第99話 燃える神樹の国
蒼き水壁は、なおも研究棟を静かに包み込んでいた。
誰一人として、その壁へ手を伸ばそうとはしない。
ルミナスは静かに右手を下ろす。
すると巨大な水流は霧となって溶け、学院中を満たしていた膨大な魔力も、まるで最初から存在しなかったかのように静まっていった。
しかし、その場にいた誰もが理解していた。
今、目の前で起きた現象は、常識では説明できない。
「ルミナス叔母様……あなたが……」
リリアナが震える声で呟く。
ルミナスは穏やかに頷いた。
「隠していたわけではない。ただ、必要がなかっただけだ」
「私は水のレガリアを継ぐ者」
「帝国学院を預かる以前から、その使命を背負っている」
研究棟は静まり返る。
ラザールだけが、青ざめた顔でルミナスを見つめていた。
帝国最強とも謳われる存在。
帝国学院長。
その力が、これ程までであったとは。
「……だからといって」
ラザールは震える拳を握り締める。
「だからといって、私は魔族を信じません」
「帝国を守るという私の使命は変わらない!」
そう言い残すと、踵を返す。
「撤収する!」
教員達も警備隊も慌てて後に続いた。
その背中を、ルミナスは止めなかった。
エリオスが静かに息を吐く。
「完全に引き返せないところまで行ってしまったようですね」
「そうだな…..」
ルミナスは遠ざかるラザールの背中を見つめた。
「彼は今、自分の正義しか見えていない…..だからこそ危険だ」
◇
その頃――
アストリア王国
王都地下。
黒曜計画・中央制御室。
突如、巨大な魔力観測水晶が眩く輝いた。
「反応!」
研究員が声を上げる。
「超高密度水属性魔力を観測!」
「発生地点……ジューダス帝国学院!」
レイヴンが静かに目を開く。
「映像を」
水晶へ魔力が流し込まれる。
断片的ではあるが、水壁を展開するルミナスの姿が映し出された。
その右手には蒼き紋章。
周囲を満たす、絶対的な水の魔力。
レイヴンは静かに笑う。
「なるほど」
「ようやく見つけましたか」
研究員が息を呑む。
「まさか……」
「水のレガリア」
「学院長ルミナス」
レイヴンは盤面の駒を一つ動かした。
「これで七柱の一角が判明した」
「黒曜計画を修正する」
「今後の最優先監視対象は、ライト・グランフェルに加え――」
指先が止まる。
「セレスティナ帝国学院、学院長ルミナス・ネレイア」
「水のレガリア保持者だ」
静かな声だった。
しかし、その一言だけで研究室の空気が変わる。
王国は新たな標的を定めたのだった。
◇
一方、研究室。
「リーパー、接続しますぅ~」
シュプールが魔導端末へ魔力を流す。
机上へ半透明の巨大な映像が投影された。
眼下には――
神樹の国シルヴァリス。
「これは……!」
誰もが息を呑む。
本来であれば一年中花が咲き乱れ、常に花吹雪が舞う美しい国。
しかし今は、その美しかった森は炎に包まれ。
巨大な神樹の枝は焼け落ち。
王国軍の魔導砲撃が大地を次々と抉り、人造ゴーレムが破壊を振り撒く。
それに対して、エルフの魔導師達が必死に結界を維持している。
しかし数が違う。
完全に押されている。
「そんな……」
リリアナの唇が震えた。
映像の中では、幼い子供を抱えた母親が避難している。
負傷兵が運ばれていく。
神樹を守るため、次々と倒れていく近衛兵達。
「父上……」
「母上……!」
リリアナは思わず一歩前へ出た。
「戻らなければ!…..戻って私も戦わなければ!」
振り返り、扉へ駆け出そうとする。
その腕を、ライトが静かに掴んだ。
「離してください!私の国なんです!」
「皆が戦っているのに、私だけここにいるなんて……!」
涙が溢れる。
だが、ライトは首を横へ振った。
「戻っては駄目です」
「でも!」
「王女が感情だけで戦場へ戻れば、護衛も指揮官も貴方を守るために動かなきゃいけなくなる」
リリアナが言葉を失う。
「それは、戦力を減らすことになる」
「……」
「だから今は信じてください」
ライトは映像を見つめた。
「もうすぐ着く」
◇
その瞬間だった。
リーパーの映像が大きく空へ向く。
遥か彼方。
黒い点が無数に現れる。
「飛竜の群れ……?」
エリオスが目を細める。
点は急速に近付き、やがてその姿が鮮明になった。
「ワイバーン……!」
フィオレリアが驚きの声を上げる。
数十頭。
いや、それ以上。
巨大な飛竜が一直線に戦場へ迫る。
その先頭で、漆黒の鎧を纏う大男が巨大な魔剣を掲げた。
ベイル。
魔王騎士団長。
いや――
「違う……」
ライトが小さく笑う。
「もう騎士団じゃない…..竜騎士団」
ワイバーンの背で、ベイルが剣を振り上げる。
「総員!」
低く響く号令。
「降下開始!」
「神樹の国を守る!」
数十騎のワイバーンが一斉に急降下する。
その背に乗る黒鎧の精鋭達。
魔王国が、魔竜の洞窟に生息するワイバーンの調教を成功したことで誕生した、新たなる空の軍勢。
――魔王竜騎士団。
さらに、その後方。
紫黒の巨大な魔法陣が空一面へ展開された。
「来たか」
ライトの表情が僅かに緩む。
魔法陣の中央。
黒紫の竜鱗を纏う尾を持つ、美しい女性が静かに両手を広げる。
進化を遂げたアークラミアス。
魔王軍魔法師団長アローラ。
その赤き瞳が戦場を見据える。
「魔法師団」
凛とした声が響く。
「第一級広域殲滅術式――展開」
無数の魔法陣が空を埋め尽くす。
ついに魔王国の援軍が、神樹の国シルヴァリスの空へ到達した。




