第24話 生存戦略
三日目の朝は曇りでした。
朝からどんよりと空が重くてね。雲が低い。
あたしが台所で粥を炊いていると、座敷からもう声が聞こえてましたよ。
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雅楽さんが口を開いたのは、白夜さんが粥を三口すすったあたりだったそうです。
「整理しよう」
扇子をぱちりと閉じる。あの音。あたしは台所にいましたが、あの音は聞こえました。雅楽さんが扇子を閉じるときは、頭の中の計算が終わったときです。
「今日の欠片はまだわからない。でも初日が九十で、二日目が六十。あの神様はじわじわ絞る性分じゃない。一気に椅子を蹴飛ばしてくる。——三十前後だろうね」
「三十」
獅童さんが腕を組んだ。茶碗を持ったまま。
「参加者はどれくらい残ってると思う?」
「正確にはわからない。ただ、初日が百以上いて、二日間で半分以上は消えてるはず。残り四十から五十ってところじゃないかな」
「三十の欠片を五十人で」
「そう。最初から十人以上、多ければ二十人近くは”何もしなくても死ぬ側”にいる」
座敷が静かになったそうです。箸が止まった。獅童さんの茶碗も、睦月さんの粥の椀も。
泉水さんだけが穏やかな顔で粥を啜っていたと、小鈴があとで言ってました。
「……で、どうする」
白夜さんが聞いた。壁にもたれて、粥の椀を片手に。声はいつも通り気だるい。
「そうなると何が起きると思う?」
雅楽さんは扇子を開いた。口元を隠す。
「探すんじゃない。奪うんだよ。今日からは」
「…………」
「昨日までみたいに”拾えたら拾う”じゃ足りない。拾ったやつを守るか、持ってるやつから奪うか、そのどっちかになる。——これは僕たちだけじゃなくて、残ってる全員がそう考え始める。二日間生き延びた連中は馬鹿じゃない。今日から全員が、他人を蹴落とす前提で動く」
獅童さんが口を開いた。
「……つまり、俺たちも人から奪えってことか」
「そうは言ってないよ」
雅楽さんの声は軽い。いつも通りの軽さ。
「まずは拾う。それは変わらない。——でもね、足りなければ奪う。それをためらわない。ただし、最初から弱いのを狩りにいくんじゃない。こちらを狩りにきた相手。あるいは複数持ってるやつ。今日からはそこにためらいを持たない。それだけのことだよ」
白夜さんは粥を啜った。ずず、と。
「嫌か?」
「別に。——ためらってたことなんかねーよ」
「嘘つき。白夜さんは意外と優しいからね」
「うるせえ」
獅童さんが腕を組み直した。
「……仕方ねえ、か。向こうから来るなら叩っ斬る。それなら文句はねえだろ」
泉水さんが穏やかに頷いた。「みんなが納得できる線引きが大事ですね。——僕もそれでいいと思います」
睦月さんは黙っていた。粥の椀を両手で持ったまま。何か言いかけて、口を閉じた。
「……了解です」
短く。それだけ。
一同が頷いた。
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ここで雅楽さんがね、扇子で口元を隠したんですよ。
ぱちり、と閉じたかと思ったら、すっと開いて、口元だけ見えなくなる。目は座敷の面々を見回していた。白夜さん、睦月さん、泉水さん、獅童さん。一人ずつ。
あたしはそのとき茶を運びにいったんですが、ちょうどその仕草を見ましてね。
ああ、と思いました。
この人は商人だ、と。
——脱線しますよ。少しだけ。飯の話じゃないのが珍しいでしょう。
あたしはね、百膳堂を何年もやってきましたから。商売ってのはね、仕入れと売り値と客の顔色で成り立つんですよ。鮎が一匹いくらで仕入れられるか。いくらで出せば客が来るか。客がどんな顔で食ってるか。その三つを常に計算してる。
雅楽さんも同じことをやってるんです。ただし、売り物は知恵で、仕入れは情報。客は仲間。で、稼ぐものは金じゃない。生き残るための席です。
考えてみてくださいよ。
雅楽さんは戦えない。刀も持たない。術もない。扇子一本です。この儀で最も弱い参加者と言ってもいい。弱い人間が生き残るにはどうするか。強い人間と組むしかない。
でもね、ただ強いだけじゃ駄目なんですよ。
強くて、しかも仲間を切れない人間。
そういう相手と組まなきゃいけない。なぜかって? 欠片は毎日減っていくんです。最終日に全員分あるかどうかわからない。足りなくなったとき、仲間を切り捨てるような人間と組んでたら、真っ先に切られるのは戦えない自分でしょう。
雅楽さんが白夜さんを選んだのは、あの人が強いからだけじゃない。白夜さんが——あたしの言い方を借りますとね——勘定と人情の区別がつかない人だからですよ。
合理的に考えれば、弱い仲間は足手まといです。欠片が足りなくなったとき、戦えない人間を切るのが正しい。白夜さんはそれがわかってるはずです。百五十年も生きてるんですから。
でも、やらない。
面倒くせえとか言いながら、やらない。知らねとか言いながら、追い出さない。あの人はそういう人です。百年もの付き合いですからね、あたしにはわかりますよ。
雅楽さんもそれを見抜いたんでしょう。初日から観察してたと言ってたでしょう。あの人が見ていたのは、白夜さんの強さだけじゃなかった。白夜さんが誰も切り捨てない人間かどうかを、一日かけて確かめていた。
二日目の作戦だって、本当はもっと露骨にやれたはずなんです。白夜さんの腕があれば、弱い参加者から直接巻き上げるのが一番早い。でも雅楽さんは、それを言わなかった。言った瞬間に、白夜さんが手を組むのを嫌がるでしょう。
だから雅楽さんは、ぎりぎり灰色の線を引いた。横取りはする。でも弱い者いじめはしない。白夜さんが「性格悪いな」とは言うけど「やめろ」とは言わない線。あの人はそこを正確に読んでいた。
こういう計算ができるのは、才能ですよ。あたしは商人として素直に感心します。
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でもね。
三日目からは、その灰色の線が持たなくなるんです。
欠片も減り、残ってるのは二日間を生き延びた手練ればかり。昨日までの戦略は通用しなくなる。
だから雅楽さんは、今朝、線を引き直した。
「足りなければ奪う」。昨日までは言わなかった言葉です。でも「弱い奴を狙え」とは言わない。「向こうから来た奴と、複数持ってる奴」。白夜さんが頷ける、ぎりぎりの線。
あたしはね、あの扇子を見て思ったんですよ。この人は毎日、線を引き直してるんだと。白夜さんが許容できる範囲を測って、その中で最も生存確率が高い作戦を組んでいる。
それは——仲間を大事にしているのとは、ちょっと違うんです。
いや、大事にしてますよ。嫌いじゃないんでしょう、白夜さんたちのことは。でもね、あの人の計算の根っこにあるのは、自分が生き残ることです。そのために、仲間を切れない仲間と組んでいる。矛盾してるようですが、矛盾してない。商売と同じですよ。いい客を大事にするのは、いい客が金を落としてくれるからです。
——あたしがこんなことを言うのもどうかと思いますがね。
まあ、商人の勘ですよ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。
ただね、一つだけ引っかかることがあったんです。
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さっきの場面で、雅楽さんは全員の顔を見回していました。扇子で口元を隠しながら。
白夜さんを見た。——うん、想定通りだ。
獅童さんを見た。——まっすぐなやつだ。乗ってくれる。
睦月さんを見た。——この子は任務と言えば従う。でも本当はためらってる。
そして泉水さんを見た。
泉水さんは穏やかに粥を啜っていたそうです。いつもの顔。いつもの柔らかい目。
雅楽さんの目が、泉水さんのところで、ほんの一拍——長かったんですよ。
あたしは見ましたよ。茶を置く手が止まるくらい、はっきり見えた。雅楽さんの目が泉水さんの上を滑って、ほんの一瞬だけ留まって、それからすっと離れた。
なんだったんですかね、あれは。
あたしに聞かれても困りますよ。あたしは商人であって、人の心を読む商売じゃないんで。
ただ、あの一瞬の目は、商品を値踏みする目じゃなかった。もっと別の——何かを確かめようとする目。あるいは、確かめたくないことを確かめてしまった目。
まあ、あたしの見間違いかもしれませんがね。
曇り空のせいで店の中が薄暗くて、行灯の灯がちらちらしていましたから。影のせいでそう見えただけかもしれない。
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さて、飯の話に戻しましょう。
三日目の朝飯は粥です。
なぜ粥かって? 米が足りないからですよ。儀が始まってから三日目、あたしの仕入れの筋も影響を受けてましてね。裏通りの問屋が店を閉めてるんです。表の世界の人間には何も見えてないはずなんですが——あたしの仕入れ先の妖怪の問屋はね、空気を読むのが早いんです。なんかやばい、って。だから店を閉めて引っ込んでる。
粥にしたのはそういう事情です。でもね、粥ってのは馬鹿にしたもんじゃないんですよ。出汁でじっくり炊いた粥に、焼いた塩鮭をほぐして載せて、刻んだ葱と、すった生姜を少し。体が温まる。曇りの朝にはちょうどいい。
獅童さんが「うめえ」と言って三杯おかわりしたときは、さすがに「河童は燃費が悪いんですか」と聞きましたが。
白夜さんは一杯だけ。いつも通り黙って食って、黙って茶碗を置いた。
睦月さんも一杯。最後の一口を飲み込んでから、箸を膳の上にきちんと揃えて置いた。あの人はいつもそうなんです。箸の置き方がきれい。鴉衆の躾なのか、本人の性分なのか。
泉水さんが「おいしいですね、この粥。出汁が効いてる」と言った。「ありがとうございます」とあたしは返しました。褒めてくれる客は好きですよ。白夜さんも見習ってほしい。百年通って一度も「うまい」と言ったことがないんですから。
雅楽さんは粥を半分ほど食べて、もう扇子を取り出してぱちぱちやっていた。食が細いのか、頭が忙しくて食ってる場合じゃないのか。
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「じゃあ動こう」
雅楽さんが立ち上がった。
「昨日と同じで、まずは山に登って検知で全体を見る。刻印の数字が変わるのは日の出の頃だ。もう間もなくのはずだから、急ごう」
五人が支度をする音が聞こえました。帯を締める音。刀の鞘が鳴る音。獅童さんが二刀を背中に担ぎ直す音。
「——あ、白夜さん」
あたしは笹の葉の包みを差し出しました。
「はいはい、持っていきなさい。今日は粥の残りで握れなかったから、芋です」
「芋?」
「焼き芋ですよ。昨日の夜のうちに灰の中に入れておいたんです。——冷めてますけど、まだほくほくしてるはずです」
白夜さんは包みを受け取って、匂いを嗅いだ。甘い匂い。
「……悪くねえな」
「お代は——」
「半額だろ。知ってる」
「いえ、今日は定価です。芋は仕入れ値が上がってるんで」
「お前なぁ」
五人に一つずつ渡しました。獅童さんが「おお、甘いな!」と顔をほころばせた。泉水さんが「ありがとうございます、喜兵衛さん」。雅楽さんは「助かるよ」と懐に入れた。
睦月さんに渡したとき、あの子は少しだけ頭を下げた。
「……いってきます」
初めてでしたよ。睦月さんが「いってきます」と言ったのは。
一日目は何も言わずに出ていった。二日目は「ありがとうございます」だった。三日目は「いってきます」。
たった三日で、あの子は帰ってくる場所を覚えたんです。
——帰ってくる場所があるということは、帰らなきゃいけないということでもあるんですがね。
小鈴が奥から「気をつけてくださいね」と声をかけた。いつも通り。
五人が暗い裏路地に消えていく。曇り空の下。灰色の朝。
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あたしは帳簿を閉じて、台所に戻りました。鯖があるんです。最後の一本。仕入れの筋が細ってきてるから、これが当分の最後になるかもしれない。
味噌煮にしましょうかね。帰ってくる人たちのために。
五人分。
——まだ五人分、作れるうちは。




