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10話 やさしい村

 朧隠を離れて、どれくらい歩いただろうか。


 風磨シオンは、一人歩いていた。


 振り返れば、もう霧は見えない。

 あの白に包まれた里は、すでに遠くにある。


 代わりに広がるのは、乾いた道と低く続く草原。

 風は通るが、遮るものが少ないぶん、どこか薄い。


 足音が、やけに響く。


「……静かだな」


 ぽつりと呟く。返事はない。


 肩を回す。体は軽い。疲れはない。


 ただ——


 腹が減ってきた。


「そろそろ食糧が心配だな」


 袋を軽く叩く。残りは少ない。

 このままだと、あと一日も持たない。


「村、ないかな」


 見渡すが、目立つものはない。

 それでも道は続いている。人は通っているはずだ。


「まぁ、あるだろ」


 軽く言う。なければ困るが、今はまだ困っていない。


 歩く。


 風が抜ける。草が揺れる。空は高い。


 時間の感覚が、少しだけ曖昧になる。


「……暇だな」


 小さく笑う。


 誰もいない道は嫌いじゃない。気を張る必要もない。


 ただ——少しだけ、退屈だ。


「カゲロウはもう着いてんのかな」


 ふと思い出す。


「あいつ、こういうの得意そうだよな」


 気配も消せるし、無駄もない。

 無駄がなさすぎて、何考えてるかはわからないが。


「……まぁいいか」


 軽く流す。


 視線を前に戻す。


 その時——


 ほんのわずかに、空気が変わった。


 風の匂いが違う。

 草に混じって、煙の気配。生活の匂い。


 シオンは足を止める。


「……お?」


 目を細める。


 遠く。地平の先。


 建物の影。屋根の線。

 煙が、細く上がっている。


「村か」


 口元が、わずかに緩む。


「ラッキー」


 足取りが少し軽くなる。目的ができた。


 村は、遠目からでも整っていた。


 近づくほど、それははっきりする。


 石造りの家々。赤茶のレンガ。

 古びているはずなのに、崩れがない。


 手入れが行き届いている。

 というより——“乱れがない”。


 中に入る。


 足元は石畳。沈まない。歩きやすい。


「……すげぇな」


 思わず声が漏れる。


 村というより、小さな街だ。


 人が多い。市場も開かれている。


 野菜、果物、焼いた肉の匂い。

 服や道具。声が飛び交う。


「安いよー!」

「朝採れだよー!」


 明るい声。笑い声。


 どれも自然で——よく通る。


 人は皆、穏やかだった。


 笑っている。

 怒っている者も、困っている者もいない。


 すれ違う人間が軽く会釈する。

 知らない顔のはずなのに、警戒はない。


「……いい街だな」


 素直にそう思う。


 治安がいい。空気が明るい。淀みがない。


 ——綺麗すぎるくらいに。


 ふと、視線が止まる。


 通りの奥。少し開けた場所。


 ひときわ大きな建物。


 同じ石造りだが、造りが違う。

 無数の石が、正確に積まれている。


 窓も扉も——“揃いすぎている”。


 用途はわからない。


 その前に、人が並んでいた。


 列。静かに、順番を待つ。


 騒がない。割り込まない。文句もない。


 ただ、淡々と。


 その表情も——穏やかだった。


 安心している顔。疑いのない目。


「……なんだ、あれ」


 呟く。


 だが、すぐに視線を外す。


 深く考えるほどでもない。


 それより——


 腹の方が重要だった。


「まずは飯だな」


 軽く笑う。


 いい街だ。飯も、きっと美味い。


 そう思わせる空気が、ここにはあった。


 シオンは村の洋食店に入った。


 外の賑やかさとは少し違う、落ち着いた空気。

 木の香りが、ほんのりと残っている。


 磨かれた一枚板のカウンター。

 長年使われているはずなのに、傷は少ない。

 椅子も整然と並び、どこか“乱れがない”。


 整いすぎている店内だった。


 シオンは席に腰を下ろす。


 運ばれてきた皿を見て——


「うまいなコレ!こんなの食べたこと無い!」


 思わず声が出る。


 店主は、少しだけ誇らしげに頷いた。


「コレはオムライスって食べ物です」


「オムライス?」


「チキンライスを卵で包み、デミグラスソースで仕上げたものです」


「ふわふわの卵以外よくわかんねぇけど、とにかくうまいな!」


 勢いよく食べ進める。


 濃いが、しつこくない。

 口に運ぶたびに、自然と笑みがこぼれる。


「旅の人ですか?」


「まぁ……そんな感じだ」


 一度だけ手を止める。


「この村の人はみんな幸せそうだな」


 店主は迷いなく答えた。


「もちろん幸せです。ノブナガ様の庇護下の村ですから」


「へぇー。やっぱノブナガって凄いんだな」


 素直に感心する。


「えぇ。こんな端の村にも顔を出して、私のような者にも挨拶してくださる方です」


 言葉は滑らかで、よどみがない。


「イメージ通りの正義だな」


 シオンは軽く笑う。


「ところで……」


「何ですか?」


「さっき、真ん中にでかい建物あっただろ。行列できてたやつ」


 店主はすぐに答えた。


「あぁ。診療所です」


「ノブナガ様が民の健康を気にして、どの街や村にも必ず設けているのです」


「健康まで管理してくれるのか!?」


「もちろんです」


 その笑みは穏やかで——整っていた。


「いやー、美味かった」


 腹をさすりながら立ち上がる。


「ありがとうございます」


「腹ごなしに、ちょっと動くか」


 軽く手を振って、店を出る。


 外は、相変わらず明るい。

 人の声も、途切れない。


 シオンは、そのまま通りを歩く。


 目的はない。

 ただ、少しだけ体を動かしたかった。


 視線を流す。


 賑やかな市場。

 笑っている人々。

 穏やかな空気。


 ——やっぱり、いい街だ。


 そう思った、その時。


 通りの端で、小さな影が目に入る。


 子供だった。


 立ち止まったまま、落ち着かない様子で辺りを見ている。


「どうかしたか?」


 シオンが声をかける。


「え?……お兄ちゃん、だれ?」


 少しだけ警戒した目。


「風磨シオン。旅人だ」


 軽く名乗る。


「シオンさん……」


 子供は、言い淀む。


「あの……弟の具合が悪くて……」


 シオンの表情が、少しだけ締まる。


「親御さんは?」


「俺たち、親はいなくて……」


「そうか」


 一拍だけ、間を置く。


「じゃあ、お兄ちゃんが見てあげるからさ」


 少しだけ屈む。


「その弟のところに連れて行ってくれるか?」


 子供の目が、少しだけ明るくなる。


「うん。ありがとう」


 小さく頷く。


 そのまま、子供の後ろについて歩く。


 少し外れた路地。

 崩れた場所は、どこにもない。

 やがて、小さな家に入る。


 中は、静かだった。


「うぅ……はぁ……はぁ……」


 苦しそうな呼吸。


 布団の上で、幼い子供が体を丸めている。


 シオンはすぐに近づく。


「苦しそうだな。いつからだ?」


「昨日から」


 兄の声は、不安で少し震えている。


「何か悪いものでも食べたとか?」


「俺も同じもの食べたから、それは無いと思う」


「そうか……」


 額に手を当てる。


 熱い。

 だが——妙だ。


 呼吸は荒い。

 なのに、壊れていない。

 苦しみだけが、浮いている。


「……変だな」


 小さく呟く。


「シオンさん……?」


 兄が不安そうに見る。


「ちょっと診るだけだ。動くなよ」


 シオンは床に手をついた。


「口寄せ—— 巳」


 空気がわずかに歪む。


 次の瞬間、床に影が落ちた。


 黒い鱗。

 光を吸うような艶。


 二つの頭を持つ蛇が、静かに現れる。


 片方は目を閉じている。

 もう片方は、細く目を開き、空気を舐めるように舌を出した。


「……蛇?」


 兄が息を呑む。

 

「少し噛むけどな。ちゃんと治すから安心しろ」


「え?」


 説明はしない。


 蛇がゆっくりと顔を上げる。


 闇のような気配が、じわりと滲む。


「オロチ」


 視線だけで命じる。


 蛇が、子供の首元へと滑る。


「⸻喰め」


 牙が、肌に触れる。


 一瞬。


 兄が息を詰める。


 だが⸻


 噛みついた瞬間、血は出なかった。


 黒い靄が、じわりと広がる。

 弟の頭を覆うように。


 いや⸻


 “何か”を剥がすように。


「……っ」


 子供の体が、びくりと震える。


 苦しそうな呼吸が、一瞬だけ乱れる。


 その顔が⸻歪む。


 穏やかさが消える。


 恐怖。

 戸惑い。


 ほんの一瞬だけ、“普通の表情”。


 ⸻


「マダラ」


 眠っていたもう一つの頭が、ゆっくりと目を開けた。


 冷たい気配が、空気を撫でる。


 マダラが近づき、肩に口を当てる。


 噛みつく。


 冷気が広がった。


 熱が、引いていく。


 じわじわと。

 確実に。


 荒かった呼吸が、落ち着く。

 震えが、止まる。


 そして⸻


 黒い靄が、すっと消えた。


「……終わりだ」


 シオンが立ち上がる。


 弟は、ぼんやりと天井を見ていた。


 やがて⸻


 瞬きをする。


「……あれ?」


 声が軽い。


 呼吸も、整っている。


「……楽になった」


 小さく呟く。


 そして、シオンを見る。


「ありがとうお兄ちゃん!」


 その顔は⸻穏やかだった。


「お、おい……ほんとか?」


「うん。もう平気」


 体を起こす。


 ふらつきもない。


 熱も、引いている。


「すげぇな……」


 兄が驚いたように言う。


 シオンは肩をすくめる。


「まぁ、こんなもんだ」


 軽く流す。


「じゃあ、これで⸻」


 言いかけた、その時。


 兄が、当たり前のように言った。


「じゃあ、診療所行くぞ」


 シオンは止まる。


「……は?」


 思わず聞き返す。


「診てもらわないといけないだろ」


 シオンは、弟を見る。


「……もう治ってるよな?」


「うん。大丈夫」


 弟は素直に頷く。


 そう言ったあと⸻


 少しだけ、間を置いて。


「でも、行かなきゃ」


 シオンの眉が、わずかに寄る。


「……なんでだ?」


 兄を見る。

 兄は、きょとんとした顔をした。


「なんでって……」

 

 兄は口を開く。


 だが⸻


 言葉が続かない。


「……いいから行くんだよ」


 理由は、なかった。

 ただ、それが当然であるかのように。


「ほら、行こう」


 兄が弟の手を引く。

 

「……うん」


 立ち上がる。

 そのまま、二人は外へ向かう。


 シオンは、動かなかった。

 ただ、その背中を見る。


 軽い足取り。

 穏やかな顔。

 どこにも、異常はない。


 ⸻なのに。


「……おい」


 思わず声をかける。

 二人が振り返る。


「……なに?」


 兄が首を傾げる。


 シオンは、一瞬だけ言葉に詰まる。


 何がおかしいのか。

 どう説明すればいいのか。


 わからない。


 ただ——


 違和感だけが、残っている。


「……いや」


 小さく息を吐く。


「なんでもねぇ」


 兄は不思議そうな顔をしたが、すぐに気にした様子もなく歩き出す。


 扉が開け、光が差し込む。


 そして——閉じる。


 部屋に、沈黙が残る。


 シオンは、その場に立ったまま動かなかった。


 さっきまで確かにあったはずの“異常”が、

 もう、どこにも見えない。


 治った。


 それは、間違いない。


 なのに——


「……これ」


 小さく呟く。

 答えは出ない。

 ただ一つ、確かなのは。


 ——終わっていない。


 そんな気がした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


続きが気になった方は、

ブックマークで追っていただけると嬉しいです。

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