泣きたい綾乃
余計な注釈かも知れないけれど、綾乃は「おばさん」だと思っていない。自分が「おばさん」なものか。毎度シャワー後の鏡を見ては、これならばと、いつ誰とでも勝負する自信を新たにすべく努めているのだ。
続けて問いただす介護リーダー。「じゃ、彼女のは嗅がないの?」
そうやってリーダーは探りをいれるのだろうか。
「ね、彼女のは?」
「僕、彼女はいません」
佐野は考えてから、そう返答した。
「いないの?」
「は」
「一度も?」
「前は」
綾乃は、「そう」と返した。
そう、と返した声が、いつもの自分と違って聞こえた気がする。
「じゃ、男も女も関係なく、誰のでも嗅ぐってこと?」
「前は」
「今は?」
彼はまた、テーブルの上のマチョッパーズを見る。
「今は、木下リーダーだけです」
「それで?前の二足、どうしたの」
「…」
「持ってるんでしょう?」
「は」
「次の出勤日に返して」
言われたほうの顔が曇る。
「返して。わたしのだもん」
「あ。は」
「今日はこれも返して」
テーブルに置いた人参色の物に綾乃の手がのびた。
それに合わせて、佐野の両手が微動というほどの反応を示した。
取り戻そうと反応したのではない。
けれど、綾乃には分かった。本当は、持っていたいのだ。持って帰りたいのだ。
「施設長に言うかどうかは、あとから考える」
「は」
「警察もね」
「は」
「わたし、帰ったら泣くかも」
「すみません」
「泣いたら佐野君のせい」といって膨れる。と、また涙が出そうになる。
「ここで泣いていい?」
「それはちょっと」
「は、じゃなくて?」
「はい」
休憩室を出るとき、ふりかえって佐野を見た。
脚の長い、肌のきれいな青年。肩を落として椅子に掛けている。ゴルゴンゾーラを失って、しょげている。
しょげた姿が扉の向こうに隠れていく様子を見ながら、その扉を閉めた。




