第96話 神樹の国シルヴァリスの危機
研究棟――
朝の騒ぎは、まだライトの居る研究棟までは届いていなかった。
ライトは机へ向かったまま、新しい魔導回路の図面へ視線を落としている。
シュプールも隣で部品を組み立てながら、小さく首を傾げた。
「今日は妙に外が騒がしいですねぇ~」
「学院祭でもあるのか?」
「そんな予定はありませんよぉ~」
その時だった。
バタン――
勢いよく扉が開く。
「ライトさん!」
飛び込んできたのはリリアナだった。
肩で息をし、その表情は青ざめている。
「リリアナさん?」
ライトが驚いて立ち上がる。
彼女は一枚の新聞を握り締めていた。
「これを……読まれましたか?」
ライトは新聞を受け取り、目を通す。
『魔王国代表ライト・グランフェル』
『王国軍との内通疑惑』
『神樹の国侵攻作戦へ協力』
『英雄魔導士アイリシア失踪事件へ関与』
最後まで読み終えると、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
「王国も派手に動いてきたな」
その反応に、リリアナは目を見開く。
「驚かれないのですか?」
「驚いてはいますよ」
ライトは苦笑する。
「でも、やってないことはやってないから」
その声は落ち着いていた。
焦りも怒りもない。
だからこそ、リリアナは一つだけ確かめなければならなかった。
「ライトさん」
真っ直ぐに見つめる。
「一つだけ、お聞かせください」
研究室が静まり返る。
「アイリシア姉様の件です」
「あなたは、本当に何も関わっておられないのですね?」
シュプールも黙って二人を見守っていた。
ライトは少しだけ驚いたように目を丸くした。
そして、ゆっくりと頷く。
「関わってません」
「俺は誰も攫ってなんかいない」
「むしろ、そんな人がいるのなら助けたいですね…..俺の両親も同じですから」
一切の迷いがない。
その瞳を見た瞬間。
リリアナは微笑んだ。
「やはりそうでした」
ライトが少し困ったように笑う。
「疑わないんですか?」
「疑いません」
即答だった。
「私は風の精霊と共に育ちました」
「嘘をつく人の風は濁ります」
そっと目を閉じる。
「でも今のライトさんの風は、とても澄んでいます」
「だから信じます」
ライトは照れくさそうに頭を掻いた。
「ありがとう」
その一言だけだった。
だが、その言葉には十分な重みがあった。
◇
リリアナは新聞を握り締める。
「ですが……」
その表情が再び曇る。
「王国軍は、本当に神樹の国へ侵攻を始めました」
「父上や母上……皆様が危険です」
その声は震えていた。
故郷が戦火に包まれている。
王女である彼女にとって、それは何より辛い知らせだった。
ライトは静かに考え込む。
やがて、何かを決めたように顔を上げた。
「シュプール」
「はい?」
「魔王国へ連絡できるか?」
シュプールは少し驚いた表情になる。
「できますけどぉ~」
「援軍を出そう」
その一言に、研究室の空気が止まる。
リリアナが目を見開いた。
「援軍……ですか?」
「うん」
ライトは頷く。
「王国から宣戦布告を受けている帝国は、今すぐには動けない」
「でも魔王国なら動ける」
「今回の戦争は、神樹の国だけの問題じゃない」
「王国を止めなきゃ、次は帝国だろうから」
シュプールは静かに微笑んだ。
「ライト様らしいですねぇ~」
「誰を向かわせますか?」
ライトは少し考える。
「俺が行くのが一番早いけど……」
すぐに首を横へ振った。
「いや、駄目だ」
「今ここを離れたら、本当に逃げたことにされる」
「だから――」
その瞳が静かに輝く。
「ベイルに頼もう」
シュプールも納得したように頷いた。
「魔王国最強騎士団長ですからねぇ~」
「十分すぎます」
ライトは続ける。
「それと」
少しだけ笑う。
「アローラも一緒に」
シュプールが口元を緩めた。
「あの方なら喜びますよぉ~」
現在は進化の為に魔竜の洞窟にいるはずのアローラ。
進化を果たしたという報告は受けていない…..しかし、この戦いに勝つには彼女の力が必要だ。
軍を指揮すれば魔王国随一
ベイルとの連携なら、尚のこと力は増す…..神樹の国の大きな助けとなるはずだ。
「ベイルなら状況判断もできる」
「アローラなら大規模な魔法攻撃も可能だ」
ライトは真っ直ぐリリアナを見る。
「必ず間に合わせる」
その言葉を聞いた瞬間。
リリアナの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「……ありがとうございます」
王族としてではない。
一人のエルフとして。
故郷を想う少女として。
深く頭を下げる。
ライトは少し慌てたように笑った。
「まだ間に合うか分からない…..でも、できることは全部やるよ」
その言葉に、リリアナはもう一度、小さく頷いた。
研究室の外では、学院中へ疑惑と不信が広がり続けている。
だが、その部屋の中だけは違った。
誰一人として、ライトを疑う者はいなかった。
そしてその頃、魔王国では、魔王騎士団長ベイルへと一通の緊急召集命令が届けられようとしていた。




