爾、戒めよ
晋は勝利を納めた。
皆が戦勝の喜びに沸く中、一人沈痛な顔をした士燮は、主君厲公の馬前に立った。これが、最後の諫言であった。
「君よ、そして左右の者達よ、戒めなければなりません。徳は幸福のもとです。徳が無いのに福があるのは、土台が無いのに厚い壁が乗っているようなもの。あっという間に壊れてしまいますぞ」
その言葉が果たして厲公の心に届いたのか、士燮には自信がない。
この戦役から帰ってから、士燮はがっくりと老けこんだようになった。彼は一族の者を集めて言った。
「君公はおごり高ぶっていて功績がある。徳によって勝利を得た者でさえそれを失うのを恐れるというのに、おごり高ぶっていてはどうしようもない。君公には個人的に寵愛している家臣が多い。戦に勝って帰国した今、きっとそれらを取り立てるであろう。君公と個人的に親しい者が高位に登れば、必ず軋轢があって乱が起こる。私はそれに巻き込まれたくはない。我が一族の者達よ、私の死を願ってくれ。死すれば乱に巻き込まれることはないのだから」
士燮が最後に願ったのが子孫のことではなく、我が身の平穏な死であったことの背景には、戦陣において感じた我が子への失望があったのかもしれない。
翌年の夏、士燮は自身の願い通り、その生涯を閉じた。
そしてまさにその年の冬、変事は起こった。大族郤氏が族滅の憂き目を見、君主である厲公もまた、家臣に殺されて門の外に埋葬されるのである。
士会と士燮は、親子二代に渡って、一族と国の平穏を願い続けた者達であった。
しかし彼らの必死の訴えは時の流れの中に飲みこまれ、士氏の家もまた、乱を起こし滅ぼされる時を迎える。
そして彼らの祖国、晋も、臣下である韓氏・魏氏・趙氏に分割され、まさに内側から瓦解する運命を辿るのである。