第98話 水のレガリア
研究棟――
「開けろ!」
重い扉が乱暴に叩かれる。
「教務監査官命令だ!」
「研究棟全域を再捜索する!」
ラザールの怒声が廊下へ響き渡った。
その後ろには十数名の教員。
さらに学院警備隊まで従えている。
研究棟にいた生徒達は慌てて廊下の端へ避難した。
「何だ?」
「ラザール先生か……」
ざわめきが広がる。
◇
研究室。
「……来ましたねぇ」
シュプールが小さく呟いた。
ライトは窓の外を見つめる。
「ラザールは本気みたいだな」
扉が勢いよく開く。
「ライト・グランフェル!」
ラザールがずかずかと部屋へ踏み込んできた。
「本日より研究棟は封鎖する!」
「設計図、魔導具、私物を含め全て押収だ!」
「抵抗するなら帝国法に基づき拘束する!」
教員達が一斉に研究室へ入ろうとする。
その時だった。
「止まりなさい」
静かな声。
しかし、その一言だけで空気が凍りついた。
廊下の奥。
青いローブを纏ったルミナスがゆっくり歩いてくる。
隣にはエリオス副学院長、リリアナ王女。
そしてフィオレリアもいた。
「学院長……」
ラザールは眉をひそめる。
「邪魔をなさるおつもりですか」
「邪魔ではない」
ルミナスは真っ直ぐラザールを見る。
「学院長として命じる」
「これ以上の捜索は中止だ」
ラザールは拳を震わせた。
「拒否します」
その場が静まり返る。
教員達も息を呑む。
学院長命令への拒否。
それは前代未聞だった。
「帝国が危険に晒されているのです!」
「私は人族を守る!」
「魔族など信用できません!」
声は次第に大きくなっていく。
「学院長は騙されている!ライト・グランフェルを庇うなど!」
「それでも帝国人ですか!」
怒号が研究棟へ響く。
ジューダス帝国皇女のフィオレリアが思わず一歩前へ出ようとする。
しかしルミナスは静かに手で制した。
「……ラザール」
その声は穏やかだった。
「ここで終わりだ」
「終わりません!」
ラザールは警備隊へ手を振る。
「構わん!」
「全員入れ!」
その瞬間だった。
ルミナスが静かに右手を掲げる。
「ならば」
「学院長権限ではなく」
その瞳が蒼く輝いた。
「水の守護者として命じよう」
ゴォォォォ――
研究棟全体を魔力が満たす。
床に巨大な蒼い魔法陣が浮かび上がった。
廊下。
壁。
天井。
学院そのものが呼吸を始めたかのように、水色の光が脈動する。
「なっ……!」
リリアナが目を見開いた。
フィオレリアも言葉を失う。
生徒達はただ呆然と立ち尽くす。
ルミナスの背後。
無数の水流が渦を巻き、一人の女性の姿を形作る。
透き通る長髪。
水晶のような翼。
湖そのものを思わせる神秘の存在。
そしてルミナスの右手へ、一つの蒼い紋章が浮かび上がる。
「レ……レガリア……?」
「水のレガリア……!」
リリアナが呟いた。
ラザールも顔色を失う。
「馬鹿な……なんだこの魔力は……」
ルミナスは静かに目を閉じた。
「水は争わない」
「だが」
ゆっくりと瞳を開く。
「命を守るためなら」
「全てを包み込む」
水流がラザール達の前へ壁のように立ち上がる。
剣では斬れない。
魔法でも壊れない。
ただ静かに道を塞ぐ巨大な水壁。
「これ以上、一歩も進ませない」
その声に敵意はない。
しかし圧倒的だった。
ラザールは一歩後ずさる。
本能が理解した。
勝てない。
目の前にいるのは学院長ではない。
この世界の属性を司る七柱。
レガリアの一人だった。
◇
一方その頃――
「シュプール」
ライトが静かに言う。
「今だ」
「はい~」
シュプールは机の引き出しから、小さな銀色の小型飛行機のような物体を取り出した。
翼長五十センチほど。
細身の機体。
魔導式無人航空機。
コードネーム――《リーパー》
「初実戦ですねぇ~」
シュプールが優しく機体を撫でる。
「ちゃんと帰ってくるんですよぉ~」
魔力を流し込む。
カチリ。
両翼が展開する。
機体表面へ無数の魔法陣が走った。
「起動確認」
「魔力炉正常」
「長距離通信接続」
シュプールが窓を開く。
「目的地」
「神樹の国シルヴァリス」
「任務――戦況偵察」
次の瞬間。
バシュッ!!
風を裂き、空へ飛び立った。
「速い……」
フィオレリアが空を見上げる。
ライトも小さく頷いた。
「あれなら数時間で前線へ着く」
リーパーは雲の中へ消えていく。
誰にも気付かれず。
誰にも撃ち落とされず。
その小さな翼は、神樹の国で燃え広がる戦場を目指して一直線に飛び続ける。
そしてその映像は、リアルタイムで帝国学院の研究室へ送られることになる。
学院では情報戦。
神樹の国では本当の戦争。
二つの戦場が、いよいよ一つの運命へと繋がろうとしていた。




