第85話 レガリア
帝国と王国その国境付近――
人の寄り付かない山岳地帯。
吹雪が荒れ狂う断崖の上空に、巨大な転移魔法陣が展開された。
ドォォォォォン!!
轟音と共に吐き出されたのは、翡翠色の巨躯。
翡翠の特殊個体だった。
巨体は山肌へ激突し、大量の雪と岩を巻き上げながら斜面を滑り落ちる。
その肩から一人の青年が飛び降りた。
レイヴンだ。
『……予想以上でしたね』
静かに呟く。
目の前の特殊個体は満身創痍だった。
頭部は半壊。
左腕は消失。
胸部装甲も大きく抉られている。
損傷率六十七パーセント。
王国が長い年月をかけて完成させた切り札。
本来ならば一国の軍隊すら壊滅させられる兵器。
そのはずだった。
だが。
学院一つ落とせなかった。
脳裏に浮かぶのは二人。
ライト・グランフェル。
そして銀髪の機械人形――マキナ。
『危険ですね』
レイヴンの目が細くなる。
特にマキナ。
王国の情報網に一切存在しなかった未知の兵器。
あれほどの戦闘能力を持つ存在を、これまで誰一人把握できていなかった。
それは王国にとって看過できない事実だった。
『報告内容を修正する必要がありますね』
レイヴンは踵を返した。
だがその口元には笑みが浮かんでいる。
『ですが』
視線は帝国の方角へ向く。
『種は蒔けた』
学院襲撃。
魔王国製兵器。
皇女暗殺未遂。
そして魔王国を名乗る工作員。
事実はどうあれ。
疑念は残る。
帝国と魔王国の間に生まれた小さな亀裂は、これから確実に広がっていく。
それこそが今回の任務の本質だった。
『次はもっと大きく燃やしましょう』
レイヴンはそう呟くと、その場を後にした。
◇
アストリア王国。
王都地下深く。
極秘研究施設。
翡翠の特殊個体は即座に回収されていた。
研究員達が慌ただしく動き回る。
『媒体の保護を急げ!』
『生命維持装置起動!』
『魔力循環率低下!補助術式を展開しろ!』
特殊個体の胸部装甲が開く。
内部に現れた夥しい数のケーブル。
そして。
その中心に一人の女性が眠っていた。
輝くような金色の長い髪。
透き通るような白い肌。
長い耳。
誰が見てもエルフと分かる容姿。
しかし、その身体には無数の魔力管が突き刺さっていた。
まるで生体部品。
いや。
実際にそう扱われているのだろう。
『生命反応確認!』
『媒体生存!』
『風属性反応安定!』
研究員達が安堵する。
レイヴンは静かに彼女を見下ろした。
その名は――
アイリシア・シルヴェル。
神樹の国シルヴァリス出身。
エルフ国最強。
史上最高の天才魔導士。
そして。
数百年前に起きたエルフ国とドワーフ国の大戦争を終結へ導いた伝説の英雄。
当時、戦場を吹き荒れた暴風は山脈すら削り取ったと言われている。
一人で軍勢を壊滅させ。
一人で要塞を陥落させ。
一人で戦争の流れを変えた。
その偉業から彼女は後に、
『神風の精霊』
と呼ばれるようになった。
エルフ達にとっては伝説。
子供達の憧れ。
しかし。
今の彼女は違う。
数年前。
王国によって秘密裏に拉致された。
そして現在。
翡翠の特殊個体を動かす生体媒体として利用されている。
瞼は閉じられたまま。
意識もない。
だが生きている。
だからこそ価値がある。
『風のレガリア』
レイヴンが呟く。
研究員達の表情が引き締まる。
誰も軽々しく口にしない言葉。
それが――
レガリア。
世界に七人しか存在しない、属性の頂点。
その一柱。
アイリシア・シルヴェルは風を司るレガリアだった。
『レガリアを死なせるな』
『死ねば次を探すのが面倒だ』
◇
アストリア王城
最重要機密会議室
そこには王国中枢の人間達が集まっていた。
国王。
軍務大臣。
研究局長。
そして諜報部の幹部達。
会議室中央には七つの紋章が描かれた巨大な円卓。
火
水
風
土
雷
光
闇
世界を構成する七つの属性。
それぞれの属性を司るレガリア。
その情報が机上へ並べられていた。
【風のレガリア】
アイリシア・シルヴェル
状態:確保済み
国王の指が次の資料へ移る。
【光のレガリア】
【闇のレガリア】
ライト・グランフェル
状態:未確保
沈黙。
重苦しい空気。
やがて研究局長が口を開く。
『学院での観測結果も一致しました』
『間違いなく対象です』
『光と闇』
『二属性同時保持者』
会議室が静まり返る。
本来あり得ないことだった。
レガリアは一人につき一属性。
それが絶対。
それが世界の法則。
だが。
ライト・グランフェルだけは違う。
光。
そして闇。
相反する二つを同時に宿している。
前例など存在しない。
『勇者と聖女の子....光のレガリアであろうとは思っていたが、よもや闇のレガリアでもあるとはな』
光のレガリアは、元々ライトで間違いないと思っていた。
そして、闇のレガリアは魔王に連なる者の誰かだと。
しかし、ライトはその両方となっていた。
『ライト・グランフェルを必ず確保しろ』
国王が静かに言う。
誰も反論しない。
王国は長年探していた。
レガリアを。
一人ずつ。
何十年も。
何百年も。
そして今。
計画は最終段階へ近付きつつある。
『残る未確保対象は』
軍務大臣が尋ねる。
研究局長が答えた。
『火』
『水』
『土』
『雷』
『以上四名』
『所在は未だ不明です』
国王は静かに目を閉じた。
そして。
ゆっくりと開く。
『ライト・グランフェルの捕獲を最優先事項とする』
その言葉に全員が頭を垂れる。
『二度の魔王国侵攻は失敗した』
『だが諦めるな』
王国はライトを欲していた。
最初から。
だからこそ二度も魔王国へ侵攻した。
だからこそ戦争すら起こした。
全ては彼を手に入れるため。
『必ず生け捕りにしろ』
『殺すな』
『何としても確保しろ』
国王の瞳に狂気にも似た執念が宿る。
その理由は誰も口にしない。
なぜレガリアを集めるのか。
全てを揃えた先に何があるのか。
それを知る者は、この場でもほんの一握りだった。
◇
その頃。
帝国学院。
『うわぁ……体育館なくなってる……』
ライト・グランフェルは頭を抱えていた。
『マキナ』
『ハイ』
『説明して』
『センメツシヨウトシマシタ』
『なんでだよ』
『テキダッタノデ』
『正論だけど加減しろ!!』
マキナは首を傾げる。
『ハンセイシテイマス』
『してるように見えないんだよなぁ……』
平和だった。
少なくとも本人はそう思っていた。
王国で話し合われていることも。
自分がレガリアであることも。
何一つ知らない。
だが世界の裏側では。
既に彼を巡る争いが始まっていた。
そしてその先には。
世界そのものを揺るがす王国の計画が待っている。
まだ誰も知らない。
レガリアが全て揃った時。
何が起こるのかを。




