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大家さん、その部屋だけは笑わせないでください  作者: あーちゃん


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4/10

節約王ぽん太、散る

プリン裁判の翌日、笑福荘に新たな宣言が響き渡る。

それは、八戸ぽん太による「一ヶ月食費千円生活」だった。

節約を愛し、節約に裏切られ、節約でなぜか出費を増やしていく男の、悲しくも笑える挑戦が始まる。

 プリン裁判の翌日、笑福荘は平和だった。


 少なくとも、朝の八時までは。


 こまちは、部屋の小さな机に向かって小説を書いていた。

 昨日の「消えたプリン裁判」は、思いのほか筆が進んだ。書いている途中で何度も笑ってしまい、自分でも少し悔しかった。


 だんごが自分で食べたプリンのために裁判を開く。

 ぽん太が「幸せの価格調査」と言い張る。

 すずめが検察なのに容疑者になる。

 ちくわが味噌汁で心を包もうとする。


 まともな登場人物が一人もいない。

 その中に自分も含まれている気がして、こまちは少しだけ不安になった。


 笑福荘に来てから、まだ数日しか経っていない。

 それなのに、自分の生活は明らかに騒がしくなった。

 朝は誰かの声で起こされ、共同台所に行けば誰かがいて、冷蔵庫のプリンひとつで裁判が開かれる。


 静かな暮らしを望んでここへ来たはずなのに、こまちは最近、静けさの中に戻るのが少しだけ物足りなくなっていた。


「……いや、だめだ」


 こまちはキーボードの上で手を止めた。


「慣れちゃだめ。私は静かに暮らしたい人間。騒がしい日常に染まってはいけない」


 自分に言い聞かせる。


 その時だった。


「皆さん! 重大発表があります!」


 廊下の向こうから、ぽん太の声が響いた。


 こまちは天井を見上げた。


「……染まる前に向こうから来る」


 しばらく無視しようとした。

 だが、ぽん太の声はだんだん近づいてくる。


「こまちさん! 重大発表です!」


「聞こえてます」


「聞こえてるなら来てください!」


「聞こえてることと行くことは別です」


「これは笑福荘の未来に関わる発表です!」


「どうせ個人的な節約の話ですよね」


 ドアの向こうで、ぽん太が沈黙した。


「……なぜ分かったんですか」


「あなたの重大発表は、だいたい節約だからです」


 こまちはため息をつき、部屋を出た。


 共同台所には、すでにだんご、すずめ、ちくわが集まっていた。

 なぜか、中央にはホワイトボードが置かれている。

 どこから持ってきたのだろう。


 ぽん太はその前に立ち、首から電卓を下げ、額には「節」と書かれた鉢巻きを巻いていた。


「その鉢巻きは何ですか」


 こまちが聞くと、ぽん太は胸を張った。


「覚悟です」


「字が一文字だけだと、節分みたいですね」


「節約の節です!」


 すずめが元気に拍手した。


「ぽん太さん、なんだかすごそうです!」


「すずめちゃん、まだ何も始まってないわよ」


 だんごが笑いながら言う。


 ちくわは味噌汁を飲んでいた。

 朝から安定している。


 ぽん太はホワイトボードに大きく書いた。


『一ヶ月食費千円生活』


 その場が静まり返った。


 こまちはすぐに言った。


「無理です」


「早い!」


 ぽん太が叫ぶ。


「せめて説明を聞いてください!」


「説明を聞く前から無理です」


「夢を否定しないでください!」


「命の心配をしています」


 だんごも腕を組んだ。


「一ヶ月千円はちょっと厳しいわねえ」


 すずめが指を折りながら計算する。


「一日……えっと……三十円くらいですか?」


「約三十三円です」


 ぽん太が誇らしげに言った。


「一日三十三円で何を食べるんですか」


 こまちが聞く。


「空気」


「昨日それで失敗しましたよね」


「空気だけでは難しいと分かりました。だから今回は、空気を主食ではなく副菜にします」


「食卓に空気を並べないでください」


 ぽん太は真剣な表情で説明を始めた。


「作戦は三つあります。第一に、もやし。安くて量がある。第二に、パンの耳。店によっては格安で手に入る。第三に、試食」


「三つ目、店に迷惑をかけるやつです」


「違います。社会との交流です」


「言い換えがひどい」


 すずめが感心したように言う。


「でも、ぽん太さん、すごいです! 本当にできたら節約王ですね!」


 その言葉に、ぽん太の目が輝いた。


「節約王……」


「やめてください、すずめさん。変な称号を与えると本気になります」


 こまちが止めたが、遅かった。


 ぽん太はホワイトボードに大きく書き足した。


『目指せ、節約王』


 だんごが笑う。


「じゃあ、応援するわ。無理はしないこと。倒れたらだめよ」


「大丈夫です。節約とは、生活を削ることではありません。無駄を削ることです」


 珍しくまともなことを言った。


 こまちは少しだけ見直しかけた。


 しかし、ぽん太は続けた。


「つまり、食欲は無駄です」


「違います」


 見直すのをやめた。


 こうして、ぽん太の一ヶ月食費千円生活が始まった。


 一日目。


 ぽん太は朝から自信満々だった。

 共同台所に立ち、もやし一袋を掲げている。


「本日の朝食、昼食、夕食です」


「一袋で三食ですか」


「はい。もやしは可能性の塊です」


「栄養の偏りは可能性では埋まりませんよ」


 こまちが言うと、ぽん太はもやしを鍋に入れた。

 味付けは塩だけ。


 ちくわが横から静かに見ていた。


「味噌を入れるか」


「いえ、味噌は高級なので」


「少しならいい」


「でも、それでは僕の節約道が」


 ちくわは無言で味噌を少し入れた。


 ぽん太は一口食べた。


「……おいしい」


「でしょうね」


「味噌は偉大です」


 ちくわはうなずいた。


「分かればいい」


 初日は、なんとか成功した。

 ぽん太は空腹を訴えながらも、もやし味噌汁で一日を終えた。


 しかし、問題は二日目に起きた。


 ぽん太はパンの耳を求めて、近所のパン屋へ向かった。

 こまちは買い物に行く途中、偶然その様子を見かけた。


 パン屋の前で、ぽん太は真剣な顔で店員に尋ねていた。


「パンの耳、ありますか?」


 店員は優しく答えた。


「ありますよ。一袋五十円です」


「五十円……」


 ぽん太の顔が輝く。


「ください!」


 そこまではよかった。


 しかし、パン屋の中には焼きたてのカレーパンが並んでいた。

 香ばしい匂い。

 揚げたての衣。

 中からあふれるカレー。


 ぽん太の足が止まる。


 こまちは嫌な予感がした。


「ぽん太さん」


「こまちさん……」


「買っちゃだめですよ」


「でも、匂いが僕を呼んでいます」


「呼んでません。売ってるだけです」


「カレーパンは、節約生活の敵です」


「分かってるなら離れてください」


「敵を知るためには、食べる必要があります」


「ありません」


 数分後。


 ぽん太はパンの耳一袋と、カレーパン五個を持って店を出てきた。


「なぜ五個」


「一個買うより、五個買った方が満足度が高いと思って」


「出費も高いです」


「でも、心は満たされました」


「食費千円生活、二日目でほぼ終わってませんか?」


 ぽん太は遠い目をした。


「これは必要経費です」


「何の?」


「人間らしさの」


 こまちは何も言えなかった。


 その日の夜、笑福荘では緊急節約反省会が開かれた。


 だんごはカレーパンを一つ手に取って言った。


「おいしいわね、これ」


「食べてる場合ですか」


 こまちが言うと、だんごは笑った。


「だって、ぽん太ちゃんがみんなにもって言うから」


 ぽん太はしょんぼりしていた。


「一人で五個食べるより、みんなで食べた方が罪悪感が減ると思って」


「出費は減りませんけどね」


 すずめはカレーパンを食べながら言った。


「でも、ぽん太さんのおかげで幸せです!」


「それはよかった……」


 ぽん太は少しだけ救われた顔をした。


 ちくわはカレーパンを見つめ、静かに言った。


「味噌とは合わない」


「何でも味噌基準で考えないでください」


 三日目。


 ぽん太は昨日の失敗を取り戻すため、さらに厳しい節約計画を立てた。


「今日は、一日水だけで過ごします」


「やめてください」


 こまちは即座に止めた。


「では、水ともやし」


「少し戻っただけですね」


「では、水ともやしと気合い」


「気合いは栄養素ではありません」


 だんごも心配そうに言った。


「ぽん太ちゃん、無理はだめよ。節約で体を壊したら、病院代の方が高くつくわよ」


 ぽん太ははっとした顔をした。


「たしかに……病院代は高い」


「そこに反応するんですね」


「健康は最大の節約」


「それはまともです」


 しかし、ぽん太は極端だった。


「つまり、健康になるために栄養を取る必要があります」


「そうですね」


「栄養を取るには、肉が必要です」


「まあ、必要な時もありますね」


「肉といえば、牛肉です」


「急に高くなりましたね」


 その日の夕方、ぽん太はスーパーで半額シールの貼られた牛肉を買ってきた。


 そして、もやし鍋に投入した。


「これは節約鍋です」


 こまちは鍋をのぞいた。


「牛肉入ってますけど」


「半額です」


「半額でも、もやしより高いです」


「でも、心の栄養価が高い」


「また心で逃げてる」


 ぽん太は牛肉入りもやし鍋を食べ、幸せそうに目を閉じた。


「生きてる……」


 その言葉に、だんごが笑った。


「よかったじゃない。節約より大事なことよ」


「でも、僕は節約王になれないかもしれません」


 ぽん太はしょんぼりした。


 こまちは少しだけ言葉に詰まった。

 笑える失敗ばかりだと思っていた。

 でも、ぽん太の落ち込み方は、少し本気だった。


 その夜、こまちは部屋で小説を書こうとしたが、ぽん太のことが気になっていた。


 節約王。

 食費千円。

 無謀な挑戦。


 ばかばかしい。

 けれど、ぽん太は真剣だった。


 なぜそこまで節約にこだわるのだろう。


 こまちは共同台所へ行った。

 ぽん太はテーブルに座り、電卓を叩いていた。


「今月の食費、すでに千円を超えました」


「三日目ですよね」


「はい」


「逆にすごいですね」


 ぽん太はうなだれた。


「僕は何をやっても中途半端なんです」


 こまちは黙った。


 ぽん太の声は、いつものふざけた調子ではなかった。


「仕事も長続きしないし、何か始めてもすぐ失敗するし。節約なら、僕にもできると思ったんです。お金を使わないだけなら、才能がなくてもできるかなって」


 こまちは、少し驚いた。


 ぽん太は続ける。


「でも、節約すらできない。カレーパンに負けるし、牛肉に負けるし、無料プリンに喜びすぎるし」


「無料プリンは、みんな喜んでましたよ」


「こまちさんも?」


「少しは」


 ぽん太は小さく笑った。


「僕、何か一つでいいから、自分はこれができるって言えるものが欲しいんです」


 共同台所の蛍光灯が、少しだけちらついた。


 笑福荘の空気が、珍しく静かになる。


 こまちは、何と返せばいいか分からなかった。

 自分も似たような気持ちを知っていたからだ。


 小説を書いている。

 そう言っても、胸を張れない。

 賞を取ったわけでも、本になったわけでもない。

 自分にはこれがある、と言いたいのに、結果がないと急に声が小さくなる。


 ぽん太の「節約王になりたい」は、少し形は変でも、自分の「小説家になりたい」と似ているのかもしれない。


「ぽん太さん」


「はい」


「節約って、我慢だけじゃないんじゃないですか」


「え?」


「よく分からないですけど……お金を使わないことだけを目標にしたら、苦しくなる気がします。必要なものにちゃんと使って、無駄なものを減らす方が、長く続くんじゃないですか」


 言いながら、こまちは自分でも偉そうだと思った。

 お金に余裕があるわけでもないのに、節約を語っている。


 でも、ぽん太は真剣に聞いていた。


「つまり、カレーパンは?」


「五個は無駄です」


「一個なら?」


「たまにはいいんじゃないですか」


「牛肉は?」


「毎日は無理です」


「無料プリンは?」


「ありがたく食べればいいと思います」


 ぽん太は少し考えたあと、電卓を置いた。


「こまちさん、僕の節約参謀になってください」


「嫌です」


「即答!」


「私、自分の生活で精いっぱいなので」


「では、節約監修」


「もっと嫌です」


「節約友情出演」


「何ですかそれ」


 ぽん太は笑った。

 いつもの調子が少し戻った。


 そこへ、だんごがやってきた。

 手には鍋を持っている。


「二人とも、夜食いる?」


「夜食は節約の敵です」


 ぽん太が言った。


 だんごは鍋のふたを開けた。


「大根の煮物よ」


「……少しなら」


「負けるの早いですね」


 こまちが言うと、ぽん太は真面目な顔で答えた。


「大根は低価格で栄養もある。これは節約的に正しい判断です」


「たぶん食べたいだけですよね」


「はい」


 三人で大根の煮物を食べていると、すずめが帰ってきた。


「ただいまー!」


 元気な声が共同台所に響く。


 だんごがすぐに返す。


「おかえりー!」


 こまちはそのやり取りを聞きながら、煮物を口に運んだ。


 甘辛い味が染みている。

 少し濃いけれど、疲れた体にはちょうどよかった。


 ぽん太は大根を食べながら、ふと顔を上げた。


「僕、働こうかな」


 こまちは箸を止めた。


 だんごも、すずめも、ちくわも、ちょうど共同台所に入ってきたところで足を止めた。


「どうしたの、急に」


 だんごが聞く。


 ぽん太は照れくさそうに頭をかいた。


「節約だけで何とかしようとするより、まず収入を作った方がいいのかなって」


 こまちはうなずいた。


「一番現実的ですね」


「こまちさん、言い方」


「でも、いいと思います」


 ぽん太は少し笑った。


「いきなり正社員とかは無理かもしれないけど、短時間のアルバイトから探してみます。節約王になる前に、生活王になります」


「生活王」


 すずめが拍手した。


「いいですね! 生活してるだけで王様です!」


「それは少し違う気がします」


 ちくわが静かに言った。


「働いた日は味噌汁がうまい」


「ちくわさん、名言みたいです」


「味噌汁は裏切らない」


「名言が味噌汁に寄りすぎてる」


 翌朝。


 ぽん太は新しい宣言をした。


「一ヶ月食費千円生活は終了します」


「早いですね」


 こまちが言うと、ぽん太は力強くうなずいた。


「しかし、完全な敗北ではありません。僕は学びました」


「何を?」


「節約とは、人生を貧しくすることではない。暮らしを整えることだと」


 だんごが嬉しそうに笑った。


「いいこと言うじゃない」


「そして、カレーパンは五個買うと高い」


「そこは最初から分かってほしかったです」


「牛肉は半額でも牛肉」


「それもそうですね」


「無料プリンは最高」


「そこは変わらないんですね」


 ぽん太はホワイトボードの文字を消した。

 そして、新しく書いた。


『目指せ、生活王』


 こまちはその文字を見て、少し笑った。


 節約王ぽん太は、三日で散った。

 けれど、散った場所から何かが少し芽を出したようにも見えた。


 その日の午後、こまちは部屋で小説を書いた。


『節約王は、カレーパン五個で敗北した。

 しかし、彼は負けたことで、自分に足りなかったものを少しだけ知った。

 人は、何かを削るだけでは生きていけない。

 時々、誰かと煮物を食べるための余白も必要なのだ。』


 書き終えた時、こまちは少しだけ胸が温かくなった。


 笑福荘の住人たちは、みんな変だ。

 だんごは近すぎる。

 すずめは元気すぎる。

 ぽん太は無謀すぎる。

 ちくわは味噌汁に寄りすぎている。


 でも、変だからこそ、誰かの失敗を笑って終わらせない。

 笑いながら、ちゃんと拾う。

 くだらないと言いながら、ちゃんと隣に座る。


 こまちは、そんな場所を少しだけ羨ましいと思った。


 夜になり、こまちは自分のスマホを見た。

 投稿した小説の結果は、まだ何も動いていない。

 アクセス数も少ない。

 感想もない。


 少しだけ、胸が沈む。


 いつものことだ。

 慣れている。

 気にしない。


 そう思おうとした時、隣の壁から低い声がした。


「味噌汁、いる?」


 ちくわだった。


 こまちは壁を見た。


「……今日は、何の具ですか」


「豆腐とねぎ」


「普通ですね」


「普通がいい日もある」


 こまちは少し黙った。


 そして、小さく答えた。


「……少し、ください」


 数分後、部屋の前に味噌汁が置かれていた。


 こまちはお椀を手に取り、湯気を見つめた。


 ぽん太の節約失敗でたくさん笑った一日だった。

 でも、その笑いの奥に、自分にも刺さるものがあった。


 何か一つでいいから、自分にはこれができると言いたい。

 ぽん太の言葉は、まだ胸の中に残っている。


 こまちは味噌汁を一口飲んだ。


 温かかった。


 笑福荘の夜は、昼間の騒がしさが嘘みたいに静かだった。

 でも、完全な静けさではない。


 どこかでだんごが鼻歌を歌っている。

 すずめが電話で今日の配達の話をしている。

 ぽん太が求人サイトを見ながら「時給ってありがたい」とつぶやいている。


 そして隣には、味噌汁を作る人がいる。


 こまちはお椀を両手で包みながら、ふと思った。


 もしかしたら、自分はずっと、こういう温度を避けてきたのかもしれない。


 誰かの失敗を笑う声。

 誰かを心配する声。

 何でもない日に差し出される味噌汁。


 面倒くさい。

 近すぎる。

 騒がしい。


 それでも、今夜の味噌汁は、少し泣ける味がした。


 こまちはまだ知らない。


 次の日、自分が本当に泣きそうになる夜に、隣の味噌汁がどれほど心にしみるのかを。

第4ページでは、ぽん太が「節約王」を目指して無謀な食費千円生活に挑戦しました。

カレーパンや牛肉に負けながらも、ぽん太は少しだけ自分の生き方を見直します。

こまちもまた、ぽん太の失敗を笑いながら、自分自身の夢や不安と重ね始めました。

次回は、ちくわの味噌汁がこまちの心を静かにほどいていきます。

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