍。


 地下の空気が止まる。

 脈動だけが響く。


 それから、塊が大きく打った。


 とくん——


 今までよりずっと大きく。


 床が揺れる。壁が鳴る。天井から小石が落ちる。蔦が一斉に震えた。


 次の瞬間、塊の表面から黒いものが染み出したそうです。


 液体に見えたかもしれません。

 影にも見えたかもしれません。

 どっちでもよかったでしょうね。見た目の話なんか。


 大事なのは、それが泉水さんの手を伝って、腕を這い上がっていったことです。


 肘へ。

 肩へ。

 首へ。


 黒い筋が、皮膚の下へ潜るみたいに広がっていく。蔦ではない。血でもない。もっと別のもの。体の内側へ染み込むように、泉水さんを呑んでいく。


 睦月さんが、一歩踏み出した。

 白夜さんも、もう一歩。


 そこで、影が噴き出したそうです。


 壁から。

 天井から。

 水溜まりから。

 足元の影から。


 黒い手が幾重にも重なって、一気に二人の前へ壁を作った。叩いても斬っても、掻き分けた先からまた湧く。影そのものが、行く手を塞いでいた。


 白夜さんの拳が叩きつけられる。

 影が波打つ。

 でも裂けない。


 睦月さんの短刀が、火を薄く纏って影へ入る。

 黒い表面がじゅっと揺れる。

 でも、飲まれるように消える。


「くそっ……!」


 白夜さんが歯噛みしたそうです。


 その向こうで、巨大な塊が縮み始めた。


 吸われていたんです。


 泉水さんの中へ。


 あれだけ大きかった塊が、みるみる小さくなっていく。脈動のたびに、肉が削ぎ落ちるように。いや、削ぎ落ちるんじゃない。移っている。塊の脈が、そのまま泉水さんの体へ流れ込んでいる。


 とくん。

 とくん。

 とくん。


 最後には、巨大だったはずの“肉”が、ただの影みたいに痩せて、そして消えたそうです。


 空洞に残ったのは、一人の人間だけだった。


---


 泉水さんが、そこに立っていたそうです。


 顔は同じ。


 穏やかな目。

 整った鼻筋。

 やわらかい口元。


 でも、違う。


 目が赤かった。


 検知のときの赤。あの、血を滲ませたみたいな色。両目とも。しかも今度は、一瞬じゃない。消えない。瞳そのものがもう、その色で定着していたとか。


 白夜さんが、低く言ったそうです。


「……不死かよ」


 さっきの肉塊の脈が、まだ空洞全体に残響みたいに残っている。壁の蔦も、水も、床のぬかるみも、全部がどこか同じ拍を持っていた。


 泉水さんは、自分の手を見た。


 指を開く。

 閉じる。


 その仕草が、妙に静かだったそうです。新しい体を確かめる人間の仕草じゃない。前からそこにあったものを、ようやく思い出したみたいな。


「……ああ」


 声も、変わらない。


 それがいちばん気味が悪かったかもしれませんね。


「なるほど」


 一拍。


「これは、素晴らしい」


 白夜さんが、影の壁の薄くなった隙へ踏み込んだ。

 拳を叩き込む。


 泉水さんの頬に入ったそうです。


 顔の骨が、砕けた音がしたとか。

 普通の人間なら、それで終わりでしょう。


 でも次の瞬間には、じゅるり、と戻った。


 割れた頬骨が持ち上がる。

 皮膚が繋がる。

 血が引く。


 睦月さんが、横から短刀を入れた。

 脇腹を深く裂く。火も乗る。焼ける匂いがしたそうです。


 でも、やっぱり、じゅるり、と塞がる。


「ふふ」


 泉水さんが、少しだけ笑った。


「なるほど。これは想像以上ですよ」


 その言い方が、もう最悪でしょう。


 不死には僕も慣れていましたが、なんて続けるんですよ。慣れるものでもないし、慣れたって口にするものでもない。ああいうところ、ほんとに人から遠いんです。


「この力は、素晴らしい」


 足元の蔦が、爆発した。


 前に見た草の術とは比べものにならなかったそうです。

 太さ。

 速度。

 数。


 地面が裂けるみたいに、蔦が四方へ広がる。白夜さんが弾き飛ばされる。睦月さんも、避けきれずに肩から壁へ叩きつけられた。


 でも、その直後でした。


 泉水さんの体が、ぴたりと止まったそうです。


 胸を押さえる。

 顔色が、ほんの少しだけ悪くなる。

 体を走る黒い筋が、一瞬だけ赤く明滅した。


 どくん。


 今度は、空洞ではなく泉水さん自身が、その拍に揺れた。


 白夜さんが、目を細めたそうです。


「……やっぱりな」


 息を吐く。

 血の混じった息。


 泉水さんは、胸を押さえたまま、小さく笑ったとか。


「……やはり、少し無理がありましたね」


 穏やかに。

 まるで鍋の火加減でも読み違えたみたいに言うんですから、いやになります。


 田沼が、背後から短く言ったそうです。


「退け」


 兵が下がる。

 時継は——まあ、いつも通りと言っていいんですかね。とっくに逃げる体勢になっていたそうですよ。あの人、こういうときだけ体の判断が早い。顔は強張ってるのに、足だけは正直なんです。


 白夜さんが睦月さんの腕を掴んだ。


「行くぞ!」


「でも——」


「いまは無理だ。わかるだろ!」


 睦月さんは唇を噛んだ。

 でも引かれた。ここで逆らっても盤面がひっくり返らないことは、さすがにもうわかっていたんでしょうね。


 地下の空洞を離脱しながら、白夜さんがぼそっと言ったそうです。


「あいつ、追ってこねえな」


 睦月さんも、振り返ったとか。


 泉水さんは、その場から動いていなかった。

 肉塊のあった場所の前で、ただこちらを見ている。追えば追えるはずなのに、追わない。


「……余裕ぶってるんでしょうか」


 睦月さんが言う。


 白夜さんは、少しだけ顔をしかめた。


「それもあるだろうが——」


 言葉を切る。


 そこで、何を考えたのか。

 あたしにはわかりませんよ。


 ただ、嫌な予感がしたんでしょうね。あの人の声ってのは、そういうときだけほんの少し重くなるんです。


---


 あたしはそのとき、店にいました。


 算盤を置いて、奥の仏壇に手を合わせていました。柄にもないでしょう? 普段ろくに拝みもしないくせに。


 でもね、ああいう声を聞くと、人間も猫も関係ないんですよ。


 空が、脈を打った。


 そう言うしかないんです。


 京の空が——東山の上から嵐山の向こうまで、見える空ぜんぶが、赤黒く明滅し始めた。夕焼けとは違う。もっと深い。もっと重い。血の滲んだ布を、空いっぱいに広げたみたいな赤でした。


 どくん。

 どくん。

 どくん。


 犬が吠えた。

 鴉が群れで飛び立った。

 町のあちこちで戸が閉まる音がした。


 寺の鐘が鳴り始めた。

 鳴らしたんじゃないんですよ。勝手に鳴ったそうです。地面ごと震えていたんでしょうね。


 小鈴が、あたしの袖を掴んで離さなかった。


「お兄ちゃん、怖い」


「大丈夫ですよ。大丈夫です」


 全然大丈夫じゃありませんでしたけどね。


 祈るしかなかった。


 あたしにできるのは、それくらいしかなかったんです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。