第50話 牙をむく魔王
漆黒の炎が戦場を焼き尽くしていた。
黒。
ただ黒いだけの炎。
しかし、その炎はあらゆる命を喰らい、触れた者を灰へと変えていく。
地獄だった。
そこかしこから苦悶の声が響き渡る。
倒れ伏す魔族。
燃え盛る兵士。
そして、その地獄の中心には――一機の特殊個体が立っていた。
闇夜を思わせる漆黒の装甲。
その周囲に浮かぶ無数の魔法陣。
兵士は薄れゆく意識の中、その光景を見上げる。
そして特殊個体が放った魔法を目にした。
『……アビスフレア』
魔王だけが扱える固有魔法。
なぜ。
なぜ王国軍が。
なぜ敵が。
答えを得ることなく、その兵士は息絶えた。
◇
『アローラ様!』
司令部へ駆け込んできた斥候が叫ぶ。
『前線にてアビスフレアと思われる魔法を確認しました!』
その言葉に、アローラは勢いよく立ち上がった。
『魔王様が……!?』
歓喜にも似た表情。
『戻ってこられたのね!?』
しかし。
次の報告がその希望を打ち砕く。
『いえ……アビスフレアは王国軍側から放たれました』
空気が凍った。
『……え?』
『被害は甚大です。前線が崩壊しかけています』
『そんなはずない……』
アローラの唇が震える。
『魔王様が……私達を攻撃するはずがない……』
理解を拒絶するように首を振る。
しかし現実は変わらない。
前線は焼かれていた。
その炎によって。
アローラは膝をついた。
『そんなこと……あるはずない……』
完全に思考が停止していた。
その時だった。
『オラが行くだーよ』
場違いなほど穏やかな声。
振り返った斥候の視線の先には、赤き巨体が立っていた。
オーガエンペラーホイズ。
『あそこはオラが行くだーよ』
ホイズは震えるアローラを見下ろし、小さく微笑んだ。
『アローラは疲れてるだ』
そして肩にそっと手を置く。
『少し休むだーよ』
返事はない。
それでもホイズは頷いた。
『じゃあ、行ってくるだ』
その背中には覚悟が宿っていた。
◇
一方、前線。
そこでは既に死闘が始まっていた。
ベイル。
ハク。
ヒメル。
三人が相対するのは漆黒の特殊個体。
その周囲を埋め尽くす魔法陣から、絶え間なく最上級魔法が降り注ぐ。
兵士達は既に退避済みだった。
これ以上戦場に残せば無駄死にになる。
そう判断したのはベイルだった。
『俺が引きつける!』
ハクが戦場を駆ける。
白銀の閃光。
その速度は常識を超えていた。
敵兵。
兵士型ゴーレム。
あらゆる敵を翻弄しながら急所だけを切り裂いていく。
まさしく白狼王。
森の支配者だった。
そしてベイルとヒメルは黒い特殊個体へ迫る。
『いくぞ!』
『うん!』
上下同時攻撃。
深淵断罪。
竜星墜。
必殺の奥義が炸裂する。
しかし――
ゴォォン!!
魔力障壁。
黒い特殊個体は無傷だった。
『……破れぬか』
ベイルは歯を噛み締める。
そして確信する。
あれは魔王ガルスだ。
アビスフレア。
エレオノーラ。
特殊個体の構造。
全てが繋がる。
王国は強者を特殊個体へ変えている。
ならば。
魔王ガルスも。
『くっ……!』
その時だった。
特殊個体の前に幾重もの魔法陣が展開される。
見覚えがある。
忘れるはずがない。
『アビスフレア……!』
ベイルが叫んだ。
『退避しろぉぉぉっ!!』
轟音。
黒炎。
世界そのものが焼き尽くされる。
ベイルもハクも逃げ切れない。
業火に呑まれる。
『ベイルさん!!』
ヒメルの悲鳴。
やがて炎の中から二つの影が飛び出した。
全身を焼かれながら。
辛うじて生き延びていた。
『はぁ……はぁ……』
『あつい……』
限界だった。
そこへ。
『ぬがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
戦場を揺るがす咆哮。
真紅の巨体が空へ舞い上がる。
ホイズだった。
『メテオスマァァァッシュ!!』
隕石。
ホイズはまさにそれだった。
巨大な拳が特殊個体へ叩き込まれる。
だが。
『ドラゴンフレイム』
無情な声。
障壁は砕けない。
逆に炎がホイズとヒメルを飲み込む。
吹き飛ばされる二人。
地面に叩きつけられる。
誰も立てない。
誰も戦えない。
そして。
黒き特殊個体の前方に、幾重もの魔法陣が展開される。
見覚えのある術式。
いや――忘れるはずがない。
魔王軍の誰もが知る、絶望の魔法。
『アビスフレア……』
死刑宣告だった。
ベイルは歯を食いしばった。
ホイズは満身創痍の身体を無理やり起こそうとする。
ハクも、ヒメルも。
誰一人として立ち上がれない。
漆黒の炎が四人へ向かう。
誰も逃げられない。
もう間に合わない。
誰もがそう悟った。
ゴォォォォォォォッ――!!
放たれる漆黒の業火。
死の炎が四人へ襲い掛かる。
その瞬間だった。
『ディバインアビスフレイムッ!!!』
轟音。
閃光。
戦場そのものが白黒二色に染まる。
次の瞬間――
ドゴォォォォォォォンッ!!
天を裂くような爆発が巻き起こった。
漆黒の炎と、白黒に輝く神炎が正面から激突する。
互いに喰らい合い。
削り合い。
そして――
押し返した。
アビスフレアを呑み込みながら、白黒の炎がそのまま黒い特殊個体へと襲い掛かる。
轟炎に包まれる特殊個体。
衝撃波が戦場全体を揺らした。
『なっ……!?』
ベイルが目を見開く。
『あれぇ!?』
ヒメルも驚きの声を上げた。
あり得ない。
アビスフレアを真正面から打ち消し、なお余力を残すなど。
そんな芸当ができる者を彼らは一人しか知らない。
やがて爆炎の向こうから、一つの人影が歩み出る。
逆光の中。
風に揺れる銀髪。
その顔を見た瞬間――
ホイズの表情がぱっと明るくなった。
『ライト様だーよ!!』
ハクの尻尾が勢いよく振られる。
『ライトーー!!』
ベイルも静かに息を吐く。
胸の奥に溜まっていた重圧が、ようやく消えた。
そして。
煙の向こうから現れた少年は、いつも通り困ったように頭を掻きながら笑った。
『あぶなかったぁ……』
まるで散歩帰りのような気軽さで笑う。
『ギリギリ間に合ったみたいだね』
その言葉と共に。
絶望に覆われていた戦場に、希望が帰ってきた。




