第22話 五人分の膳
あの夜、あたしは台所にいました。出汁を引いてたんですよ。昆布と鰹節の、あの出汁です。うちの出汁はね、手前味噌ですが京でも指折りの出来でしてね。——いや、飯の話はいいですか。いいですよね。
表の戸ががらりと開いた音がして、振り返ったら五人でした。
五人。
昨日は三人でした。おとといは四人でした。今日は五人。増えている。減るのがこの儀の常なのに、増えている。
「白夜さん、なんか増えてますけど」
「増えた」
「宿泊費は人数分いただきますからね」
「わかってるよ」
白夜さんがいつもの席——壁際の、一番奥の、窓に近い席に座った。足を投げ出す。
「飯。五人分。ツケで」
「あんたのツケ、もう蔵が三つ建ちますよ。毎日増えてるんですからね」
「死なねえ限り払うだろ。永久に」
「死なないのは前までの話でしょうが」
獅童さんが入ってきたとき、あたしはちょっと身構えましたよ。河童ですからね。うちには妖怪の客も来ますが、河童は珍しい。薄緑の皮膚に、頭に皿。体がでかい。二本の刀を背中に交差して背負っている。肩が腫れてるし、あちこちに擦り傷がある。
「座んなさい。草履は脱いで」
「お、おう」
雅楽さんは勝手知ったる様子で上がり込んで、白夜さんの隣に座った。扇子をぱちりと閉じて「今日も世話になるよ、喜兵衛さん」。
睦月さんと泉水さんが最後に入ってきた。睦月さんの頬に布が当ててある。泉水さんが「失礼します」と丁寧に挨拶した。
五人が座敷に収まった。六畳の間に五人はちょっと窮屈です。白夜さんが壁にもたれて、雅楽さんが隣に座って、向かいに獅童さんと睦月さんと泉水さん。
あたしは奥に向かって声を張った。
「小鈴! 五人前!」
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膳を運びました。
秋鯖の味噌煮。きのこの炊き込み飯。蕪と大根の味噌汁。蓮根と鶏のきんぴら。それと、ぬか漬け。
「さあ、冷めないうちにどうぞ。——お代は通常料金ですからね。増えた分もきっちりいただきます」
白夜さんはもう箸を手に取っている。鯖の味噌煮に箸を入れた。身がほろりと崩れる。味噌が絡んで、脂が光っている。
獅童さんは膳の前で固まっていた。
「……すげえ匂いだな」
「食べないと冷めますよ」
「あ、ああ」
獅童さんが箸を取った。炊き込み飯を一口。きのこの香りと出汁の湯気が立ち上る。
「……うめえ」
声がでかいんですよ、この河童は。店中に響く。隅で酒を飲んでいた常連の浪人が、びくっと振り返ったくらいです。
「当然ですよ。うちの飯はまずくないんです」
雅楽さんは「いいお店だね」と言って、鯖を上品に箸で割った。泉水さんは「おいしいですね」と穏やかに言った。
睦月さんは味噌汁を啜った。蕪が柔らかく煮えている。大根は少し歯ごたえを残してある。あたしの好みです。
何も言わなかった。でも、箸が止まらなかったのを、あたしは見ましたよ。
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飯を食い終えて、茶を出したところでした。
奥から小鈴が出てきた。盆の上に湯呑みを五つ。
「お茶のおかわり、いりますか?」
小鈴はいつも通りです。白い前掛け。猫耳がぴょこんと出ている。小柄で丸い顔の、うちの看板娘。
白夜さんが「おう」と言った。雅楽さんが「ありがとう、小鈴さん」と言った。泉水さんも「いただきます」と丁寧に受け取った。
睦月さんに渡すとき、小鈴が「お姉さん、お怪我、大丈夫ですか?」と聞いた。睦月さんが「大丈夫です」と短く答えた。
そして、獅童さんの番です。
小鈴が獅童さんの前に湯呑みを置いた。
「はい、どうぞ」
獅童さんが固まった。
箸を持ったまま。口を半開きにして。目が見開かれている。皿の水が、ぴくりとも揺れていない。石になったみたいに動かない。
白夜さんが横目で見た。
「ん? どうしたんだ」
「じ——じぶ——」
「は?」
「自分、獅童、と……申します……」
声が震えてるんですよ。さっきまでの「天下一の剣士だぜ!」の声はどこにいったんだか。背筋だけは伸ばそうとしてるんですが、肩がガチガチで、膝の上の拳が白くなってる。
小鈴は首を傾げた。
「はい、獅童さんですね。ごゆっくりどうぞ」
それだけ言って、盆を持って奥に戻っていった。何の変哲もない対応です。うちの店の客は角が生えてようが顔がなかろうが、全員同じように扱う。河童だろうが同じこと。
獅童さんは小鈴の背中が見えなくなるまで、石のまま固まっていた。
白夜さんが言った。
「……誰だよお前」
「う、うるせえ! なんだよその目は!」
雅楽さんが扇子の陰から言った。
「はじめましての名乗り、どこいったの? 貴船の沢に生まれし侍、鯉も鮎も一刀両断、天下無双の——」
「やめろ! いま関係ねえだろ!」
「あんなに練習してたのに」
「練習なんかしてねえ! あれは即興だ!」
「嘘だあ」
「うるせえ!!」
あたしはね、このやりとりの間、ちらっと睦月さんのほうを見たんですよ。
口元が動いてました。ほんの少しだけ。唇の端が、かすかに上がっていた。堪えてるんです。笑いを。
あの睦月さんがですよ。短刀を握って、面を外して、ずっと張り詰めた顔をしていた睦月さんが。
まあ、本人に言ったら「そんなことはありません」って真顔で否定するんでしょうけどね。あたしの目は節穴じゃないんです。商人の目をなめちゃいけませんよ。
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茶を啜りながら、五人はしばらく話をしていたそうです。
あたしは帳場で帳簿をつけていましたが、耳はこっちですからね。猫の耳は伊達じゃないんです。
獅童さんが話題を変えた。
「なあ、さっきの化け物。ありゃあ一体何なんだ。あんなもん、聞いてねえぞ」
白夜さんが茶を啜った。
「聞いてねえも何も、俺だって詳しくは知らねえよ。前の儀のときにもいた。とにかくやべえ。それだけわかってりゃ十分だ」
「……前の儀の他の参加者は、何か言ってなかったんですか。全部で何種類いるとか、どれが一番危ないとか」
泉水さんが聞いた。
「おそらくだが、七体。儀の間、毎日増えてた気がする。——なんか他のやつらが呼んでた気がするな。神獣、だったか。まあ、名前なんかどうでもいいんだが」
「神獣」
雅楽さんが扇子の先で顎をなぞった。
「神の獣、ね。贄の刻を超えても安全じゃない、か」
「そういうことだ」
「神様ってのはずいぶんと手の込んだ祭りをやるんだね」
「暇なんだろ」
白夜さんはそう言って、茶碗を置いた。
しばらく、静かでした。獅童さんの鼾が——もう寝てるんですよ、この河童は。壁にもたれたまま、茶碗を手に持ったまま、目を閉じて。鼾が響いている。さっきまで化け物の話をしてたのに、大した神経です。
雅楽さんが獅童さんの茶碗をそっと取り上げた。こぼれる前に。
「……よく寝れるね、この人」
「河童ってのは図太いもんですよ。飯食ったら寝る。起きたら食う。——でもね、ああいう手合いに限って、いざってときに動くんです」
雅楽さんが扇子で獅童さんの顔を扇いだ。起きない。
「まあ、今日はゆっくり寝かせてあげようよ。明日からまた走り回るんだから」
泉水さんが薬草の整理をしながら、睦月さんのほうを見た。
「織姫はどうでしたか」
「……強かったです。糸が、どこにでも届く」
「でも逃げ切った」
「泉水さんのおかげです」
泉水さんが「僕は蔦で糸を押さえただけですよ」と言った。睦月さんは首を振った。それ以上は言わなかった。
白夜さんが横から口を挟んだ。
「織姫は厄介だが、あいつには癖がある。巣を張るのが好きだ。待ち伏せ型。——こっちから仕掛けなきゃ、向こうから追ってはこない」
「……はい」
「明日は近づくな。あいつの縄張りに入らなきゃいい」
素っ気ない言い方でした。でもね、あれは白夜さんなりの助言ですよ。あの人が具体的な注意を口にすること自体が珍しいんですから。
睦月さんは頷いたきり、何も言わなかったそうです。
ただね。あたしには、あの沈黙が、納得して黙った沈黙には見えませんでした。
近づかなければいい。入らなければいい。——そんな相手ばかりなら、誰も苦労しませんからね。




