第108話 レガリアの力
神樹の国シルヴァリス。
天使の翼が一度羽ばたいた。
それだけで世界が軋む。
ゴォォォォォッ!!
暴風ではない。
光そのものが奔流となり、神樹の森を薙ぎ払っていく。
「伏せろォォッ!!」
ベイルの叫びと同時に、魔王竜騎士団もエルフ兵も地へ伏せた。
それでも数百メートル先の大樹が次々と切り裂かれ、大地には巨大な亀裂が刻まれる。
「ただ羽ばたいただけで……!」
アローラの頬を冷たい汗が伝った。
その時。
天使化した勇者の特殊個体が消えた。
「デッカー!」
ガルスが叫ぶ。
「上だ!」
「ッ!」
魔竜王の本能が危険を察知する。
デッカーは巨体とは思えぬ速度で身を捻る。
だが――
ズバァァァッ!!
黄金の剣が左翼を深々と斬り裂いた。
「ぐあぁぁぁぁっ!」
巨竜の咆哮が空を震わせる。
大量の竜血が降り注ぎ、地面を赤く染めた。
「デッカー!」
ガルスが飛び込む。
魔帝王の拳が天使化した勇者の顔面へ叩き込まれる。
しかし。
バシッ
「……!」
勇者の特殊個体は片手で、その拳を受け止めていた。
「馬鹿な……!」
さっきまで押し通せていた自身の拳が、今は微動だにしない。
そのまま勇者は無造作に腕を振る。
ガルスの身体が砲弾のように吹き飛んだ。
ズガァァァァン!!
神樹の根を三本、四本と貫き、ようやく止まる。
「ガルス!」
デッカーが怒りの咆哮を上げる。
口腔へ黒金色の魔力が凝縮されていく。
「竜王咆焔ッ!!」
これまでで最大の竜炎。
神樹の空を埋め尽くすほどの超高密度ブレスが、勇者を飲み込んだ。
轟音
閃光
爆炎
誰もが息を呑む。
しかし――
爆煙の中から、ゆっくりと白い翼が現れた。
「な……」
デッカーの瞳が見開かれる。
勇者の特殊個体の周囲には、幾重にも重なった純白の障壁。
しかも、その障壁は聖女のものではない。
翼そのものから生み出されていた。
「天使の加護……!」
勇者が剣を振る。
一筋の光。
それだけで竜王咆焔は真っ二つに切り裂かれた。
◇
王国軍本陣。
司令官は静かに息を吐く。
「成功したか」
副官が震えた声で尋ねる。
「まさか……あれが」
「天使化」
司令官は淡々と答えた。
「そうだ……しかし、我々王国だけでは、あの技術には辿り着けない」
その時。
本陣の奥から、一人の白衣を纏った神官が姿を現す。
胸には黄金の十字。
王国の紋章ではない。
「ツヴァイス神聖国……」
副官が呟く。
神官は静かに微笑んだ。
「ようやく神の器が完成しました」
「勇者アレンは、人類を導く最初の天使」
「そのために風のレガリアは実に役に立ってくれました」
司令官が頷く。
「捕らえた風のレガリアから力を抽出し、勇者へ移植する」
「長年の研究が、ようやく実を結んだ」
副官は顔色を失う。
「では……レガリアを集めていた理由は……」
神官は何の躊躇もなく答えた。
「神を顕現させるためです」
静かな声だった。
だからこそ恐ろしい。
「水、風、火、土、雷、光、闇……」
「七つのレガリアが揃えば、神域への門は開かれる」
「そして神が降臨した暁には――」
神官の瞳が狂気に染まる。
「人族以外の全種族は、神の裁きによって滅びるでしょう」
エルフも
ドワーフも
魔族も
獣人も
竜も
その他、人族以外の種族全て。
「神に選ばれし人類だけが、新たな世界を築くのです」
副官は震えた。
「正気なのですか……?」
「正気ですよ」
神官は微笑んだ。
「これこそが、神の御意思なのですから」
◇
「王国……何がしたい……?」
ガルスが血を拭いながら立ち上がる。
遠く離れた王国本陣の会話は聞こえてはいない。
だが勇者から溢れる異質な神聖魔力を前に、嫌な予感だけは確信へ変わっていた。
「アレン、お前……」
勇者は答えない。
その背後で四枚の翼がゆっくりと広がる。
一本。
二本。
三本。
黄金の光剣が空中へ生成される。
「デッカー!」
「分かってる!」
一人と一匹は同時に動いた。
ガルスは真正面。
デッカーは上空から。
完璧な挟撃。
しかし。
天使化した勇者は初めて言葉を発した。
しかし、その声はアレンの声では無い。
感情のない声。
まるで神託のように。
「──殲滅対象、確認」
「世界に不要な生命体を排除する」
その宣告と同時に。
頭上の光剣が一斉に降り注いだ。
「散れッ!」
ガルスが叫ぶ。
二人は左右へ飛ぶ。
光剣は着弾した瞬間、巨大な光柱となって天を貫いた。
神樹の枝が焼け落ちる。
山が抉れる。
湖が一瞬で蒸発する。
「冗談じゃねぇ……!」
デッカーでさえ顔色を変えた。
「あれは、もう勇者じゃねぇ……!」
ガルスは拳を強く握る。
「ああ」
深紅の瞳は、なおも友を見据えていた。
「だからこそ俺達が止める」
「アレンを……王国なんかの道具にさせるわけにはいかねぇ!」
その言葉に応えるように、魔帝王の紋様がさらに深紅に輝く。
対する天使化した勇者の四枚の翼も、より神々しい光を放った。
神樹の国の空で。
魔と竜。
そして天使。
三つの伝説が放つ力は、ついに世界の均衡そのものを揺るがし始めていた。




