第18話 天下一
雅楽さんが一人で嵐山のほうに向かったのは、もう朝の四つ時を過ぎた頃だったそうです。
雅楽さんの目的は、欠片そのものじゃない。欠片を見つけた参加者を見つけること。
横取りじゃありませんよ。——いや、横取りですね。でもまあ、雅楽さんの言い方を借りると「効率的な資源配分」だそうです。商人としては耳に心地いい響きですが、やってることは泥棒ですよ。
町をぶらぶら歩きながら、雅楽さんは人を探していた。欠片を持って移動している参加者。できれば、もうすぐ誰かに奪われそうな参加者。漁夫の利を拾うには、魚を釣ってる鳥を見つけなきゃいけない。
嵐山に近い辺り。竹藪が多い地域を抜けて、桂川沿いの道に出たところだったそうです。
声が聞こえた。
「なあ、頼むよ」
太い声。一つじゃない。何人かの声が混ざっている。
「俺たちも生き残りたいだけなんだ。な? わかるだろ?」
雅楽さんは足を止めた。
河原の開けた場所で、五人の男が二人の参加者を取り囲んでいた。寄せ集めの徒党。刀や棍棒を持っている。数の暴力で欠片を巻き上げる手合いです。
囲まれている二人のうち、一人はもう動かなかった。血が河原の石に染みている。もう一人は若い商人。欠片を両手で握りしめて、体を丸めている。
「なあ、こうなりたくないだろ?」
先頭の男が、地面に転がっている体を顎で示した。
「一個でいいんだよ。一個」
若い男の手が震えている。欠片を差し出そうとして、引っ込めて、また差し出そうとしている。渡したら自分が死ぬ。渡さなくても殺されるかもしれない。
「おい、さっさとしろよ。待ってやってんだぜ、これでも」
男の一人が棍棒を肩に担ぎ直した。笑っている。
雅楽さんは茂みの陰から見ていた。扇子を開いて口元を隠して。飛び出す人じゃない。戦えないんですから。
五人の行き先をつけて後から漁夫の利を狙うか。
そのとき、河原の上のほうから声が降ってきた。
「——五対一で縛って蹴って欠片巻き上げるたあ、ずいぶんご立派な戦い方じゃねえか」
でかい声でした。隠れる気がまるでない。
河原を見下ろす土手の上に、河童が立っていた。
薄緑の皮膚。頭に皿。背中に二本の刀を交差して背負っている。
五人が見上げた。
「あ? なんだてめえ」
「聞こえなかったか? てめえら、恥ずかしくねえのか。五人がかりで丸腰の人間いたぶってよ」
河童は土手の上から飛び降りた。砂利の上にどすんと着地して、背中の二刀を抜いた。
獅童さんです。
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獅童さんってのはね、見た目の印象と中身が一致してるような、してないような、不思議な妖怪でしてね。
声がでかい。態度もでかい。自信だけはやたらとある。でも、その自信に見合うだけの腕があるから始末が悪い。
五人の男たちは最初、笑ってましたよ。河童一匹、怖くもなんともない。
「河童が何しゃしゃり出てきてんだ。水の中で相撲でもとってろよ」
「そうだそうだ。尻子玉でも抜いてろ」
獅童さんは二刀を構えた。
「尻子玉は後で抜いてやるよ。——まずはその汚え根性叩き直してやる」
先頭の男が棍棒を振り下ろした。
獅童さんの右の刀が弾いた。同時に左の刀が男の脇腹を薙いだ。浅い。殺してはいない。でも、男がよろめいた。一拍。二人目が斬りかかる。三人目も。
二刀が回った。右で受けて、左で返す。左で受けて、右で突く。足元は砂利で不安定だが、獅童さんの足捌きは確かだった。水辺の河童は足場を選ばない。
ただ、五人は多い。
三人の攻撃を捌いている間に、残りの二人が左右に回り込んだ。挟撃。獅童さんは後ろに跳んだが、石に足を取られて体勢を崩した。
棍棒が肩を打った。獅童さんの体が傾ぐ。
「おらぁ! 調子乗ってんじゃねえぞ河童!」
蹴りが腹に入った。獅童さんが膝をついた。でも刀は離さない。
「くっ——なめ、んな……!」
獅童さんが歯を食いしばって立ち上がろうとしたとき。
蒼い炎が、河原の石の上を走った。
先頭の男の足元に火が弾けた。男が飛び退く。他の四人も距離を取った。蒼い火は水をかけたくらいじゃ消えない。石の上でちらちらと燃えている。
「——あいつ、あの時の河童だな」
土手の上から声が降ってきた。二人目の。
白夜さんが土手の縁に立っていた。腕を組んで、面倒くさそうに下を見ている。左腕の包帯が秋風に揺れている。
雅楽さんが茂みの陰から顔を出した。
「ちょっと……なんでいるの、白夜さん。高台に行ったんじゃ」
「あの河童の声がでかすぎて、遠くからでも丸聞こえだったからな」
「……そういう理由で来たの」
「暇だったし」
白夜さんは土手から飛び降りた。砂利の上に下駄が鳴る。
五人の男たちが後ずさった。蒼い炎。銀髪の狐。
「お、おい……あれ、不死の狐じゃ……」
「逃げろ!」
五人は河原を駆け上がって散っていった。二人は川の上流へ、三人は竹藪へ。後にはうずくまった商人の若者と、動かない死体が残った。
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若い商人は震えながら何度も頭を下げて、欠片を握りしめたまま河原を去っていった。もう一人のほうは——もう手遅れでした。
獅童さんが立ち上がった。肩を押さえている。棍棒で打たれたところが紫に腫れ始めている。
「——別に、俺一人でも大丈夫だったがな。助かったぜ」
「お前、昨日も見たぞ。鴨川沿いで猿と取っ組み合いしてた河童だろ」
獅童さんの目がぱっと開いた。
「俺を知ってるのか!」
「知らねえよ。遠目に見ただけ」
「そうか、俺のことは知らねえか。——よく聞け!」
獅童さんは二刀を鞘に収めて、一歩前に出た。足を開いて、胸を張って、肩を打たれた腕をかばいながらも、それはもう堂々と。
「我こそは——貴船の沢に生まれし侍! 鞍馬の山風に鍛えられ、嵐山の急流に磨かれ、洛中洛外にその名を轟かす——」
白夜さんが欠伸をした。
「——鯉も鮎も一刀両断! 岩魚にも負けず、鯰にも負けず——」
「それ魚の話になってねえか」
「うるせえ! 最後まで聞け! ——天下無双! 二刀一閃! 百戦百勝負け知らず! 河童界一にして天下一! そう、俺の名は——」
獅童さんは二本の刀を抜いて、頭上で交差させた。歌舞伎の見得ですよ。
「——獅童! 以後お見知りおきを!」
河原に沈黙が落ちた。川のせせらぎだけが聞こえる。
白夜さんが目をぱちくりさせている。
「……長えな」
「長くねえだろ! これでも端折ったんだぞ!」
「で、お前強いの?」
「ああ!? 見てなかったのかよ! いま五人相手に——」
「ぼこぼこにされてたな」
「あれは——あれは足場が悪かったんだ! 水辺なら話は別だ! つーか、五対一だろうが!」
「そのわりにぼろぼろだな」
「ああん!? 尻子玉引っこ抜くぞコラァ!」
雅楽さんがね、茂みから出てきて、ぱちんと扇子を閉じたそうです。
「獅童さん、だっけ。僕たちと組まない?」
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獅童さんは渋りましたよ。当然でしょう。見ず知らずの人間と狐に「組もう」と言われて、はいそうですかと頷くほうがおかしい。
「俺は一人でやれる。組む理由がねえ」
「欠片は?」
「……これから探す」
「もう昼前だよ。六十のうち幕府が五十近く持っていく。残りを三十人以上で取り合う。一人で探して見つかると思う?」
「…………」
「僕は戦えない。でも、幕府の動きが読める。あなたは剣が立つ。僕が見つけて、あなたが守る。——悪くない取引だと思うけど」
獅童さんは白夜さんを見た。白夜さんは砂利の上に座り込んで、空を見ている。助け舟を出す気はないらしい。
「……一つ聞くが」
「どうぞ」
「お前ら、なんでこんなことしてんだ。組んで、欠片集めて。——勝ちてえのか? 不死が欲しいのか?」
雅楽さんは少し考えたそうです。扇子の影から覗く猫目が、少しだけ真面目になった。
「生き残りたいだけだよ。僕も、仲間も。——あなたは?」
「俺は——」
獅童さんは後頭部を掻いた。皿のふちを指先でなぞる癖があるようでした。
「……俺も、死にてえわけじゃねえよ。帰んなきゃいけねえ場所がある」
それだけでした。それ以上は言わなかった。
雅楽さんはぱちんと扇子を閉じた。
「じゃあ、決まりだね」
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さて、獅童さんがどういう経緯でこの儀に巻き込まれたか。あとから聞いた話ですがね。
河童の里。貴船の沢の奥にあるそうです。あたしは行ったことありませんが、澄んだ水が流れてて、苔むした岩が積み重なってて、木漏れ日が水面にちらちら落ちて——まあ、河童が住むにはいい場所だったんでしょう。
ただ、最近は人間の生活圏がどんどん広がっていましてね。
田畑が増えて、水路が引かれて、川の流れが変わる。山が削られて、木が伐られて、沢が枯れる。河童だけじゃないんですよ。天狗も、狸も、狐も。妖怪が暮らせる場所が、じわじわと狭くなっている。
長老たちは「しかたあるめぇ、時代の流れじゃ」と諦め顔だったそうです。
獅童さんは諦めなかった。
「俺がなんとかする」
長老が止めた。「やめとけ、無駄じゃ。人間の奉行になにを言ったところで——」
「やってみなきゃわかんねえだろ!」
それで獅童さんは一人で京都に来た。奉行所に直談判しに。河童の住処を守るために。——まあ、門前払いですよ。当たり前です。妖怪が奉行所に押しかけて「うちの沢を返せ」なんて言ったって、取り合うわけがない。
追い返されて、途方に暮れて、桂川のほとりをぶらぶら歩いていたら——影の手に掴まれた。
それだけです。
不死が欲しいわけでもない。戦いたいわけでもない。ただ帰りたいだけなんですよ、あの河童は。仲間のところに。
でもね、帰るためにはまず、生き残らなきゃいけない。
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ここから先は駆け足で話しますよ。
白夜さんは高台に戻り、雅楽さんと獅童さんは西の町を探索した。
雅楽さんと獅童さんの探索は、なかなかうまくいったそうです。
雅楽さんが幕府の動きを読んで、手薄な方角を選ぶ。他の参加者が検知を使って走り始めたのを遠目に確認してから、その後を追う。相手が手探りで迷っているあいだに、獅童さんが先回りして欠片を拾う。
「これ、けっこう楽しいな」
獅童さんが二つ目の欠片を懐に入れながら言った。
「楽しいかどうかはともかく、効率はいいね」
「さっき俺が先に走ったのを見て、あの浪人が追っかけてきただろ。あれ、俺をおとりにしたろ」
「してないよ。獅童さんが速すぎて、結果的にそうなっただけ」
「嘘つけ。お前ぜってえ計算してた」
「さあ」
雅楽さんは扇子で口元を隠した。獅童さんは舌打ちしたが、怒ってはいなかった。
「あ、一つ聞いていい?」
「なんだ」
「さっき、あの五人にわざわざ声かけたでしょ。黙って通り過ぎることもできたのに」
獅童さんは少し黙った。皿のふちを指でなぞった。
「……見て見ぬふりってのが、性に合わねえんだよ」
雅楽さんは扇子の陰で、少しだけ笑ったそうです。
「なるほどね」
「あ? なにがだよ」
「いや、独り言」
——雅楽さんが欲しかったのは、腕の立つ用心棒だけじゃなかったんだと思いますよ。腕が立って、なおかつ仲間を売らない人間。そういうのは、頭の良さだけじゃ見抜けない。目の前で損な選択をするところを見て、初めてわかる。
——さて。次は南に向かった睦月さんたちの話にしましょう。




