第14話 三人分の膳
三人が店に着いたのは、もうとっぷり暮れてからでした。
あたしは台所にいました。秋刀魚を焼いてたんですよ。炭の上で、脂がじゅうじゅう落ちて、煙が上がっている。皮が端からぱりぱりに焼けていく。
表の戸ががらりと開いた音がして、振り返ったら三人でした。
三人。
四人で出て、三人で帰ってきた。
白夜さんが先頭。左腕に包帯。泉水さんが次。顔色が白い。最後に睦月さん。泥だらけで、口元が固く結ばれていた。
あたしは秋刀魚をひっくり返しました。
何も聞きませんでしたよ。三人の顔を見れば、何があったかはだいたいわかる。わからなくても、聞くのは今じゃない。商人はね、間合いを読むのが仕事なんです。
「はいはい。座んなさい」
三人が奥の座敷に入る。草鞋を脱ぐ音。刀を置く音。畳に座る音。
あたしは膳を運びました。
秋刀魚の塩焼き。大根おろし。栗と鶏の炊き込み飯。蕪と油揚げの味噌汁。蓮根のきんぴら。——それと、漬物。あたしが夏のうちに漬けた茄子のぬか漬けです。
「食べないと明日動けませんよ。死にたくなければ食べなさい」
「…………」
「お代は明日でいいですから。——嘘です、今日いただきます。命懸けの一日の後の飯は格別でしょう。特別料金ですけどね」
「お前なぁ」
白夜さんが呆れた声を出した。でもね、箸はもう手に取ってるんですよ。何も言わずに秋刀魚の腹に箸を入れた。皮がぱりっと割れて、脂の乗った白い身が見える。口に運ぶ。無言で噛んで、飲み込む。炊き込み飯をかき込む。味噌汁を啜る。
泉水さんが睦月さんのほうを向いた。
「食べましょう、睦月さん。体が資本ですから」
睦月さんは膳の前で動かなかったそうです。しばらく。
それから箸を取った。あの日の朝——初めてうちの飯を食べたとき、面を少しだけ上げて、鼻から下だけ見せて食べていた。今は素顔のまま。でも箸の動かし方は同じでした。
箸を取った。秋刀魚に箸を入れた。
口に運んだ。
噛んで、飲み込んだ。
「…………」
味噌汁を啜った。蕪が柔らかく煮えている。油揚げから出汁が染み出す。
炊き込み飯を一口。栗がほくほくと崩れる。鶏の脂が米に絡んでいる。
睦月さんの箸が、少しだけ速くなった。
何も言わなかった。おいしいとも、ありがとうとも。でも箸が速くなった。あたしにはそれで十分ですよ。
奥から小鈴が出てきた。お茶を持って。
「お兄ちゃん、今日くらいは普通の値段にしてあげなよ」
「何言ってるんですか。うちは慈善事業じゃないんですよ」
「でも——」
「普通の値段ですよ。いつもと同じ。——いつもと同じ値段で、いつもと同じ飯を出す。それだけです」
小鈴はあたしの顔を見て、それから三人の顔を見て、何か言いかけてやめた。黙ってお茶を配った。
あたしが言いたかったのはね、特別扱いはしないってことなんですよ。
人が死んだから安くする。それは追悼じゃなくて同情です。同情されて飯がうまくなるなら安くしますよ。でもそうはならない。飯は飯の値段で出す。明日も明後日も、生きてる限り金を取る。——それがね、あたしなりの、生きていけという言い方なんですけど。
まあ、伝わらなくてもいいんです。飯がうまけりゃそれでいい。
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飯を食い終えた後のことです。
泉水さんは座敷の隅で薬草の整理をしていた。今日使った分の補充だけじゃない。明日、何が起きてもいいように、毒消し、止血、痛み止め、種類ごとに分けて、笹の葉に包んで並べている。白夜さんの腕の包帯を替えて、新しい薬草を当てていた。
「泉水さん、いつもそんなに準備してるんですか」
睦月さんが聞いたら、泉水さんは少し笑って「準備が大事ですから。備えあれば、でしょう?」と答えたそうです。
小鈴が膳を下げにきた。睦月さんの膳はきれいに空になっていた。漬物の皿まで。小鈴がそれを見て、少しだけ笑ったそうです。
睦月さんは座敷の柱にもたれて、刀の手入れをしていた。短刀の刃を布で拭いている。いつもの動作。任務の後にやる、いつもの。
「……白夜さん」
「ん?」
白夜さんは壁にもたれて目を閉じていた。寝てるのかと思いきや、返事はする。
「教えてください。火の術を」
「無理」
即答でした。
「お前には無理。才覚の問題じゃなくて、相性だ。火の術は妖力で起こす。お前は人間だろ。体の構造が違う」
「……では、何か他の術を——」
「お前さ」
白夜さんが片目を開けた。
「なんで急に術なんか覚えたがるんだよ」
「……弱いからです。私は弱い。今日、清十郎さんを——」
「弱くねーよ」
白夜さんの声はぶっきらぼうだった。
「お前は弱くない。剣は速いし、間合いの取り方もいい。鴉衆で何年も鍛えてきたんだろ。——あの力士に差しで勝てないのは当たり前だ。あの化け物に正面から勝てる剣士なんかそうそういねえよ」
「でも——」
「お前の問題は弱いことじゃなくて、ビビってることだ」
睦月さんの手が止まった。刀を拭く手が。
「剣を振るときに迷いがある。踏み込みが浅い。急所を狙えるのに手前で止まる。あれは技術の問題じゃねえ」
「…………」
「まあ、俺に言われたくはねえだろうけど」
白夜さんはそれだけ言って、目を閉じた。
睦月さんは黙って刀を鞘に収めた。
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夜が更けていきました。
泉水さんはいつの間にか眠っていた。薬草の束を抱えたまま、壁にもたれて。
白夜さんも目を閉じていた。寝ているのか起きているのか、あの人はわからない。
睦月さんだけが起きていたそうです。
座敷の窓から外を見ている。空に赤い月が五つ。あと五日。五日で——何人が消えるのか。
欠片は明日からもっと減る。参加者も減る。でも将軍の手勢は組織的に動いている。織姫も卯之助もいる。
そして清十郎さんはもういない。
四人が三人になった。
明日から、この三人で生き残らなければならない。
睦月さんは膝を抱えていた。素顔の十七歳。短刀のある手。刀ダコのある掌。
目を閉じると、清十郎さんの最後の顔が浮かぶ。影に沈んでいく顔。額の古い傷。
任務を、全うしろ。
睦月さんは目を開けた。
横になった。
眠れたかどうかは——あたしにはわかりませんよ。
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さて、一日目の夜の話をもう一つだけ。
これはね、あたしも白夜さんたちも知らなかったことです。ずっとあとになってから聞いた話。
東山の奥。杉林が深くなるあたり。夜の森は昼とは別の場所です。月明かりも届かない。木の根が闇の底でうねっている。虫の声すら遠い。
そこに——何かがいた。
参加者の一人だったそうです。屈強な男。武器を持って、仲間と二人で夜を越そうとしていた。焚き火をして、交代で見張りをして。
何かが木の間を動いた。
大きい。焚き火の明かりが届かないほど遠くにいるのに、影だけが見えた。木々の隙間を滑るように動く、黒い巨大な影。四つ足。低い。しかし、大きい。
見張りの男が立ち上がった。
「——何だ」
答えはなかった。影が消えた。木々の向こうに。
風が止んだ。虫の声が消えた。
焚き火が揺れた。横から風が来たんじゃない。上から。何かが頭上を通過したように、火が一瞬だけ伏せた。
見張りの男が上を見た。
——何も見えなかった。
でもね、その男はそこで逃げたそうですよ。仲間を置いて。理屈じゃなくて、体が動いた。本能が、ここにいたら死ぬと叫んだ。
背後で、仲間の悲鳴が聞こえた。短い悲鳴。すぐに途切れた。
それから、何かを噛み砕く音。
男は振り返らなかった。夜の森を、転びながら走った。
朝になって——焚き火の跡に戻ってみると、そこには何も残っていなかったそうです。仲間の体も、血の跡も、何も。ただ、焚き火の周りの地面に、深い爪痕が四本、残っていた。
虎の爪です。ただし——虎にしては、大きすぎた。
一日目の「贄の刻」が終わった直後に現れた、最初の獣。
あたしがこのことを知ったのは、ずっと先のことです。あの夜、あたしは台所で皿を洗っていた。窓の外に赤い月が五つ。虫の声を聞きながら、湯気の立つ盥に手を突っ込んで、皿を一枚一枚洗っていた。
その同じ夜に、東山の森で何が起きていたか。
知らなくてよかった。知ってたら、皿を洗う手が止まっていたでしょうからね。
——さて、一日目が終わりました。
長い一日でした。あたしにとっても、あの三人にとっても。
でもね、これはまだ始まりなんですよ。六日間の祭りの、まだ一日目。あと五日残っている。
赤い月が、あと五つ。




