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第21話 選別

 集合場所は東山の中腹、杉の大木が三本並ぶあたりでした。


 申の刻が近い。


 先に着いていたのは三人です。


 白夜さんは杉の根元に背を預けて座り、雅楽さんは少し離れた岩に腰かけて扇子をぱちぱち鳴らしている。獅童さんだけが立ったまま、南の山道を見ていました。二刀を背負ったまま、じっと。


 日が傾きはじめて、木立のあいだの光が赤く細くなっていく。


「……遅えな」


 白夜さんがぼそりと呟いた。


「まだ少しあるよ」


 雅楽さんは軽く言ったが、視線は山道から外さない。


「あの鴉の子、初日にあの化け物から逃げ切ったんだろう? そう簡単には死なないさ」


「卯之助のことか。まあ、あれ相手に生き残ったなら大したもんだ」


「泉水さんもいるしね。あの人、見た目よりずっと頼りになる」


 獅童さんが不意に言った。


「来たぞ」


 山道の下から、二つの影が上がってくる。


 睦月さんが先でした。足取りは崩れていない。ただ、頬に布が当ててあって、そこに血が滲んでいる。右手には短刀。左手には、欠片。


 その半歩後ろを泉水さんが歩いていた。顔色は白いが、こちらも足取りはしっかりしている。


 白夜さんがうっすら目を開けた。


「……遅かったな」


「すみません。少し手間取りました」


 睦月さんはそう答えて、三人を順に見た。白夜さん、雅楽さん、そして最後に獅童さんのところで視線が止まる。


「……どなたですか」


 もっともな疑問です。


 獅童さんは待ってましたとばかりに一歩前へ出た。足を開き、胸を張り、背中の二刀が夕日を弾いている。


「俺様か? よくぞ聞いてくれた! 我こそは——」


「獅童。河童。二刀使い。以上」


 白夜さんが杉にもたれたまま、欠伸まじりに言った。


「おい! 俺の名乗りを横取りするんじゃねえ!」


「長いんだよ、お前の名乗り」


「長くねえだろ! はじめましての場ではちゃんとやるもんなんだよ!」


 獅童さんは舌打ちして、それから改めて睦月さんに向き直った。


「……まあいい。今日から仲間だ。よろしくな」


「……よろしくお願いします」


 睦月さんは小さく頭を下げた。


 雅楽さんがぱちんと扇子を閉じる。


「自己紹介は宿でゆっくりやろうよ。それより——欠片は?」


---


 五つ。


 白夜さんが三つ。睦月さんが一つ。泉水さんが一つ。


 合わせて五つ。ちょうど五人分でした。


 雅楽さんが扇子の先で数える。


「一、二、三、四、五。よし、全員分ある」


 五つの欠片が、それぞれの手の中で脈を打っている。


 とくん。とくん。


 わずかにずれた拍動が、夕暮れの山の静けさに重なった。


「……やっぱ気味悪ぃな」


 獅童さんが顔をしかめて握り直す。


「もうすぐだ」


 白夜さんが空を見上げた。


 太陽はもう稜線にかかっていた。橙が赤紫へ沈み、昼と夜の境目が山を満たしていく。


---


 二回目の贄の刻は、一回目と同じでした。


 同じだから、余計に嫌なんですよ。


 風が止む。虫の声が消える。杉の梢がぴたりと動かなくなる。


 音がなくなった山の中で、影だけがにじみ出した。


 杉の根元から。岩の割れ目から。五人の足元の暗がりから。


 黒い手が伸びる。


 輪郭の揺らぐ、人の形をしたものが、五人の前に一体ずつ立っていた。顔はないのに、こちらを見ているのがわかる。


 影の手が懐を探る。


 冷たい。


 触れられたところから骨まで凍るような冷たさが走り、白夜さんの手から欠片が引き抜かれた。


 同じことが五人全員に起こる。


 誰も声を上げなかった。獅童さんだけが歯を食いしばり、触れられた腕をもう片方の手で掴んでいた。皿の水が、かすかに震えていたそうです。


 影は欠片を回収すると、出てきたときと同じように暗がりへ溶けていった。


 その途端、風が戻る。


 虫が鳴き出し、杉の梢がざわめく。


 空には赤い月が四つ。


 昨夜は五つだった。ひとつ減っている。


 刻印の数字は消え、また読めない紋様へ戻っていた。


「……終わったか」


 白夜さんが息を吐く。


「慣れるもんじゃねえな」


---


 山を下りかけたときです。


 日はほとんど落ちていて、空の端にだけ赤みが残っていました。あとはもう紫です。杉林の中は暗く、五人は自然と一列になって歩いていました。


 その先頭近くで、獅童さんが足を止めた。


「おい」


 声が低い。


「……なんか、いるぞ」


 全員が止まる。


 杉の幹のあいだは黒く沈んでいて、何も見えない。けれど、音がしました。


 山の裾。町に近いほうから。


 短い悲鳴。


 男の声でした。


 その声は途中で、ぶつりと切れた。


 暗がりの向こうで、大きなものが動く。


 木々のあいだを滑るように、四つ足の影が横切った。


 あたしが一日目の終わりに話したでしょう。東山の森で、何者かが参加者を食い殺したって。あのときはまだ正体を誰も知らなかった。でも、二日目の夕暮れに、白夜さんたちはそれを見たんです。


 いや——正確には、暗がりの向こうの影だけを。


 虎に似ていました。


 ただし、虎にしては大きすぎる。肩の高さが人の背丈ほどもある。輪郭はぶれていて、毛並みも牙もはっきりしない。影でできた虎みたいなもの。


 その口に、人の身体がぶら下がっていました。


 贄の刻を生き延びた参加者だったんでしょう。


 欠片を渡し終えて、もう一息ついていたはずです。助かったと思って、山を下りていたはずなんです。


 けれど、まだ終わっていなかった。


 獣が顎を閉じる。


 骨の砕ける音がした。


 湿った音。肉が裂ける音。何かを噛みちぎる音。


 五人は動けませんでした。


 いや、動かなかったと言ったほうが正しいかもしれません。あれに気づかれたら終わりだと、全員わかっていたからです。


 獣はあっという間に食べきってしまいました。


 食べ残しはない。


 人ひとり分の命が、暗がりの中から消える。


 ——消えたわけじゃないんですよ。


 獣が去ったあと、また影が来たんです。


 贄の刻のときと同じ黒い影が、地面の暗がりから滲み出してきて、残された血と、肉の欠片と、獣が踏み荒らした跡まで、まとめて飲み込んでいった。


 儀の最中に死ねば、影が引きずり込む。


 贄の刻のあいだだけじゃない。いつでもです。死んだ瞬間に、血も肉も痕跡も、何も残さず持っていく。


 あとには杉の落ち葉と湿った土の匂いだけが残りました。


 さっきまでそこに人がいたことを示すものは、何ひとつなかった。


「——行くぞ」


 白夜さんが低く言った。


 それだけで、全員が動いた。足音を殺し、獣道をひたすら下る。誰も後ろを見なかった。


 山の下まで降りたところで、ようやく雅楽さんが口を開く。


「白夜さん。……あれは何だい」


「俺にもよくわからねえ。前の儀にもいた」


 短い答えでした。


 それ以上、誰も聞きませんでした。あの場では、それで十分だったんでしょう。


 少し遅れて、後ろから獅童さんの声がした。


「……あんなのに、勝てるのかよ」


「勝つ必要はねえ」


 白夜さんは振り向きもせずに言う。


「見つかったら逃げろ。それだけだ」


 あの人がああいう言い方をするときは、本当にやばいんですよ。面倒くせえ、とも言わない。ただ逃げろ、とだけ言う。


 やがて町の灯が見えてきました。


 裏通りの行灯。味噌の匂い。どこかの家から赤ん坊の泣き声。


 山の上で何が起きていたかなんて、非参加者の町は何も知らない。


 ——そのころ、二条城では別の勘定が始まっていました。


---


 二条城の夜は静かです。


 本丸の一室。金箔の襖に囲まれた座敷で、将軍——徳川家治公は、その日集まった欠片を眺めていたそうです。


 畳の上に布が敷かれ、その上に土器の破片じみた神器がいくつも並んでいる。形も大きさもばらばらなのに、どれも生き物みたいに脈を打っている。


 とくん。とくん。


 将軍はそのひとつを指先でつまみ上げた。怖がりもしない。嫌がりもしない。碁石でも眺めるみたいな顔です。


「本日の集計は」


 控えていた田沼が巻紙を開く。


「現時点で、城内保管が七。景虎殿の手元に一。外回りの者が持ったまま戻っていないものが三。合計十一にございます」


「ふむ。昨日より減ったな」


「欠片そのものの数が減っておりますゆえ」


「ならば、拾えぬ者が出るのも当然か」


 惜しむ声じゃありませんでした。


 部下が死ぬかもしれない話をしているのに、帳面の端数を聞くみたいな声です。


 田沼は巻紙の下のほうに目を落とした。


「本日、二つ以上を確保した者が四名。一つのみの者が六名。未確保が九名」


 将軍は欠片を布の上へ戻した。


「一つのみの者は、明日から外に回せ」


 その場ですぐ意味が飲み込めなかった者もいたそうです。


 けれど、景虎はそこで一度だけ目を伏せた。


 わかっていたんでしょう。


 “外に回す”ってのは、そういうことです。欠片が足りなくなったとき、先に切られる側へ置く。危険な場所へ回す。守りの薄いところへ出す。取れれば生きるし、取れなければそれまで。


「二つ以上持ち帰る者を優先しろ。一つしか拾えぬ者に、明日の席は要らぬ」


 景虎が低い声で言ったそうです。


「その中には、古くより仕えてきた者もおります」


 将軍は顔を上げた。


「それが何だ」


「……」


「働きは働き。結果は結果だ。拾えぬ者を抱えても、余の席は増えぬ」


 景虎は黙りました。


 馬鹿じゃないんです。欠片が足りない以上、誰かを切るしかないことくらい、とうにわかっている。


 そこで田沼が、さらりと口を挟んだ。


「では、そのように手配いたします」


 巻紙の端に、何人かの名の横へ印がつけられる。


 それだけのことなんですがね。ああいう手つきが、一番冷たい。


 部屋の隅には時継もいたそうです。


 影武者です。畳の縁のほうで小さくなっていたらしい。目の前で将軍が人の生き死にを勘定して、景虎が黙って従い、田沼が平然と名に印をつけていく。


 怖かったでしょうよ。


 将軍はやがて、欠片をもう一度並べ直した。


「明日はさらに減るな」


「おそらくは」


「ならば尚更、使える者だけ残せ」


 とくん。とくん。


 欠片が脈を打つ。


 将軍はそれを見下ろしたまま、何でもないことのように言ったそうです。


「ふるいにかけられておるのだ。余も、家臣も、賊も、妖怪も。——残るべきものだけが残る」


 立派に聞こえるでしょう。


 でもね、ああいうことを平然と言える人間は、自分がふるい落とされる側に回るつもりがないんですよ。


 ——さて、次の話にしましょう。

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