第41話 ジューダス帝国の使者
森を抜けたフィオレリア皇女たちが目にしたのは――
その想像を遥かに超える光景だった。
眼前にそびえ立つのは、果てが見えぬほど巨大な防壁。
まるで大地そのものを断ち切るかのような威容を誇り、その圧倒的な高さは訪れた者に絶対的な威圧感を与えていた。
さらに防壁の前方には、武装した魔族たちが整然と陣を敷いている。
オーク。
リザードマン。
ゴブリン。
オーガ。
人族の国では脅威として語られる魔物たちが、今は統率の取れた兵士として並び立っていた。
そして防壁の上。
そこには杖を携えた魔法師団の面々がずらりと並び、その瞳は怪しく光を帯びている。
極め付けは魔導兵器の機銃だ。
その複数の銃口が全てフィアレリアの一団に向けられている。
まるで、一歩でも不審な動きを見せれば即座に殲滅する――
そう言わんばかりだった。
「……」
騎士たちの背筋を冷たいものが走る。
一瞬の戦慄。
だが彼らは即座に我に返り、護衛対象であるフィオレリア皇女を中心に防御陣形を形成した。
その時だった。
防壁上から声が響く。
決して大声ではない。
だが不思議なほど鮮明に耳へ届いた。
『あなた方は何用で、この魔王国へ足を踏み入れようとしているのかしら……』
フィオレリアたちは声の主を探し、防壁上へ視線を向ける。
そこに立っていたのは一体のラミアス。
長い黒髪を風に揺らしながら、鋭い紫色の瞳でこちらを見下ろしている。
魔王軍魔法師団長。
そして現在の魔王国防衛責任者――アローラであった。
「魔族か……」
シグルドが静かに呟く。
「なんだか思った以上に物々しいな……どうする? 一旦引き返すか?」
ハインツが小声で尋ねる。
だが、その時。
騎士たちをかき分けるように、一人の少女が前へ出た。
フィオレリア皇女だ。
彼女は護衛たちを制し、堂々と魔王軍の前へ進み出る。
そして真っ直ぐアローラを見据えた。
『私たちは戦うために来たのではありません!』
凛とした声が響く。
『ジューダス帝国皇帝陛下の命により、魔王ガルス陛下への謁見を願い参上した使者です!』
堂々たる姿だった。
眼前には数百を超える魔族の軍勢。
それでも一歩も退かない。
恐怖を押し隠しているのではない。
覚悟を決めた者だけが持つ気高さがそこにはあった。
「……」
アローラは静かに目を細めた。
ジューダス帝国。
中央大陸南部に存在する大国。
その名は知っている。
そして目の前の者たちからは、少なくとも今すぐ戦おうという意思は感じられない。
騎士たちは警戒こそしているが抜剣していない。
だが――
言葉だけで信用するほど甘くもない。
(ライト様なら……)
ふと脳裏をよぎる。
あの少年の姿が。
(ライト様なら、あの全てを見抜く瞳で一瞬で真偽を看破してしまわれるのでしょうけれど……)
アローラは小さくため息をついた。
今この場にライトはいない。
ならば自分が判断するしかない。
『貴女方がジューダス帝国の使者であると証明できるものはあるかしら?』
『ございます』
答えたのはシグルドだった。
『皇帝陛下より預かった親書があります』
『ならば提出して頂けるかしら』
『承知した』
その瞬間。
空から影が降り立つ。
バサリと翼を広げながらエドが着地した。
『預かろう』
『よろしく頼む』
短い言葉を交わし、シグルドは書状を手渡す。
エドは即座に防壁上へ戻った。
受け取ったアローラは蝋印を確認する。
双頭の鷲。
間違いない。
ジューダス帝国皇室の正式な紋章だった。
偽物ではない。
アローラはゆっくり頷く。
『ジューダス帝国の使者であることは確認致しましたわ』
フィオレリアの表情が僅かに明るくなる。
だが次の言葉で再び凍り付いた。
『ですが――貴女方の願いを叶えることは出来ません』
『なぜです!?』
フィオレリアが思わず声を上げる。
『我々が正式な使者であることは証明されたはずです!』
『理由は簡単ですわ』
アローラは静かに告げた。
『現在、魔王様はこの国にいらっしゃいません』
『――っ!?』
騎士たちに動揺が走る。
『どちらにおられるのです!?』
『それは申し上げられません』
『ならば、いつ戻られるのですか!』
『それも分かりませんわ』
アローラは目を伏せた。
本当に分からない。
むしろ自分たちの方が知りたいくらいだった。
フィオレリアの肩が落ちる。
その横でシグルドが一歩前へ出た。
『でしたらお願いがあります』
『なにかしら?』
『魔王陛下不在の今、この国を預かる代表者の方にお会いすることはできないでしょうか』
アローラは少し考える。
そこまでして会いたい理由。
何か重大な事情があるのだろう。
ならば――。
『現在この国には、魔王代行を務めるライト様がおられますわ』
その瞬間。
アローラの表情が少し緩む。
『その方は実に麗しく……』
一瞬うっとりした。
『あっ、ゴホン!』
慌てて咳払いする。
『と、とにかく! その方が現在この国の代理責任者ですわ。ただし、そのライト様も今は遠方へ出ておられます』
『では……』
『お戻りになるまで待って頂けるのでしたら、お目通りを願い出ることは可能ですわ』
『本当ですか!』
シグルドの声が弾む。
『是非お願い致します!』
フィオレリアも安堵したように息を吐いた。
するとアローラが満面の笑みを浮かべる。
『話は決まりですわね!』
パンッ!
手を打った。
嫌な予感がした。
フィオレリアは本能的にそう思った。
『貴女方はライト様の大切なお客様ですわ!』
アローラが高らかに宣言する。
『お待ち頂く間、魔王城にて最高のおもてなしをさせて頂きますわ!!』
『え?』
『え?』
フィオレリアと騎士たちの声が重なった。
『い、いえ! そこまでして頂かなくても――』
『そんな訳には参りません!』
即却下。
『総員! 陣を解きなさい! ライト様のお客様を魔王城へご案内するのです!』
『『『ハッ!!』』』
魔王軍が一斉に動き出す。
『ちょ、ちょっと待っ――』
『遠慮は無用ですわ!』
『だから待っ――』
『さあ行きますわよ!』
抵抗虚しく。
フィオレリア皇女一行は大量の魔族たちに囲まれながら、半ば強制的に魔王城へと連行――もとい、案内されるのであった。
そしてフィオレリアはまだ知らない。
この先待っている魔王城での歓待が、想像していた外交交渉とはまったく別方向に暴走することを――。




