第50話 転生
白夜さんが、低い声で言ったそうです。
「泉水——いや、お前は何て名なんだ」
「名前ですか。千年も生きてると、いくつも使いましたからね。今は泉水です。それでいいですよ」
「お前の目的はなんだ」
「今回が最後の儀です」
泉水さんは答えた。
「禍月が全て集まる。それが何を意味するか。——禍神が、依り代を得て顕現する」
田沼の顔が、そこでわずかに動いたそうです。田沼でさえ、そこまでは知らなかったんでしょうね。
「顕現というのは少し違いますね。正確には、最後の儀の生き残りの中から、ふさわしい者を選んで、力を与えるんです。その者が、次の禍神になる」
白夜さんが目を細めた。
「……まさか」
「禍神は生と死を司る神です」
泉水さんの声は静かでした。
「その力があれば、睦月さんに不死を与えて、呪われた転生を止められる」
一拍。
「永遠に。僕の傍に。もう二度と、どこにも行かないように」
---
あたしはね、ここをあとから聞いただけで十分でしたよ。
儀のあいだ、ずっと傷を治して、薬を作って、「大丈夫ですよ」と言ってきたあの声で、「永遠に僕の傍に」と言う。
それだけで、白夜さんが気色悪いと言った意味はわかります。
優しさの形をしたまま、まるごと檻なんですから。
---
「儀をともに乗り越えた仲間として」
泉水さんは、そこで少しだけ目を伏せたそうです。
「絆を深めたまま、そうしたかった」
一拍。
「でも雅楽さんのせいで、難しくなりましたね」
難しくなった、です。
雅楽さんを殺した話を、そんなふうに言える時点で、もう十分だったでしょう。
「雅楽さんや、本物の泉水さんを殺した僕に、睦月さんが振り向いてくれるとは、僕も思ってないですよ」
泉水さんが笑ったそうです。
困ったような、残念そうな笑み。
「本当に残念です」
一拍。
「でも、やり直せばいいだけの話ですから」
睦月さんの目が見開かれた。
「睦月さんはここまでとして、次の転生体を待てばいいんです」
声は穏やかなままでした。
「大したことはないですよ。これまで千年も待ったんです。あと数十年くらい、僕は待てますよ」
---
睦月さんが声を出したそうです。
「泉水さん」
泉水さんが振り向く。
「あなたは——私を、朝霧だと思っているんですか」
泉水さんは少しだけ首を傾けた。
「事実ですよ。あなたの魂は朝霧と同じです。雪とも同じです。千年前から続いている、同じ魂」
「私は朝霧じゃありません」
「魂は同じです」
「私は睦月です」
その声は、静かだったそうです。
怒りでも拒絶でもない。ただ、自分が自分であることを言う声。
泉水さんは微笑んだ。
「ええ。今はね」
その一言で、十分だったでしょうね。
---
田沼が、そこで声を出したそうです。
「十分だ」
短く。
泉水さんが田沼のほうを見る。
「兵で囲んだところで、僕を止められるとは思えませんけど」
「無論だ」
田沼はあっさり返した。
「だが、状況は確認できた。——お前が黒であること。お前の目的。そして、お前が何をしようとしているか」
「親切に全部喋りましたからね」
「なぜ隠さなかった」
「隠す必要がないからですよ」
泉水さんは、穏やかなまま答えたそうです。
「もう、止められませんよ」
地面に、手が触れた。
それだけです。
次の瞬間、草が爆ぜたそうです。
兵の足元。
石の隙間。
霜の残る土。
そこから蔦が一気に伸びた。これまで見せてきた術とは比べものにならない速度と太さでした。槍を持った兵の足首へ絡みつき、膝を奪い、その場に転ばせる。
同時に、地面が裂けた。
山の土が内側からめくれるみたいに割れて、その裂け目の下へ、泉水さんの体が滑り込んでいく。落ちたんじゃない。自分から引かれていったんです。蔦に抱かれるみたいに。
「追うぞ!」
白夜さんが駆けた。
睦月さんも、ほとんど同時に。
兵はまだ蔦に取られている。田沼が何か叫んだかどうかは知りません。そんなことを気にしてる間もなかったでしょう。
裂けた地面の下へ、白夜さんと睦月さんが飛び込んだ。
---
裂けた地面の下は、思ったより深かったそうです。
白夜さんが先に飛び込み、睦月さんがその後を追う。土の壁が左右へ流れていく。露出した根。剥き出しの石。湿った土の匂い。冷たい地下水の匂い。蔦だけが暗闇の中で薄く緑に光って、下へ下へと続いていたとか。
上から差す朝の光は、ほんの数丈で細くなったそうです。
あとは暗い。
落ちるというより、滑り降りるに近かったのかもしれませんね。土壁に肩をぶつけて、足を取られて、それでも前へ。泉水さんの蔦が道を作っていたぶん、行く先だけははっきりしていた。
やがて、通路が広がった。
天井が高くなる。
壁が遠のく。
音の返り方が変わる。
地下だというのに、空洞がある。
でも、洞窟みたいな乾いた広がりじゃない。もっと湿っていて、もっと生き物じみていたそうです。壁に這う蔦。滴る水。どこかで脈を打つような、低く鈍い音。
とくん。
とくん。
とくん。
白夜さんが、そこで足を止めたそうです。
「……なんだよ、これ」
次のお話をしましょうか。




