第93話 断絶
帝国学院。
図書館を後にした二人は、そのまま学院裏手の中庭へ足を運んでいた。
昼下がりの柔らかな陽光。
色とりどりの花が咲き誇り、小さな噴水の水音だけが静かに響いている。
「ここ……綺麗ですね」
リリアナが足を止める。
「学院で一番好きな場所なんです」
ライトは少し照れくさそうに笑った。
「考え事するときとか、新しい魔法を思いつきたい時によく来ます」
「だから、ここへ?」
「はい」
リリアナは小さく頷く。
確かに、この場所は不思議だった。
学院の中心にあるとは思えないほど静かで、風の流れも穏やかだ。
「……いい風ですね」
そっと目を閉じる。
サァァァ……
木々が優しく揺れる。
その瞬間だった。
「……!」
リリアナの首飾りが淡く輝く。
昨日よりも。
今日の朝よりも。
さらに強く。
まるで、この場所そのものが何かを歓迎しているかのように。
(また……)
風が囁いている。
『この人を守って』
そんな声が聞こえた気がした。
「リリアナさん?」
「えっ?」
ライトが不思議そうに覗き込んでくる。
距離が近い。
思わず心臓が跳ねた。
「顔色、大丈夫ですか?」
「あ……はい、大丈夫です」
慌てて一歩下がる。
(落ち着いてください、私……)
王族として数え切れないほど外交を経験してきた。
他国の王子とも会った。
英雄とも会った。
なのに。
目の前の少年を相手にすると、どうにも調子が狂う。
◇
「そういえば」
ライトが噴水の縁へ腰を下ろす。
「リリアナさんって、昔から風魔法が得意だったんですか?」
「ええ」
リリアナも隣へ座った。
「物心ついた頃には、精霊と話していました」
「すごい……」
「エルフでは珍しくありません」
「俺には絶対できないなぁ」
ライトは空を見上げる。
「精霊って、どんな感じなんです?」
「……そうですね」
少し考える。
「言葉ではありません」
「感情です」
「風が嬉しい時は暖かく。」
「悲しい時は冷たく。」
「怒れば嵐になります」
「へぇ……」
ライトの瞳が輝く。
完全に研究者の目だった。
「じゃあ今は?」
「今ですか?」
リリアナは静かに目を閉じる。
そして。
くすりと笑った。
「とても喜んでいます」
「?」
「ライトさんに会えたことを」
「俺?」
「はい」
「どうして?」
「それは……」
答えられなかった。
自分にも分からない。
ただ。
風が。
精霊達が。
目の前の少年を歓迎している。
それだけは確かなのだ。
◇
その頃。
学院の屋根の上。
黒い外套を纏った男が望遠魔法陣を覗いていた。
「接触を確認」
低い声。
男の胸元には、黒曜石を模した小さな徽章。
王国諜報部。
黒曜計画実行部隊。
「対象ライト・グランフェル」
「対象リリアナ・シルヴェル」
「両名の接触頻度、想定以上」
魔導通信石へ報告を送る。
『こちら梟』
『報告します』
『第二王女は既に対象へ強い興味を示しています』
数秒後。
通信石が淡く光る。
返答は短かった。
『監視を継続』
『接触は許可』
『誘導を開始せよ』
男の口元が歪む。
「了解」
風が吹く。
その姿は一瞬で屋根の上から消えていた。
◇
同時刻。
アストリア王国。
地下最深部。
黒曜計画・中央制御室。
巨大な魔法陣の中央で、レイヴンは静かに目を閉じていた。
「始まりましたか」
報告書へ目を通す。
「予定より早いですね」
研究局長が尋ねる。
「問題でしょうか?」
「いいえ」
レイヴンは微笑んだ。
「運命とは、人の意思よりも強いものです」
「放っておいても、彼らは引き寄せられる」
「だから我々は」
指先で盤面を軽く叩く。
「ほんの少し」
「運命を加速させればいい」
研究員達が静まり返る。
レイヴンは続ける。
「黒曜計画第二段階」
「コードネーム――」
一枚の資料が机へ置かれる。
そこに書かれた文字は。
『断絶』
「帝国、神樹の国、魔王国、三国の信頼を同時に揺るがす…..その準備を始めます」
誰も反論しない。
王国はもう後戻りできなかった。
◇
夕暮れ。
帝国学院。
中庭では、ライトとリリアナが魔法陣を描きながら議論を続けていた。
「ここを風で回転させれば」
「光がさらに安定しますね」
「なるほど!」
「その発想はありませんでした!」
夢中だった。
時間を忘れるほど。
マキナは少し離れた木陰から、その様子を見つめている。
『……』
無表情。
だが。
内部演算は止まらない。
《主人の感情変化を確認》
《笑顔出現率、通常時より三七%上昇》
《同行対象:リリアナ・シルヴェル》
《評価――》
ほんの僅かに首を傾げる。
『ヨイトモダチ』
それだけ呟くと、また静かに二人の護衛へ戻った。
そして誰も気付かない。
学院を包む穏やかな夕風の中に一筋だけ、冷たく不自然な風が混じっていたことに。
それは帝都へ忍び込んだ王国の工作員が動き始めた証。
平和な学園生活の裏で、「黒曜計画」は静かにその包囲網を狭めていた。
ライトも、リリアナも、まだ知らない。
二人がこうして笑い合える穏やかな日々は、王国が仕掛ける次なる一手によって、大きく揺らぐことになるのだった。




