第92話 深まる親睦
翌日――
帝国学院。
中央図書館。
帝都最大級の蔵書を誇るその場所は、朝にもかかわらず静寂に包まれていた。
高い天井まで届く本棚。
魔導書、歴史書、古代文明の文献。
数十万冊もの書物が整然と並ぶ光景に、リリアナは思わず息を呑む。
「……すごい」
「こんな蔵書量は初めて見ました」
「俺も最初は迷いました」
ライトは苦笑する。
「今でも目的の本を探すのに一時間くらい掛かります」
「それは方向音痴なのでは?」
「……否定できません」
「ふふっ」
リリアナは口元を押さえて笑った。
昨日よりも自然に笑えている自分に気付く。
その様子を、少し離れた場所からマキナがじっと見つめていた。
『ゴシュジンサマ』
「ん?」
『オンナノコヲワラワセルノガジョウズニナリマシタ』
「なんだその評価」
『セイチョウデス』
「保護者みたいなこと言うな」
『ホゴシャデス』
「違うから!」
図書館の司書達が思わず吹き出す。
帝国学院では、もはや日常の光景だった。
◇
「こちらです」
ライトが一冊の本を取り出す。
『精霊魔法概論』
「風魔法なら、この本が一番分かりやすいですよ」
「……え?」
リリアナが目を丸くした。
「これ、人族が書いた本ですよ?」
「はい」
「読まれたことが?」
「三回くらい」
リリアナは恐る恐る本を開く。
そして数ページ読んだところで、目を見開いた。
(すごい……)
理論は人族のもの。
だが。
精霊との親和性についての考察は、エルフの文献にも劣らない。
「これを書いた方は?」
「聖女です」
「ああ……聖女様なら納得です」
リリアナは微笑んだ。
しかし、その隣でライトは別の棚から十冊近い本を抱えて戻ってくる。
「あと、この辺も参考になります」
「そんなに?」
「面白いですよ」
「全部読むんですか?」
「もちろん」
あまりにも当然のように答える。
リリアナは思わず笑ってしまった。
(本当に魔法が好きなんですね)
◇
しばらくして。
二人は閲覧席へ腰掛けた。
静かな時間が流れる。
ページをめくる音だけが響く。
「……あ」
リリアナが小さく声を漏らした。
「どうしました?」
「この理論……」
「風属性だけでは完成しません」
ライトが本を覗き込む。
「ほんとだ」
「ここ、光属性で補助すると安定しそうですね」
「えっ?」
リリアナは驚く。
自分が言おうとしていたことを、一瞬で言い当てられた。
ライトは紙へさらさらと術式を書き始める。
「ここをこうして……」
「光で魔力を整列させれば」
「風の乱流が減る」
リリアナも思わず身を乗り出した。
「その発想はありませんでした……!」
「え?」
「普通ですよ?」
「普通ではありません」
即答だった。
「光属性で風属性を補助するなんて、誰も考えません」
「そうなんですか?」
「ええ」
ライトは首を傾げる。
「属性って、組み合わせた方が面白いじゃないですか」
「……」
その一言に。
リリアナは思わず見惚れた。
(固定観念がない)
だからこそ。
誰も思い付かない魔法を生み出せる。
叔母が「面白い子」と言った理由が、少し分かった気がした。
◇
その頃。
図書館最上階。
学院長室へ続く回廊。
ルミナスとエリオスは、窓越しに二人を眺めていた。
「もう共同研究を始めてるね」
「予想以上ですよ」
エリオスは苦笑する。
「普通なら王女は相手を値踏みします」
「ライト君は肩書きを気にしない」
「だからリリアナも自然体でいられる」
ルミナスは静かに頷いた。
「……でも」
その表情が少しだけ曇る。
「時間がない」
エリオスも笑みを消した。
「王国ですか」
「うん」
「王国は一度失敗した程度では止まらない」
「むしろ次は、もっと巧妙に来る」
◇
同時刻――
アストリア王国。
地下最深部。
黒曜計画・第一実験区画。
巨大な扉がゆっくりと開く。
その奥には。
漆黒の結晶が無数に突き刺さった広大な空間が広がっていた。
中央には。
人型の石像が七体。
火。
水。
風。
土。
雷。
光。
闇。
それぞれ異なる紋章が刻まれている。
だが。
風の石像だけは、胸部に淡い緑色の光が宿っていた。
アイリシアから抽出されたレガリアの力。
「適合率四十二パーセント」
研究員が報告する。
「光と闇の器がなければ、これ以上は進みません」
国王は静かに頷く。
「予定通りだ」
レイヴンが石像を見上げる。
「焦る必要はありません」
「ライト・グランフェルは必ずここへ辿り着く」
「運命は、そのように出来ています」
その瞳には確信があった。
「第二段階では、帝国内に潜伏している工作員を動かします」
「目標は一つ」
レイヴンは静かに笑う。
「ライト・グランフェルの日常を壊すこと」
「守りたいものが増えれば増えるほど、人は隙を見せる」
「そこを狙います」
国王は満足そうに目を細めた。
「良い」
「黒曜計画を続行せよ」
◇
一方、その頃。
帝国学院図書館では。
「できました!」
ライトが一枚の術式を書き上げる。
「リリアナさん、これ試してみませんか?」
「もう完成したのですか?」
「試作品ですけど」
リリアナは術式を見て、思わず息を呑む。
(たった一時間で……?)
それは、自分が長年研究していた風魔法を、さらに一段階進化させる可能性を秘めた術式だった。
「……本当に」
リリアナは小さく呟く。
「あなたは、面白い人ですね」
ライトは照れくさそうに笑う。
「そうですか?」
「はい」
「今まで出会った誰とも違います」
その言葉と同時に。
窓から吹き込んだ風が、二人の書きかけの術式をふわりと揺らした。
誰にも聞こえないほど小さく。
まるで祝福するように。
優しい風が、二人の間を吹き抜けていった。
その風はまだ、誰も知らない。
やがて世界を揺るがす「光と闇」そして「風」の運命が、静かに重なり始めた証であることを。




