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大家さん、その部屋だけは笑わせないでください  作者: あーちゃん


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3/10

消えたプリン裁判

共同冷蔵庫から消えただんごのプリン。

それは、笑福荘にとってただのおやつ紛失事件ではなかった。

住人たちの信頼と平和をかけた、くだらなくも真剣な裁判が今、始まる。

 笑福荘の朝は、今日もやかましかった。


 こまちは布団の中で、昨日の夜に自分が言った言葉を思い出していた。


「大家さん、近すぎます」


 あれだけはっきり言ったのだから、さすがのだんごも今朝は少し遠慮するだろう。

 きっと、ドアの前で生存確認をすることもない。

 おにぎりを持って突撃してくることもない。

 たぶん、普通の朝が来る。


 そう思っていた。


 しかし、笑福荘に普通の朝など存在しなかった。


「事件よおおおおおお!」


 アパート中に、だんごの叫び声が響き渡った。


 こまちは布団の中で目を開けた。


 生存確認ではなかった。

 もっと面倒くさそうな何かだった。


「こまちちゃーん! 起きてー! 笑福荘の平和が崩れたわー!」


「崩れるの早すぎませんか!」


 こまちは布団を跳ねのけた。

 時計を見ると、朝の七時半。


 昨日より三十分遅い。

 そこだけは成長しているのかもしれない。


 いや、問題はそこではない。


 こまちは慌てて着替え、髪を適当にまとめて部屋を出た。


 廊下には、すでにすずめがいた。

 寝癖が片側だけ元気に跳ねている。


「こまちさん! 大事件です!」


「何があったんですか」


「プリンです!」


「……プリン」


「だんごさんのプリンが、共同冷蔵庫から消えました!」


 こまちは一瞬、目を閉じた。


 昨日の説明会で、あれだけ大げさに語られていたプリン。

 名前を書くことが平和を守ると言われていたプリン。

 だんごが「明日の楽しみ」と言っていたプリン。


 それが、消えた。


「本当に事件なんですね」


「はい! 笑福荘始まって以来の大事件です!」


「たぶん過去にもっと大きい事件ありましたよね」


「でも今日の気分では一番です!」


 すずめは勢いよく階段を下りた。

 四段目の五郎が「ぐえっ」と鳴る。


「五郎さんも驚いてます!」


「たぶん踏まれてるだけです」


 共同台所に着くと、空気は異様に張り詰めていた。


 中央には、共同冷蔵庫。

 その前に、大家の福良だんごが立っている。

 腕を組み、眉間にしわを寄せ、いつもの笑顔は消えていた。


 ただし、割烹着のポケットから大根の葉が出ていたので、迫力は少し弱かった。


 ぽん太は冷蔵庫の横で正座していた。

 ちくわは黙って味噌汁をすすっている。


「集まったわね」


 だんごが低い声で言った。


「まだ朝ごはん食べてないんですけど」


 こまちが言うと、ちくわが味噌汁を差し出した。


「飲め」


「ありがとうございます」


 こまちは自然に受け取ってしまった。


 このアパートでは、事件の前にも味噌汁が出るらしい。


「今朝、私は冷蔵庫を開けました」


 だんごが語り始める。


「昨日から楽しみにしていたプリンを食べるために。昨日の私が、今日の私へ残した楽しみ。それがプリンだったの」


「壮大に言ってますけど、プリンですよね」


「こまちちゃん」


 だんごは真剣な目で言った。


「楽しみに大小はないのよ」


 こまちは黙った。


 たしかに、それは少し分かる気がした。

 コンビニの新作スイーツ。

 好きな漫画の更新日。

 夜に飲む安いカフェオレ。

 そういう小さな楽しみが、一日を支えることはある。


 だんごにとって、そのプリンは今日の支えだったのだろう。


「でも、冷蔵庫を開けたら……」


 だんごは震える手で冷蔵庫を開けた。


 そこには、ぽん太のもやし、すずめの紙パックジュース、ちくわの味噌、こまちのどら焼きが入っている。


 しかし、昨日あったはずのプリンはなかった。


「消えていたのよ!」


 だんごの声が響いた。


 すずめが息をのむ。


 ぽん太がうつむく。


 ちくわが味噌汁を飲む。


 こまちは思った。


 ちくわだけ通常運転だ。


「これは、ただのプリン紛失事件ではありません」


 だんごは冷蔵庫の扉を静かに閉めた。


「信頼の問題です」


 ぽん太が小さく手を挙げた。


「異議あり」


「まだ何も言ってないわ」


「言ってみたかったんです」


「却下」


「早い」


 だんごは段ボール箱をテーブルの上に置いた。

 その上に、空のプリン容器が乗せられる。


 こまちは眉をひそめた。


「容器はあるんですね」


「ゴミ箱に捨てられていたわ」


「犯人、食べたあとに捨てたんですね」


「しかも、きれいにスプーンで食べていた」


「食べ方の問題ではないと思います」


 だんごは重々しくうなずいた。


「これより、第一回、消えたプリン裁判を開きます」


「裁判?」


 こまちは嫌な予感がした。


「裁判長は私、福良だんご」


「被害者が裁判長をやっていいんですか」


「小さなアパートだから兼任よ」


「制度が雑です」


「検察はすずめちゃん」


「はい! 全力で疑います!」


「言い方が怖い」


「弁護人はちくわちゃん」


 ちくわは顔を上げた。


「俺は味噌汁を作る」


「弁護してあげて」


「味噌汁で包む」


「何を?」


「心を」


 こまちは頭を抱えた。


 だんごがこちらを見る。


「そして、記録係はこまちちゃん」


「またですか」


「小説家だから」


「便利に使わないでください」


「文字を書く人がいると、裁判っぽいでしょ」


「裁判っぽさのために呼ばれたんですか」


「あと、新入りだから中立」


 そう言われると、断りにくかった。


 こまちは仕方なく、昨日の説明会でもらった紙の裏を使って、記録係をすることにした。


 だんごは咳払いをした。


「では、容疑者を確認します」


 すずめが手を挙げた。


「容疑者一、八戸ぽん太さん!」


「なぜ僕から?」


「無職だからです!」


「無職は罪じゃない!」


 ぽん太が叫ぶ。


 こまちはメモした。


『容疑者一、八戸ぽん太。無職であることを理由に疑われる。少し気の毒。』


 だんごがぽん太を見る。


「ぽん太ちゃん、昨日の夜から今朝まで、何をしていたの?」


 ぽん太は背筋を伸ばした。


「昨夜は、食費節約計画の一環として、夕飯を空気だけで済ませようとしました」


「すでに怪しいですね」


 こまちがつぶやく。


「しかし、空気ではお腹が膨れませんでした」


「でしょうね」


「そのため、夜十時頃、カップ麺を食べました」


「昨日、節約するって言ってませんでした?」


「カップ麺は心の非常食です」


「都合がいい言葉ですね」


 すずめが身を乗り出す。


「そのあと、冷蔵庫を開けましたか?」


 ぽん太の肩がぴくりと動いた。


「開けました」


 共同台所に緊張が走る。


「何のために?」


「もやしを見るためです」


「見るため?」


「明日の自分に、まだもやしがあるぞと希望を持たせるためです」


「食べないんですか」


「見て満足しようとしました」


「節約家というより、限界の人では?」


 ぽん太は悲しげにうつむいた。


「でも、プリンは食べてません。プリンは高級品です。節約家は、他人の高級品に安易に手を出しません」


「昨日コンビニでプリン三つ買ってたって聞きました」


 すずめが言った。


「研究です」


「何の?」


「幸せの価格調査です」


 こまちはメモした。


『ぽん太、幸せの価格を調査しているらしい。非常に怪しいが、言っていることは少しだけ切ない。』


 だんごはうなずいた。


「保留ね」


「保留なんですか!」


「次、すずめちゃん」


「えっ、私もですか?」


「全員容疑者よ」


「検察なのに!」


「小さなアパートだから兼任よ」


「便利な言葉!」


 すずめは胸に手を当てた。


「私は食べてません! 昨日の夜は配達の確認をして、そのあとお風呂に入って、寝ました!」


「冷蔵庫は開けた?」


「開けました!」


「何のために?」


「ジュースを飲むためです!」


「その時プリンはあった?」


 すずめは真剣な顔で考えた。


「ありました!」


 全員が身を乗り出した。


「何時頃?」


「えっと……夜九時くらいです!」


 ぽん太が手を挙げる。


「僕が冷蔵庫を開けたのは夜十時です。その時、プリンは……」


「ありましたか?」


 こまちが聞く。


「見ていません」


「そこ大事でしょう」


「もやししか見ていませんでした」


「視野が狭すぎる」


 すずめは続けた。


「でも私、本当に食べてません! だんごさんの名前が書いてあるプリンを食べるなんて、そんな恐ろしいことできません!」


「私、そんなに怖い?」


 だんごが聞く。


「笑顔で怒る時が一番怖いです!」


「正直でよろしい」


 だんごはにっこり笑った。

 すずめは震えた。


 こまちはメモした。


『すずめ、証言は元気。信用できそうだが、勢いがありすぎて逆に不安。』


 次はちくわだった。


 ちくわは味噌汁のお椀を置き、静かに言った。


「俺は食べていない」


「理由は?」


 だんごが聞く。


「プリンより茶碗蒸し派だ」


「それ、理由になります?」


 こまちが言うと、ちくわは真剣な顔でこちらを見た。


「甘いものは嫌いではない。でも、卵を使うならだしの方がいい」


「こだわりの問題ですね」


「プリンには罪はない」


「何の話ですか」


 すずめが手を挙げる。


「でも、ちくわさんは昨日の夜、共同台所にいましたよね?」


「味噌を整理していた」


「何時ですか?」


「十一時」


 ざわり、と空気が動いた。


 ぽん太は十時に冷蔵庫を開けた。

 すずめは九時にプリンを見ている。

 ちくわは十一時に共同台所にいた。


 こまちは思わず記録の手を止めた。


 少しだけ、裁判っぽくなってきた。


「その時、プリンはありましたか?」


 だんごが聞く。


 ちくわは少し考えた。


「分からない」


「見てないの?」


「味噌しか見ていなかった」


「このアパートの男性陣、視野が偏りすぎでは?」


 こまちはつぶやいた。


 最後に、だんごの視線がこまちへ向いた。


「こまちちゃん」


「私もですか?」


「全員容疑者よ」


「私は昨日、冷蔵庫にどら焼きを入れただけです」


「その時、プリンはあった?」


「ありました。だんごさんが自分宛てのメモを貼ってました」


 だんごはうなずいた。


「そう。明日の私へ、プリンを食べるのを忘れないことって書いたわ」


「そのメモ、まだありますか?」


 こまちが聞くと、だんごは冷蔵庫の前を見た。


 そこに貼ってあったはずのメモは、なかった。


「あれ?」


 だんごが首を傾げる。


「メモも消えてますね」


 こまちは言った。


 すずめが叫ぶ。


「犯人が証拠隠滅を!」


 ぽん太が震える。


「高度な犯罪だ……」


 ちくわが低く言う。


「味噌の世界では、ありえない」


「味噌の世界と比べないでください」


 こまちは空のプリン容器を見つめた。

 容器はきれいに洗われてはいない。

 でも、底の方に何か白いものが貼りついているように見えた。


「ちょっと見せてもらっていいですか」


 こまちは容器を手に取った。


 底に、薄い紙の端が残っている。

 シールのようなものだ。


「これ、何か貼ってありました?」


 だんごは目を細めた。


「あら?」


 こまちは慎重に紙の端をはがした。

 そこには、震える字で何か書かれていた。


『すみません。賞味期限が今日までだったので、夜の私が食べました。朝の私へ。だんごより』


 沈黙。


 共同台所に、長い長い沈黙が落ちた。


 すずめが小さく言った。


「……夜のだんごさん?」


 ぽん太がつぶやく。


「朝のだんごさんへ?」


 ちくわが言った。


「自己解決」


 こまちは紙を持ったまま、だんごを見た。


 だんごは目をそらした。


「……あら」


「大家さん」


「思い出してきたわ」


「食べたんですね?」


「夜の私が」


「同一人物です」


「でも、朝の私は知らなかったのよ」


「知らなかったのは記憶の問題です」


 すずめが口を押さえた。


「つまり、犯人は……」


 ぽん太が厳かに言う。


「だんごさん本人」


 ちくわが味噌汁をすすった。


「自首済み」


 こまちは大きく息を吐いた。


「この裁判、何だったんですか」


 だんごは申し訳なさそうに手を合わせた。


「ごめんなさい。昨日の夜、寝る前に冷蔵庫を開けたら、プリンがあってね。賞味期限が今日までだったのよ」


「今日までなら今日食べればよかったじゃないですか」


「そう思ったの。でも、夜の私は言ったの」


「何て?」


「今日までなら、今日のうちに食べるべきだって」


「間違ってはいないけど」


「それで、食べたあとに朝の私へ謝罪文を書いて、容器の底に貼ったの」


「なぜそんな面倒なことを?」


「未来の私に誠意を見せたくて」


「未来の自分と揉めないでください」


 その瞬間、ぽん太が吹き出した。


 すずめも笑い始めた。

 ちくわは表情を変えなかったが、肩が少し震えていた。

 だんごも、つられて笑った。


 こまちは最初、呆れていた。

 本当に呆れていた。


 朝から起こされ、裁判に参加させられ、記録係をやらされ、結果は大家の食べ忘れならぬ、食べたこと忘れ。


 くだらない。

 あまりにもくだらない。


 でも、そのくだらなさが限界を超えると、人は笑ってしまうらしい。


 こまちは、とうとう笑った。


「何ですかこれ、本当に」


 笑いながら言うと、だんごが目を輝かせた。


「あ、こまちちゃん笑った!」


「笑いますよ、こんなの」


「よかった。プリンは失ったけど、笑いは得たわ」


「かっこよくまとめないでください」


 ぽん太が真剣な顔に戻った。


「しかし、今回の事件から学ぶことがあります」


「何ですか」


「人は空腹時、記憶を失う」


「違うと思います」


 すずめが手を挙げる。


「あと、自分宛てのメモは分かりやすく書くべきです!」


「それはそうですね」


 ちくわが言った。


「プリンを食べたら味噌汁を飲むといい」


「なぜ?」


「甘さのあとに塩気」


「食後の提案だった」


 だんごは空のプリン容器を見つめたあと、ふふっと笑った。


「でも、みんな集まってくれてありがとうね」


 その言葉に、こまちは少しだけ顔を上げた。


「こんなことで集められたんですけど」


「こんなことでも、集まれるのはいいことよ」


 だんごはそう言って、空の容器を軽く振った。


「一人暮らしだと、プリンを食べても誰にも怒られないわ。忘れても、笑ってくれる人もいない。だから、こうやって大騒ぎできるのって、ちょっと楽しいじゃない」


 こまちは返事をしなかった。


 まただ。

 だんごは、くだらない話の中に急に本当のことを混ぜてくる。


 プリンが消えた。

 犯人は自分だった。

 ただそれだけの話なのに。


 そこには確かに、誰かと暮らす面倒くささと、誰かと笑える温かさがあった。


 こまちは記録用紙を見た。


『消えたプリン裁判。

 犯人は夜のだんご。

 被害者は朝のだんご。

 住人全員、巻き込まれる。

 結論、笑福荘は今日も平和。』


 自分で書いたその一文に、こまちは少し笑った。


 裁判は終わったはずだった。


 しかし、だんごが突然、手を叩いた。


「それでは、判決を言い渡します」


「まだ続くんですか」


「犯人、福良だんごは、住人全員にプリンを買ってくること」


 すずめが歓声を上げた。


「やったー!」


 ぽん太も目を輝かせた。


「無料プリン!」


「そこに喜びすぎない」


 ちくわは静かに言った。


「俺は茶碗蒸しでいい」


「プリン裁判で茶碗蒸し要求しないでください」


 だんごは笑いながら財布を取り出した。


「こまちちゃんも、プリン食べるでしょ?」


「私は別に」


 そう言いかけて、こまちは止まった。


 住人たちが、当たり前のようにこちらを見ている。

 こまちがここにいることを、もう当然のように扱っている。


 それが少し照れくさくて、少しむずがゆかった。


「……食べます」


 こまちが言うと、だんごは満足そうにうなずいた。


「じゃあ、こまちちゃんは何味?」


「普通ので」


「普通のプリンね」


「はい」


「ぽん太ちゃんは?」


「一番安いやつで!」


「すずめちゃんは?」


「カラメル多め!」


「ちくわちゃんは?」


「茶碗蒸し」


「はいはい」


 だんごは買い物袋を持って出かけていった。


 その背中を見送りながら、こまちは共同台所に残った。


 すずめはまだ笑っていた。

 ぽん太は「無料プリン、実質収入」とつぶやいている。

 ちくわは鍋の中の味噌汁をかき混ぜていた。


 こまちはふと思った。


 この人たちを小説にしたら、読者は信じるだろうか。

 大家が自分で食べたプリンのために裁判を開くアパート。

 無職の節約家が無料プリンを収入と呼ぶ朝。

 配達員が全力で検察をやり、味噌汁の人が弁護人になる。


 現実味がなさすぎる。

 けれど、現実なのだ。


 こまちは部屋に戻ると、すぐにパソコンを開いた。


 昨日書きかけた小説の続きを開く。


 指が動く。


『翌朝、プリンが消えた。

 それは、古いアパートに住む人々にとって、戦よりも重い事件だった。

 なぜなら、プリンは甘い。

 甘いものを楽しみにしていた人間の怒りは、時に雷よりも怖い。』


 書きながら、こまちは吹き出した。


 楽しい。

 そう思った。


 久しぶりだった。

 誰かに評価されるためではなく、賞に出すためでもなく、ただ書いていて楽しいと思えたのは。


 自分の生活が、物語になっていく。

 変な人たちとの会話が、文章になっていく。

 くだらない事件が、少しだけ愛おしくなる。


 こまちはキーボードを打つ手を止めなかった。


 昼前、だんごが帰ってきた。


「プリン買ってきたわよー!」


 廊下から声がする。


 こまちは部屋を出た。

 共同台所には、人数分のプリンが並んでいた。


 それぞれのふたには、名前が書かれている。


『だんご』

『こまち』

『すずめ』

『ぽん太』

『ちくわ』


 そして、ちくわの分だけ、なぜか茶碗蒸しだった。


「本当に買ってきたんですね」


 こまちが言うと、だんごは胸を張った。


「判決は守らないとね」


「自分で出した判決ですけど」


「だからこそよ」


 五人は共同台所の小さなテーブルを囲んで、プリンを食べた。

 ぽん太は一口ごとに「無料」とつぶやき、すずめはカラメルを最後まで残し、ちくわは茶碗蒸しを真剣に味わっていた。


 だんごはプリンを一口食べて、幸せそうに目を細めた。


「やっぱりプリンはいいわねえ」


「昨日も食べたんですよね」


「昨日の私と今日の私では、感動が違うのよ」


「便利ですね、その考え方」


 こまちもプリンを食べた。

 特別高いものではない。

 普通の、スーパーで売っているプリン。


 でも、不思議とおいしかった。


 たぶん、一人で食べていたら、ここまでおいしくはなかった。


「こまちちゃん」


 だんごが言った。


「記録係、ありがとうね」


「巻き込まれただけです」


「でも、助かったわ」


「次からは、自分が食べたかどうか思い出してから呼んでください」


「努力するわ」


「努力じゃなくて確認してください」


 みんなが笑った。


 こまちはスプーンを置き、小さく息を吐いた。


 笑福荘に来て、まだ三日。

 なのに、もう何日もここにいるような気がした。


 静かに暮らしたい。

 今でも、その気持ちはある。


 けれど、静かすぎる部屋では生まれなかった言葉が、ここでは生まれている。


 うるさい。

 面倒くさい。

 距離が近い。


 それなのに、少しだけ温かい。


 こまちは、空になったプリン容器を見つめた。


 名前が書かれたふた。

 全員で囲んだ小さなテーブル。

 誰かの笑い声。


 それは、物語にするにはあまりにもくだらない。

 けれど、くだらないからこそ、忘れたくない朝だった。


 その夜。


 こまちはノートに大きく書いた。


『第3ページ 消えたプリン裁判』


 そして、その下にこう続けた。


『笑福荘では、プリンひとつで裁判が開かれる。

 でも、それはたぶん、誰かの楽しみをみんなで大事にできる場所だからだ。』


 書き終えて、こまちは少しだけ笑った。


 明日は何が起こるのだろう。


 そんなふうに思った自分に、こまちは驚いた。


 昨日までは、何も起こらない一日を望んでいたのに。

 今は、少しだけ続きを待っている。


 そして次の日。

 八戸ぽん太が、食費を一ヶ月千円に抑えるという、明らかに無謀な宣言をすることになる。

第3ページでは、だんごのプリンが消えたことから、笑福荘らしい大騒ぎの裁判が開かれました。

犯人はまさかの「夜のだんご」。

くだらない事件の中で、こまちは少しずつ、このアパートの温かさに気づき始めます。

次回は、ぽん太の無謀すぎる節約生活が始まります。

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