第97話 魔王国動く
教務監査官室――
「準備は整ったか」
ラザールは机の前に立ち、居並ぶ教員達を見回した。
小太りの身体を揺らしながら腕を組み、その表情には確信が浮かんでいる。
「研究棟の封鎖班は配置済みです」
「資料保管室も押さえております」
「魔王国側の者が外へ何か持ち出すことはできません」
報告を受け、ラザールは満足そうに頷いた。
「よろしい」
「学院長は手続きを重んじるお方だ」
「だが、帝国が危機に瀕している今、そのような悠長なことを言っている場合ではない」
拳を握り締める。
「神樹の国への侵攻が始まった今、次に狙われるのは帝国だ」
「私は帝国の民を守る」
「たとえ学院長の理解を得られなくともだ」
教員達は互いに顔を見合わせた。
中には戸惑う者もいた。
しかし、新聞や号外で流れた情報を見た今、不安を抱いている者も少なくない。
ラザールはその空気を敏感に感じ取る。
(皆も理解し始めている)
(私だけではない)
(魔族の危険性に気付き始めたのだ)
その思い込みが、彼の暴走をさらに加速させていた。
「本日中に研究棟の再捜索を行う」
「どんな些細な物でも構わん、魔王国と王国が繋がる証拠を探し出せ」
「はっ!」
教員達が散っていく。
ラザールは窓の外を見つめ、小さく呟いた。
「ライト・グランフェル……仮面を剥がしてやる」
◇
学院長室――
一方、こちらも慌ただしく動いていた。
机の上には王国侵攻の報告書と、学院内へ流れた偽情報が並べられている。
ルミナスは静かに資料を閉じた。
「完全に同時だ」
「神樹の国への侵攻と、学院への情報工作」
エリオスも険しい表情で頷く。
「偶然ではありません、軍事行動と情報戦を完全に連動させています」
「敵は学院が混乱することまで計算している」
「ええ」
ルミナスは腕を組む。
「大胆だが緻密な計画だな….」
その時、控えめなノックが響いた。
「失礼いたします」
入ってきたのはフィオレリアだった。
「学院長」
「生徒達の間で噂が急速に広がっています」
「ライト様を信じる者もおりますが……新聞を信じ始めている生徒も少なくありません」
ルミナスは静かに頷いた。
「ありがとう」
「報告は助かる」
フィオレリアは一歩前へ出る。
「学院長、お願いがあります」
「ライト様を一人にしないでください」
その声には、皇女としてではなく、一人の友人としての願いが込められていた。
「今のライト様が学院内を一人で歩けば、それだけで新たな噂になります」
「誰かが側にいるべきです」
エリオスが微笑む。
「よく見ていますね」
フィオレリアは静かに頭を下げた。
「私も、お力になりたいのです」
ルミナスは優しく頷いた。
「ありがとう」
「君達には通常通り接してもらいたい」
「それが一番、彼の支えになる」
「はい」
フィオレリアは力強く返事をした。
◇
同時刻――
魔王国・魔王城。
城門前には魔王軍の騎士達が集まっていた。
その前へ、一人の大男が歩み出る。
漆黒の鎧。
背には巨大な魔剣スレイブ。
魔王騎士団長――ベイル。
近衛兵が敬礼する。
「騎士団長、ライト様より緊急命令です」
ベイルは無言で命令書を受け取る。
一読しただけで、その目が鋭く細められた。
「神樹の国への援軍……」
短く呟く。
そこへ魔導通信が起動した。
映し出されたのは、ジューダス帝国に出向中のシュプールだった。
『ライト様からの要請ですぅ〜』
『神樹の国シルヴァリスを支援せよ』
『現地指揮は騎士団長ベイルへ一任』
ベイルは静かに頷く。
「了解した」
それだけだった。
しかし、その一言だけで十分だった。
彼は振り返る。
「第一騎士団、出陣準備」
低く響く声が城内へ広がる。
「目的地――神樹の国シルヴァリス」
「王国軍を迎撃する」
「ライト様の名に懸けて」
その号令に、待機していた騎士達が一斉に剣を掲げた。
「応ッ!!」
城が震えるほどの関の声。
その時だった。
ベイルの目の前に眩い光と共に誰かが降り立つ。
魔力の奔流が吹き荒れ、周囲の兵士達が思わず目を細める。
「これは……?」
ベイルが静かに振り返る。
光の中心から、一人の女性が姿を現した。
腰まで届く深紫の髪。
以前よりも深く澄んだ赤色の瞳。
そして、ラミアスとしての神秘的な尾には、竜の鱗を思わせる黒紫の紋様が浮かび上がっている。
彼女はゆっくりと目を開き、小さく微笑んだ。
「……修行、終わったわ」
魔王軍魔法師団長――アローラ。
アークラミアス。
魔竜の洞窟で、元魔王レイドのもとでの過酷な修行を終え、ついに進化を果たしたその姿だった。
ベイルは静かに口元を緩める。
「ちょうどいい」
「ライト様から、お前にも出撃命令だ」
アローラは一瞬だけ驚き、すぐに嬉しそうに笑った。
「ライト様が?」
「ええ、もちろん行くわ」
その瞳には迷いはない。
「神樹の国を守るため……そして、ライト様の信頼に応えるために」
ベイルは魔剣を肩へ担ぐ。
「では行くぞ」
「時間との勝負だ」
魔王国最強の騎士と、進化を遂げた魔法師団長。
二人を先頭に、魔王国の援軍は神樹の国シルヴァリスへ向けて動き始めた。
学院では疑惑が渦巻き、神樹の国では戦火が広がる。
それぞれの戦いは、いよいよ一つの大きな渦へと収束し始めようとしていた。




