第25話 盤面
五人が東山を下りて町に散ったのは、まだ朝の早い時刻だったそうです。
刻印の数字は三十。
朝の膳の上で雅楽さんが口にした見立てが、そのまま数字になって出ていた。
誰もそれについて多くは語らなかったそうです。数字を見て、獅童さんが「三十か」と呟いて、白夜さんが舌打ちをして、それだけ。
三十しかない椅子に、自分たちを含めて四十だか五十だかが座ろうとしている。
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午前の探索は——まあ、うまくいかなかったそうです。
うまくいかなかった、というのは語弊がありますかね。正確には「壊滅ではない。でも足りない」。これが一番嫌なんです。商売でもそうですよ。仕入れがゼロなら今日は店を閉めると諦めがつく。でも半端に足りないと、帳尻の合わせようで頭を抱える。
昼を回った時点で、全員の手元にあるのは一つ。
働いた分だけきっちり返ってくるなら、世の中こんなに揉めませんよ。
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昼過ぎに五人は落ち合ったそうです。
東山のふもと、崩れた石垣と苔むした板塀に囲まれた路地裏。人通りのない辻。
白夜さんが石垣にもたれて目を閉じた。獅童さんが腕を組んで立っている。睦月さんと泉水さんが息を整えている。
雅楽さんだけが、座りもしなかった。
路地の隅にしゃがみこんで、小枝を一本拾って、湿った土の上に何か描き始めた。
獅童さんが覗き込んだ。
「……何してんだ」
「図」
「図?」
「朝からずっと見てた」
白夜さんが片目を開けた。
「何を」
雅楽さんは顔を上げなかったそうです。扇子も使わない。湿った土に小枝の先を走らせながら、さらりと言った。
「欠片の流れ」
獅童さんが眉をひそめた。
「……なんだそりゃ」
雅楽さんは小枝を止めなかった。
「盤面だよ」
一拍置いて、湿った土に点を打つ。
「今日の盤面を、朝から見てた」
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あたしはね、あとから聞いた話をつなぎ合わせてますから、雅楽さんの頭の中を正確に再現できてるとは思いませんよ。でもまあ、こういうことだったらしい。
朝、東山の高台で白夜さんが最初の検知を使ったとき、三十の柱がどこに立っているかが見えた。これが初期配置です。
そのあと午前のうちに、泉水さんが二度目の検知を使った。初期配置から一刻ほど経ったあと。
三度目は、ついさっき。白夜さんが使った。
三回の検知で、同じ盤面を三回、時間をずらして見ている。
普通ならね、三十本の柱なんて、三十本のままですよ。多いな、で終わる。町のあっちに一本、こっちに二本、山際に三本。見えたところで全部は追えない。情報が多すぎて、むしろ何も見えなくなる。
でも雅楽さんの目には、もう点には見えてなかったんでしょうね。
誰が拾って、どこへ走って、どこで止まって、どこで消えたか。
ばらばらの点が、線になっていた。
「初期配置の柱が三十本ある」
雅楽さんは土の上に点を打ちながら話していたそうです。ここが四条、ここが五条、東山がここ、鴨川がここ。小枝の先で、京の地図が路地の土の上にできていく。
「一刻後には、そのうちいくつかが動いてる。誰かが拾って逃げた。さらにもう一刻後に三度目を見ると、さっき動いたやつがまた動いたか、止まったか、消えたかがわかる」
獅童さんが眉をひそめた。
「……つまり?」
「つまり、欠片を探してるんじゃない。誰がどう動いたかを見てるんだよ」
雅楽さんの小枝が、点と点のあいだに細い線を引いた。
「大半の柱は動いてる。拾われた。持って逃げてる。で、何本かはそのあとも動いてる。持ち主がさらに移動してる。何本かは止まった。どこかで守りに入ったんだろうね」
白夜さんが短く言った。
「参加者だな」
「そう。——でも、一箇所だけおかしなところがある」
雅楽さんは小枝で、動いていない点を丸で囲った。
「ここ。初期配置から動いてない柱が一本ある。最初からそこにあった欠片が、まだそこにある」
そこまでは、まだわかる。見つからなかっただけかもしれない。
でも雅楽さんは、その丸の周りにさらに点を打った。
「で、その近くに別の柱が増えてる。朝はなかった柱が、昼には寄ってきてる。でも、寄ってきたやつは全部そこで止まってる」
睦月さんが小さく眉を動かしたそうです。
「……持ったまま、動いていない?」
「そう。持ったまま止まってる。動けなくなったと考えるのが自然だ」
白夜さんが壁から背を離した。
「……取りに行った奴が死んだか」
「そう見るのが一番きれいだね」
雅楽さんの声は軽い。いつもの軽さ。でもね、この人は軽い声で重いことを言うんですよ。
「初期配置の欠片を餌にして、人が寄る。寄ったやつが死ぬ。死んだ本人は影に引きずり込まれて消えた。でも、持ってた欠片はその場に残る。だから柱だけが増える」
獅童さんが低く唸った。
「……待てよ。じゃあそこには今、何個ある」
「四つ。少なくとも四つ」
路地に沈黙が落ちたそうです。
四つ。
今の五人には、一つしかない。あと四つあれば全員分が揃う。
つまり、その場所に行って拾えれば、今日が終わる。
睦月さんが土の上の丸を見つめていたそうです。
丸の中に、点が四つ。ひとかたまりに固まっている。
「……最初の一つに、あと三人、寄ったかもしれない——ということですか」
雅楽さんはその問いにはすぐ答えなかったそうです。目だけが、土の上の点から睦月さんのほうへ動いた。
「かもしれないね」
それだけ。
死人の数を数えても、盤面は有利にならない。雅楽さんはそういう人でしょう。でも睦月さんには、点がそのまま点には見えなかったんでしょうね。そこにいたかもしれない三人を想像してしまう。
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「で、残りはこっち」
雅楽さんの小枝が、盤面のあちこちに散っている点を示した。
「動いてる柱。一人で動いてるのもいるし、何人か固まってるのもいる。こいつらは参加者だ。欠片を持って逃げ回ってるか、守りに入ってる」
獅童さんが腕を組み直した。
「じゃあそいつらを追って——」
「追って、追いついて、戦って、奪って。それを四回やる時間がある?」
「…………」
「向こうにも検知がある。こっちの柱も見えてる。近づけば逃げる。しかも散ってる」
雅楽さんは、今度は小枝で盤面に長い線を何本も引いた。追跡経路のつもりでしょう。
「一人を追ってる間に、他の三人がどう動くか読めない。逃げられるかもしれない。伏兵がいるかもしれない。深追いした先で怪我でもしたら、四つどころか一つも守れない」
白夜さんが鼻を鳴らした。
「つまり無理ってことか」
「そう。勝ち筋が薄い」
雅楽さんの小枝が、最初の丸に戻った。
「一方こっちは、一箇所に四つ固まってる。入って拾って、逃げ切れれば、それで終わる」
「正体は」
白夜さんの問いに、雅楽さんは少しだけ空を見たそうです。曇り空。低い雲。
「わからない。織姫の罠かもしれない。幕府の待ち伏せかもしれない。別の参加者が巣を張ってるのかもしれない」
一拍置いて。
「あるいは——神獣の縄張りって可能性もある」
空気が変わったそうです。
神獣。二日目の夕暮れ、東山の杉林で見たあれ。人を咥えて、骨を噛み砕いて、何も残さなかった黒い獣。
獅童さんが不機嫌そうに舌打ちした。
「どれでも最悪じゃねえか」
「うん。最悪だね」
雅楽さんはあっさり言った。
「でも、他の選択肢は博打にすらならない。——勝ち筋があるのは、ここだけ」
白夜さんが首を鳴らした。ごきり。
「……場所は」
「東山の南寄り。山の中。結界の淵からはそこそこ離れてるけど、町からも離れてる」
「遠いな」
「遠い。でも半刻あれば着く」
白夜さんは空を見た。曇り空。太陽の位置は見えないが、雲の色で時間はわかる。
「……今から行って、拾って、そのあと日暮れまで守り切れるか」
「ぎりぎり。長居はできない。入って、拾って、離れる。そこで揉めたら、贄の刻まで持たない」
「五人で?」
「五人で。今日は分かれない。片方が壊滅したら終わりだ」
獅童さんが頷いた。
「それはそうだな」
泉水さんも穏やかに言った。
「単独で動くには、もう盤面が悪すぎますからね」
白夜さんは目を細めた。
「ぞろぞろ歩くのは好きじゃねえけどな」
「隠密じゃない。突入だよ」
雅楽さんは扇子を開いた。口元を隠す。
「どうせ今日は、きれいに勝てる日じゃない」
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ここでね、雅楽さんが土の図をもう一度見たんだそうです。
さっき描いた盤面。点と線と丸。
その中に、一箇所、気になるところがあった。
「どうしたんだ?」
「二条城」
「二条城?」
「昨日まで、あの辺に柱が固まってたでしょう。幕府の連中が欠片を持ち寄ってた。検知するたびに、あそこだけ柱の塊があった」
「ああ」
「今日、それがない」
雅楽さんの小枝が、二条城のあたりを指した。
「塊が消えてる。ばらばらに散ってる」
白夜さんが振り返った。
「組織が崩れたか?」
「……かもしれないし、逆に作戦を変えたのかもしれない」
「作戦?」
「昨日までは集めて、一箇所に寄せてた。でも今日はそれをやめた。そう見えなくもない」
獅童さんが眉をひそめた。
「なんでわざわざそんなことするんだ」
「さあね。検知で目立ちすぎたから分散したのかもしれないし、持ち運ぶ途中で何かあったのかもしれない。そこまではまだ読めない」
雅楽さんは土の上の点を見たまま、小さく言ったそうです。
「ただ、昨日までと同じ動きじゃない。それだけは確かだね」
このとき何を思ったかは、あたしにはわかりませんよ。商売人の勘で言うなら、帳簿の数字がひとつだけ合わないときの感覚に近いんじゃないかと思いますが。「まあいいか」で閉じたつもりでも、翌朝にはもう一度開いてしまう。ひとつのずれが、ずっと頭の隅に残る。
雅楽さんは小枝を折って捨てた。
「今はいい。僕らの今日には関係ない」
そう言ったそうです。
——実際は、大いに関係あったんですがね。
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五人は路地を出て、南東に向かったそうです。
町を抜けて、寺の裏手を回って、石段を外れて獣道に入る。曇り空の下、杉林は昼でも暗い。針葉が地面を覆って足音を吸う。湿った土の匂い。苔の匂い。風が弱い。
獅童さんが先頭。二刀を背中に担いだまま、黙って登っていく。睦月さんがその後ろ。泉水さん。雅楽さん。白夜さんが最後尾で、ふらふらとした足取り。でも耳だけがぴくぴく動いている。
誰も喋らなかった。
五人とも、もうわかっていたんでしょうね。これから向かう先が、拾い物をしにいく場所じゃないことを。
四つ固まってる欠片なんて、まともな場所にあるわけがない。
でも行くしかない。行かなきゃ足りない。
賭場に向かう人間の顔ってのは、独特なんですよ。
笑ってもいないし、怯えてもいない。勝てると思ってるわけでもない。ただ、腹が据わってる。据わってるっていうのは覚悟とはちょっと違う。もっと乾いた感じです。「やるしかないから、やる」。それだけ。
あの五人も、たぶんそういう顔をしてたんでしょうね。




