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第5話_その袋はだれを守るのか

 認証タグは、最後の一度だけ役に立った。


 旧東部義体倉庫・第三棟の搬入口で、青い灯りが私の手元を舐める。錆びた扉が、嫌そうな音を立てて横へ開いた。


 直後、タグの表示が黒く焼ける。


「残り十二分」

「言わなくても焦ってる」


 カシェを連れて中へ滑り込む。


 巨大な円形床を、十を超える檻が囲んでいた。


 違法義体を食い込ませた人。鎮静剤で伏せられた魔獣。手足を固定されたまま、浅い呼吸を繰り返す三人の積載者。


 壁一面の配信画面には、ここにいない観客の言葉だけが流れている。


『次枠まだ?』

『女の方を先に出せ』

『倍率更新しろ』


 安全な場所から、人が壊れる瞬間だけを待っている。


 中央の処置台に、ユナはいた。


 手首と足首を固定され、首元には銀色の投与具。薄い病衣の下で、腕の筋肉が不自然に痙攣している。


 髪の間から、黒灰色の尖った耳が半分だけ覗いていた。頬から首筋には濡れた煤みたいな短い毛が浮き、指先の爪は黒く厚く変わりかけている。


 閉じた瞼の下で眼球だけが動く。鼻先が小刻みに震え、煙と血の臭いを探すように顔が揺れた。


「ユナさん」


 返事はない。

 喉の奥から、息と獣声の間みたいな音が漏れた。


 胸は浅く上下している。


 間に合った。

 まだ、たぶん。


 処置台へ駆け寄り、焼けかけた認証タグを手首側の留め具へ押し当てる。


 錠が一つだけ外れた。

 足首と首の投与具には反応しない。


「規格が違う」

「どっちから?」

「首。薬を止めたい」

「見てみる」


 カシェが投与具の継ぎ目へ指をかける。開けるのではなく、何本も走る管の中から、どれがユナへ入っているのかを探している。


 その時、倉庫中の画面が私たちを映した。


『侵入者を確認』


 無機質な声が天井から降る。


 円形床を見下ろす管制室に、黒い上着の男が立っていた。脇の管理画面には、管理者名らしいボルツ・ナギの表示。片手には配信端末、もう片方には非常操作盤がある。


「何だ。女一人と、変な連れか」

「この人たちを解放してください」

「そういう台詞は、もう少し強そうな奴が言うもんだ」


 配信画面の文字が一気に増えた。


『乱入イベント?』

『そいつも入れろ』

『早く始めろ』


 遠くで、白い魔導サイレンが鳴った。


 ボルツの顔から笑いが消える。

 操作盤へ手を落とした。


「事故枠へ切り替える。まとめて処分だ」


 檻の錠が、一斉に外れた。


 金属音が倉庫を一周する。


 肩から三本目の腕を生やした男が、最初に這い出した。次に、口へ拘束具をつけた四足の魔獣。別の檻では、皮膚の下を青い管が走る女が床へ爪を立てている。


 天井の噴出口から、黄白色の煙が落ちてきた。


「証拠も侵入者も消える。配信には設備事故と出せばいい」

「自分は逃げるんですね」

「お前が心配することじゃねえよ」


 管制室の後ろで、非常扉が開き始める。


 分かりやすい人だった。


「レン、首の管、こっち」


 ユナの身体が跳ねた。


 固定具が軋む。瞼が開き、細くなった瞳孔が私を通り過ぎる。黒い爪が処置台を引っ掻いた。


「リ、ザ……」

「大丈夫です。迎えに来ました」


 言った直後、三本腕の男が処置台へ突っ込んできた。


 横から体当たりして進路を逸らす。

 重さが違いすぎた。肩が痺れ、床へ転がる。


 煙の向こうから、四足の魔獣が現れた。


 ユナは動けない。

 他の檻からも人と魔獣が出てくる。


 隠れて変身できる場所はない。


 嫌だった。

 それでも、今は途中を見られたくないなんて言っていられない。


 腰の内ポケットから、小型の閃光震撼弾を抜く。荒れた店へ入る仕事のために残していた、最後の一個だ。


「カシェ、伏せて」

「うん」


 レンズの集まった天井の観測環へ投げる。


 私はユナへ覆いかぶさり、倒れた檻の側板を引き寄せた。


 白い閃光。

 遅れて、腹の底まで叩く破裂音。


 配信画面が真っ白に焼けた。管制室のガラス越しに、ボルツが顔を押さえる。三本腕の男と魔獣も動きを止めた。


 長くはもたない。


 私は倒れた檻と煙の陰へ滑り込んだ。

 カシェが本体の箱を差し出す。


「助ける系。人を運べるの」

「寄せるね。何が出るかな」

「今だけは、本当に外さないで」


 箱の中へ腕を入れた。


 指先に触れたのは、冷たく柔らかい殻だった。押すと少しへこみ、奥から鼓動みたいな震えが返る。


 引き抜き、噛み割る。


 塩水と、薄い血の味がした。


 箱が畳まれ、腰へ噛みつく。


 最初に喉が変わった。


 息を吸ったのに、空気が遠い。舌の位置が分からなくなる。歯列が奥へ引き、唇の感覚だけが前へ引き伸ばされていく。


 口元が硬くなる。

 長くなる。


「ユナさんを――」


 そう言ったつもりだった。


 外へ漏れたのは、濡れた金属板を震わせるような低い鳴き声だった。


 首の骨が、一つずつ引き離される。視点が持ち上がり、倒れた檻を越え、配信画面と同じ高さへ近づいた。


 肩が広がる。

 腕が重くなる。


 指先から肘、肘から肩へ、硬い羽毛板が重なった。腕を曲げると、膜と長い羽が大袖みたいに垂れる。


 背中に翼が生えたのではない。

 私の腕そのものが、人を抱く形を失っていく。


 次に、胸郭が内側から押し開かれた。


 肋骨の間が広がる。

 胸元が左右へ大きく膨らみ、前へ張り出す。別々だった感覚が、身体の中心でつながっていった。


 乳白色の膜を持つ、一つの大きな器官。


 柔らかい。

 けれど、外から押されれば硬く張れる。


 分かってしまった。


 ここに、人を入れられる。


 分かりたくなかった。

 でも、今は分かっていないと間に合わない。


 腹部は灰青色の硬い皮膚に覆われ、その下で腰が強く締まった。前へ張り出す胸郭を支えるように骨盤が広がり、太腿へ重い筋肉が積み上がる。


 膝の位置が変わる。足先は大きく広がり、厚い水かきと鉤爪が鉄床へ食い込んだ。


 全身が立ち上がる。


 頭が倉庫の梁へ届きそうだった。


 復旧しかけた画面の一枚に、白灰色の巨体が映った。


 長い嘴。落ち窪んだ眼窩。首筋の片側だけに垂れる灰青色の羽毛房。翼袖を折り畳んだ肩から、巨大な胸郭、強い腰、太い水鳥脚へ、人の輪郭だけが残っている。


 胸元では、左右に張り出した乳白色の保護嚢が中央でつながり、薄い膜の奥を脈打たせていた。首元と腰、翼袖の付け根にだけ、くすんだ薔薇色の縫い目が走っている。


 人を守るために、私はまた人から遠ざかっていた。


『ウスイロフクロドリ。かわいい』

『この状況で、どこが』

『おっきい袋』

『袋から離れて』


 配信画面の文字が、一瞬止まった。


 四足の魔獣が飛びかかってくる。


 私は翼袖を振った。


 腕を払っただけのつもりだった。

 倉庫の空気が、壁ごと動いた。


 黄白色の煙が裂ける。魔獣は床を滑り、空の檻へ横からぶつかった。三本腕の男も足を取られ、膝をつく。配信端末が何台も壁から剥がれた。


 強すぎる。


 逃げようとした被害者まで倒れかけ、反対の翼袖を床へ広げる。羽の内側へ二人が転がり込んだ。


『レン、加減』

『今覚えてる!』


 処置台へ近づく。


 ユナは立てない。皮膚の下で青い管が脈打ち、音と煙へ反応するたび身体が痙攣している。


 黒灰色の耳がさらに伸び、歯の隙間から尖った犬歯が覗いた。


 翼袖の内側で、そっと掬い上げる。


 胸元の保護嚢が、自分から開いた。


 膜の内側は温かい。ユナの身体を丸めるように包み、圧迫しない位置へゆっくり受け入れる。


 腕で抱いたのではない。

 胸の中へ抱え込んだ。


 重さがある。

 体温がある。

 浅い呼吸が、胸郭の内側へ直接触れてくる。


 気持ち悪い。


 それなのに、ここなら雛《ひと》を守れると身体の全部が確信していた。


 外の煙と音が遠ざかると、ユナの痙攣が少しずつ弱くなった。膜の内側には空気があり、呼吸も止まっていない。


 でも、ユナの心臓とは別の細かな震えが、胸の中を嗅ぎ回っている。


『何かいる』

『ユナさん以外に?』

『うん。入れられた因子。まだ混ざってる』

『取れる?』

『今はレンとつながってるから、手が届かない』


 守ることはできる。

 でも、このままでは終われない。


 私は低く鳴いた。


 倉庫を震わせる、水鳥の声。


 小型魔獣が一斉に足を止める。三本腕の男が耳を押さえ、運営員たちは武器を取り落とした。上階のガラスに細い亀裂が走る。


 非常扉へ逃げようとしていたボルツまで、肩をすくめた。


 私は水鳥脚で床を踏む。


 鉄板が沈み、非常扉の下枠が歪んだ。扉は半分開いたところで止まり、ボルツは狭い隙間へ肩を挟まれる。


「開けろ! 開けろって!」


 私は翼袖を広げ、残った被害者と出口の間に道を作った。


 煙がまた降りる。

 羽ばたいて薬液の霧を奥へ押し戻し、倒れた檻を転がして暴走個体との間を塞ぐ。


 嘴で出口を示し、翼袖の先で床を叩いた。


 被害者の一人が意味を理解した。隣の人を引き起こし、白く濁った出口へ走り出す。


 梁が軋んだ。


 非常操作盤が赤く点滅し、管制室を支えていた違法増築部分が傾く。配信画面が火花を散らし、太い梁が逃げ遅れた男の上へ落ちた。


 翼袖を差し入れる。


 重い。

 羽毛板の下で骨が鳴る。


 胸元の保護嚢が反射的に硬く張った。中でユナが小さく身じろぎする。


 落とせない。


 水鳥脚で鉄床を掴み、肩で梁を押し返す。


「白盾、展開!」


 梁の端が、横から差し込んだ半透明の盾に受け止められた。


 白い外套が煙の向こうへ降り立つ。


 白律魔杖《ブランシュロッド》。淡い橙色のバイザーに、警告と避難経路が走っている。


「全員、白線に沿って退避してください。動けない人はその場で伏せて!」


 白い魔杖が振られる。拘束帯が暴走個体の腕と脚を取り、別の白盾が薬液の噴出口を塞いだ。


 速い。

 正しい。


 私が支えていた梁へ、もう一枚の白盾が滑り込む。


 一瞬だけ重さが軽くなった。


 私は翼袖を抜き、梁の下にいた男を掬って白線の内側へ押し出す。


 白律魔杖と目が合った。


 橙色のバイザーが私の胸元を捉える。

 乳白色の膜の中に、ユナの人影が透けている。


『大型未確認個体が民間人を取り込み、逃走を――』


「違います。保護しています」


 白律魔杖は管制の声を遮った。


「対象は民間人を盾にしていません。浄化は待ってください」


 一瞬だけ、呼吸を忘れた。


 この人には、見えている。


 それでも、白い魔杖はこちらへ向いた。


「未確認個体。あなたが救助したことは確認しました」


 声は硬い。

 でも、さっきまでとは違った。


「内部の被害者を、こちらで保護させてください。そこで停止を」


 止まりたかった。


 けれど、胸の中では外来因子がまだ震えている。今ユナを外へ出せば、また暴走が進む。


『カシェ』

『まだ駄目。外へ出すと起きる』


「守っているんです」


 そう答えたつもりだった。


 倉庫に響いたのは、低く濁った鳴き声だった。


 白律魔杖の姿勢が沈む。


「第一限定解除。白帯《ブランシュバインド》」


 光の帯が床を走った。


 胸は狙わない。

 翼袖、肩、脚だけを拘束し、保護嚢を身体から分けようとしている。


 やり方まで正しい。

 だから、余計に困る。


 翼袖で胸元を覆い、後ろへ下がる。白帯が片方の翼へ巻きついた。


「抵抗をやめてください。被害者も、あなたも傷つけるつもりはありません」


 私も同じだ。


 床がもう一度揺れた。


 管制室の床が崩れ、ボルツが非常扉ごと円形床へ滑り落ちてくる。


「助けろ!」


 白帯が私から外れ、すぐにボルツの足首を取った。男の身体が床へ叩きつけられる寸前で止まる。


 白律魔杖は、迷わなかった。


 その隙に、私は積載棚へ足をかけた。


 飛べる身体ではない。

 でも、翼袖は空気を掴める。


 一段。二段。


 鉤爪で棚を登り、梁へ翼袖をかける。戻ってきた白帯が翼の付け根へ追いついた。


「待ちなさい!」


 止まれない。

 ここでユナを渡すこともできない。


 天井の採光ガラスへ向け、両脚で梁を蹴った。


 肩からガラスへ突っ込む。


 夜の雨が落ちてきた。


 白帯が採光枠へ食い込み、大半が千切れる。


 ただ、その先端だけが白い楔へ変わり、翼の付け根へ深く刺さった。


 痛みで鳴き声が漏れる。


 翼袖を広げた。


 飛べない。

 落ちる速さを鈍らせるだけだ。


 隣接した搬送庇へ重く落ちる。屋根がへこみ、雨水が跳ねた。


 白律魔杖はすぐには追ってこなかった。

 倉庫には、まだ逃がすべき人と捕らえるべき男が残っている。


 私は低い屋根を伝い、二つ先の旧搬送ヤードへ降りた。


 照明の消えたヤードには、錆びたコンテナと古い積載台しかない。


 人はいない。

 それでよかった。


『カシェ。ここでやるよ』

『うん。急いで』


 翼袖で積載台の雨水を払い、胸元の保護嚢を開く。


 冷たい空気が入らないように身体で囲いながら、ユナをそっと横たえた。


 膜から離れた瞬間、ユナの鼻が大きく鳴る。


 黒い爪が伸び、積載台を掻いた。髪の間から尖った耳がせり上がり、頬から首へ黒灰色の毛が広がり始める。


 時間がない。


 私はユナの横へ膝をつき、変身を解いた。


 長い首が縮む。

 嘴の感覚が顔の中心へ押し戻され、翼袖が指のある腕へ潰れていく。


 胸元の保護嚢が左右から萎み、肋骨の内側へ引き込まれた。


 最後に、ユナを抱えていた空間だけが消える。


 胸の中へ穴が開いたみたいだった。


 白い楔は、人間へ戻っても細い光の棘になって肩の奥へ残った。痛みに膝が揺れる。


 カシェが腰元から抜け出し、人型へ戻りながらユナの首元へ手を伸ばす。


「ユナさんのものまで取らないで」

「取らないよ。これはユナのじゃない」


 カシェの指先が、投与具の針跡へ沈んだ。


 皮膚を破っていない。

 それでも、身体の内側へ手を差し込んだように見えた。


 くすんだ薔薇色の縫い目が首筋を走る。黒灰色の毛の下へ潜り、鎖骨へ細く伸びていった。


 ユナの背中が弓なりに反る。

 人間の悲鳴に、獣の遠吠えが重なった。


「カシェ」

「外から入れられた方だけ。もう少し」


 縫い目の端を摘み、ゆっくり引く。


 ユナの首元から、黒灰色の糸が一本、皮膚を透り抜けるように現れた。


 引き出されるほど太くなる。

 濡れた毛を何百本も撚ったような束が、脈を打ちながらカシェの指へ絡んだ。


 血は出ていない。

 それでも、別の生き物の神経を身体から抜いているようで、見ているだけで喉が詰まる。


 黒灰色の束が抜けるたび、尖った耳が髪の中へ沈んだ。頬の毛は皮膚の下へ消え、厚くなっていた爪も人間の薄さへ戻っていく。


 最後のひと筋が外れた。


 ユナの身体から力が抜ける。

 呼吸が、ゆっくりと人間の速さへ戻った。


 カシェは糸の塊を両手の中へ集める。


 くすんだ薔薇色の膜が包み込み、継ぎ目のない小さな殻へ変わった。


 黒く濁ったカプセルが、一つ。

 半透明の殻の内側で、煙のような影が身じろぎした。


「カゲイロジャッカル」


 カシェは表面を親指で撫でる。


「匂いを追うのが上手な子」

「今までユナさんの中で暴れてたんだよね」

「入れられたから、出ようとしてただけ」


 もう一度、カプセルを撫でる。


「怖かったね。もう、この人の中じゃないよ」

「因子にも優しいんだ」

「かわいいから」

「基準が一つしかない」


 カシェの胸元に小さな口が開き、カプセルを飲み込んだ。薔薇色の縫い目が閉じ、何もなかったように滑らかになる。


「混ぜられた方だけだよ」

「うん。ありがとう」


 カシェは目を丸くした。

 それから少しだけ嬉しそうに笑った。


 肩の奥で、白い楔が熱を持つ。


「追ってる」

「抜ける?」

「今抜くと、もっと光る。少しだけ寝かせる」


 カシェの指から伸びた薔薇色の糸が、楔の白へ絡んだ。


 痛みは消えない。

 追ってくる脈だけが、少し鈍くなる。


 私は夜蘭《オーキッド》へ位置情報を送った。


『三分で着く。それまで隠れてな』


 ユナへ上着をかける。


 呼びかけても目は開かない。それでも呼吸は安定し、もう獣の声は混じっていなかった。


 救護車の駆動音が近づく。


 私とカシェは、積載台が見えるコンテナの陰へ移った。


 夜蘭の救護員が駆け込み、ユナを見つける。


「いた! 生存確認!」


 投与具を外し、担架へ移す姿を見届けてから、私たちは反対側の通路へ抜けた。


「今日のレンは、おっきい袋つき」

「今、それを記録するの?」

「すごく守れたから」


 少しだけ、言い返す力が抜けた。


 雨で顔と服を濡らし、遠回りして夜蘭の臨時救護所へ戻る。


 救護車は、私より先に着いていた。


 ユナは担架の上で処置を受けている。リザはその手を両手で握り、名前を何度も呼んでいた。


 ユナの瞼が、ほんの少し開く。


「……怒ってる?」

「怒るに決まってるでしょう」

「帰ったら……怒ってって、言ったから」

「帰ってきたから、これから怒るの」


 リザは泣きながら、ユナの額へ頬を寄せた。


 私は入口の脇で足を止めた。


 リザがこちらに気づき、立ち上がる。


「レンさん」


 抱きつく代わりに、深く頭を下げた。


「ありがとうございました」

「まだ、処置が終わったわけじゃありません」

「それでも。ユナが、ここにいる」


 その言葉だけで十分だった。


「……帰ってきて、よかったです」


 リザは一度だけ唇を噛んだ。


「白い、大きな怪物がユナを抱えて出たって聞きました」

「……はい」

「あれは、ユナを食べようとしてたんじゃないんですよね」

「違うと思います」

「レンさんは、見たんですか」

「少しだけ」


 嘘ではなかった。


 救護員に呼ばれ、リザはユナのそばへ戻っていく。


 カシェが私の袖を握った。


「助けたね」

「うん」


 ユナは帰ってきた。


 カシェの箱には、黒灰色の因子が一つ増えた。


 そして肩の奥では、白い光が、まだ私の帰り道を探していた。

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