第116話 絶望の果てに
――神樹の国シルヴァリス
戦いが終わってから、三日が経っていた。
あれほど激しかった戦場には、今も無数の爪痕が残されている。
大地を抉った無数の亀裂。
焼け焦げた森。
そして、神樹に刻まれた巨大な斬撃の跡。
かつて美しかった神樹の国は、見る影もないほど傷付いていた。
それでも……
「……少しずつですが、神樹の力が戻ってきています」
エルフの長老が、静かに空を見上げる。
「この国は……まだ生きています」
その言葉に、誰もが黙って頷いた。
失ったものは大きい。
だが……守り抜いたものも、確かに存在していた。
◇
――神樹の国・大樹宮
戦いの後、ここは臨時の治療施設となっていた。
その最奥に三つのベッドが並べられている。
「…………」
一つ目
聖女エレナ
「…………」
二つ目
剣王カイゼル
「…………」
三つ目
盾王ガルディオ
三人とも、未だに目を覚ましてはいない。
身体には無数の傷。
魔力経路には、王国による改造の痕跡。
そして、生命維持のための魔導管が繋がれている。
「生命に危険はありません」
エルフの治療師が報告する。
「ですが……精神と魔力の消耗が激しすぎます」
「いつ目を覚ますかは……分からないのです」
その言葉を聞いたガルスは、静かに三人を見つめていた。
「そうか」
魔帝王となった男の表情に、いつもの豪快さはない。
「なら、目ぇ覚ますまで待つしかねぇな」
「こいつらも……」
ガルスは拳を握る。
「アレンと同じで、王国に利用された被害者だ」
その隣で、アローラが静かに目を閉じた。
「ええ……」
彼女の脳裏には、もう一人の仲間の姿が浮かんでいる。
魔導王メフィルド。
「だからこそ……三人には、生きていてほしいです」
「そして……」
アローラは窓の外を見る。
「いつか、アレンも……」
その言葉の先を、誰も口にしなかった。
◇
――神樹の国・医療区画
「ライト様!」
「動かないでください!」
「傷口が開きます!」
「大丈夫だって」
ベッドの上。
ライトは包帯だらけの身体を起こそうとしていた。
「俺なら、もう動ける」
「動けません!」
アローラの怒声が飛ぶ。
「背中を深く斬られているんですよ!」
「肋骨も何本折れていると思っているんですか!」
「魔力経路だってボロボロです!」
「それに……」
アローラは言葉を止める。
「翼も……」
ライトの背中。
聖魔王化によって顕現した白と黒の翼。
その片翼は、未だ完全には戻っていなかった。
ライトは黙って自分の手を見る。
「……分かってる」
「でも」
その時だった。
「ライト」
聞き慣れた声。
ガルスが部屋へ入ってくる。
「お前に話がある」
ライトの表情が変わった。
「父ちゃん?」
ガルスは答えなかった。
その表情だけで何か良くないことが起きたのだと分かる。
「……何?」
「学院から連絡が来た」
「帝国学院から?」
ライトは身を起こす。
「ルミナス学院長から?」
沈黙。
「……違う」
ガルスが低く答える。
「学院長は……」
「王国に攫われた」
「…………」
一瞬……時間が止まった。
「……え?」
ライトの声が震える。
「何……?」
「犯人はアストリア王国の工作部隊だ」
混乱するライトにガルスは話を続ける。
「犯人の中には、レイヴンという男もいたらしい」
「…………」
ライトの瞳から、光が消える。
「いつ……?」
「お前がここへ来た直後だ」
「つまり……」
ライトの手が震えた。
「俺が……学院を離れた後……?」
誰も答えない。
「俺が……神樹の国へ来たから……?」
「ライト!」
「俺が父ちゃん達を助けに来たから……!」
ライトがベッドから飛び降りる。
「くっ……!」
激痛が全身を駆け抜ける。
膝が崩れた。
「ライト様!」
アローラが慌てて身体を支える。
「離してくれ!」
「でも!」
「学院長を助けに行かないと!」
ライトは必死に立ち上がろうとする。
「今すぐ行く!」
「俺が……!俺が学院に残っていれば……!」
拳を握る。
「学院長は攫われなかった!」
「俺が……!俺が自分勝手に……!」
「違う!」
その声が響いた。
「違います!」
扉の向こう。
そこには、リリアナ王女と副学院長のエリオスの姿があった。
神樹の国シルヴァリスの王家に連なる血筋のリリアナとエリオスは、学院襲撃事件の後に国に呼び戻されていたのだ。
エリオスは全身に包帯を巻き、痛々しい姿となっている。
それでも。
エリオスは、ライトを真っ直ぐ見ていた。
「副学院長……」
「ライト君」
エリオスは苦笑する。
「君は……何も間違っていない」
「……でも!」
「間違っていない!」
エリオスは強い口調で言った。
「そうです!」
リリアナ王女は言葉を繋ぐ。
「もし貴方が来なければ……」
「魔王様も、魔竜王様も」
「そして神樹の国の民も……」
「全員死んでいたかもしれない」
ライトは唇を噛む。
「だけど……学院長を失った」
「そうだね」
エリオスは静かに答える。
「だが、それは君の責任ではない」
「ルミナスを守れなかったのは、私の責任だ」
その言葉に、ライトは拳を握り締める。
「…………」
「君は、目の前の命を救った」
エリオスは続ける。
「それだけだ」
「それ以上を望むのは……人間には難しすぎるよ」
その言葉に、ライトは何も言わない。
やがて小さく呟いた。
「……俺は、全部守りたかった」
「父さんも」
「父ちゃんも」
「デッカーさんも」
「メフィルドさんも……」
「神樹の国の人たちも」
「学院のみんなも」
「ルミナスも……」
その声が震える。
「全部……全部守りたかったんだ」
エリオスは静かに目を伏せた。
「うん」
「君なら……そう言うと思ったよ」
ライトは顔を上げる。
「だから……今すぐルミナスを助けに行く」
「ダメです」
リリアナが即答した。
「なんで!」
「貴方の身体は、まだ戦える状態じゃありません!」
「でも!」
「ライト!」
ガルスが怒鳴る。
「お前は一人で王国と戦うつもりか!」
「…………」
「今のお前じゃ、王国へ行く前に倒れる」
「それでも!」
「それでもじゃねぇ!」
ガルスがライトの肩を掴む。
「お前まで捕まったらどうする!」
「ルミナスも!」
「アレンも!」
「誰も救えなくなるぞ!」
ライトは言葉を失った。
「…………」
「今は……」
ガルスの声が少しだけ優しくなる。
「休んで力を取り戻せ」
「それからだ……アイツらは必ず奪い返す」
「俺達全員でな」
ライトは俯く。
「……父ちゃん、学院長は生きている……」
「そうだ」
「なら……」
ライトは震える拳を握った。
「絶対に助ける」
しかし、その言葉とは裏腹にライトの心には、深い絶望が広がっていた。
◇
――その夜
ライトは一人だった。
月明かりが差し込む部屋。
ベッドの上。
眠ることができないでいた。
「…………」
手元には愛刀の漆輝。
何度も握り締める。
「俺は……」
ライトは漆輝を見つめる。
「強くなったはずなのに」
魔王国で鍛えた。
剣を覚えた。
魔法を覚えた。
魔王代行となった。
聖魔王にまで至った。
天使化した勇者……あの父親すら、退けることができた。
それなのに。
「守れなかった」
ルミナス
メフィルド
そして
「父さんも……」
自分が強くなれば全てを守れると思っていた。
だが……現実は違った。
どれだけ強くなっても
どれだけ速くても
どれだけ魔法を極めても
守れないものがある。
「……俺は」
ライトは両手で顔を覆う。
「何で……」
「何で俺は……」
声が震える。
「何も守れないんだよ……」
その瞬間脳裏に浮かぶルミナスがいたずらっ子のように笑っていた姿。
学院長として……そして、ライトの理解者として。
「……ごめん」
ライトは呟く。
「学院長……」
「俺が……俺がすぐに助けに行くから」
「待っててくれ……」
その時。
窓の外で神樹の葉が揺れた。
ライトは顔を上げる。
月明かりの下。
巨大な神樹が静かに佇んでいる。
その姿を見つめながら、ライトは初めて自分自身の無力さを痛感していた。
「……足りない」
「俺は……まだ弱い」
その瞳に再び炎が宿る。
怒り
悲しみ
そして決意。
「もっと……」
「もっと強くならなきゃ」
「父さんを助けるために」
「学院長を助けるために」
「もう……誰も失わないために」
ライトは立ち上がる。
まだ身体は動かない。
まだ傷は癒えていない。
それでも彼の戦いは終わっていなかった。
むしろ、ここからが本当の戦いだった。
――勇者の息子に転生した少年はこの日、初めて知った。
「強さ」とは一人で全てを倒すことではない。
「全てを守れる力」を手に入れることなのだと。
そして、そのために必要なものが自分にはまだ足りない。
ライトは月を見上げる。
「待ってて」
「ルミナス学院長」
「父さん」
「必ず……俺が迎えに行く」
神樹の国の夜空に。
新たな決意が刻まれた。
その頃
遠く離れたアストリア王国の地下深くでは――
一人の女性が、黒い拘束具に繋がれていた。
「…………」
ルミナス・ネレイア。
その胸元に水のレガリアが、静かに青い光を放つ。
その前に立つ男。
アストリア王国参謀レイヴン。
「ようこそ」
「水のレガリア」
「ここから始まりますよ……神を顕現させるための――準備が」
ルミナスの瞳が鋭く光る。
「……絶対にあなた達の思い通りにはさせない」
レイヴンは静かに笑った。
「ええ、そう言うと思っていました」
そして。
地下深く、新たな陰謀が動き始める。
ライトが傷を癒やしている間にも、世界の運命は静かに次の段階へと進み始めていた。




