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9話 霧の向こうは、もう違う

 夕影庭は、昼になると静かだった。


 空は高く澄み、木々の影は短く地面に落ちている。


 ——本来なら。


 霧は、ほとんどない場所だ。


 だが今日は違う。


 薄く、白が残っている。

 地面をなぞるように揺れ、

 いつもより、わずかに多い。


 理由は、分からない。


 ただ——

 ほんの少しだけ、空気が重い。


 風は穏やかで、葉がかすかに触れ合う。

 その音だけが、静かに広がる。


 陽は強い。

 それでも、この場所だけは落ち着いていた。


 その影の中に——


 二人がいた。


 一人は、肩の力を抜いて立っている。

 風磨玄。初老の男。

 隙はない。ただ、そう見せないだけだ。


 もう一人。

 火宵朱火は、静かに立っている。

 動きは最小限。それだけで空気が締まる。


 対照的でいて——

 どこか似ている。


 今は、張り詰めてはいない。


 言葉もない。


 けれど、不思議と自然だった。

 無理に話す必要もない。

 どちらかが口を開けば、それでいい。

 そんな距離。


 霧が、わずかに揺れる。


 本来ないはずの白が、

 ゆっくりと形を変える。


 昼の庭は穏やかで——

 どこか、噛み合っていない。


 風がひとつ抜ける。


 その中で、玄が口を開いた。


「朱火、元気か?」

 

 気の抜けた声。

 視線は庭のまま。

 朱火は、わずかに肩をすくめる。


「あぁ。玄さんこそ、もう隠居した方がいいんじゃないか?」


 軽く返す。

 棘はあるが、深くは刺さない。

 玄は、ふっと笑う。


「後継が優秀で困ってるとこじゃ」


「いい悩みだな」

「本命は決まってるのか?」


「大体はな」


「そうか」


 短い会話。

 それだけで、互いに通じている。


 少しだけ間が空く。

 風が止まり、霧がゆるく流れる。


「まぁ…」

「このタイミングで魔王抗争じゃ。困ったもんよ」


 玄が、少しだけ視線を上げる。

 空を見るでもなく、ただ遠くを見る。


「そうだな」


 朱火も、同じ方向を見たまま頷く。


 一拍。


「それより、あかりの件、ありがとな」


 視線は動かさない。

 だが、声だけが少しだけ柔らぐ。

 玄は、鼻で軽く笑う。


「いやなに、若いうちはそういう感情を持って当たり前じゃ」


 一歩、足をずらす。


「当のヤクモは、ちと薄いがの」


 朱火の口元が、わずかに緩む。


「あかりも、一番難しい男を好きになって苦労するな」


「フフフ。そうじゃの」


 小さく笑う。


「でもあれは、一番、理が見えておる」


 玄が、ちらりと視線を向ける。


「そうなのか?」


「シオンはまだ若い」


 指先で、軽く空をなぞるように。


「カゲロウは、わかっておるが、我が強い」


 一拍。


「ヤクモは、一番まわりが見えとる」


 淡々とした評価。

 だが、芯はぶれていない。


「じゃあ、後継はヤクモか?」


 玄が、少しだけ興味を見せる。

 朱火は、肩の力を抜いたまま答える。


「でも、やる気が無い」


 あっさりと言う。

 玄が、小さく息を吐く。


「それは……難儀だな」


 一瞬だけ、苦笑。


「影縫は、黒詠を後継にするつもりらしいな。夜黒くんが言ってた」


 朱火の目が、わずかに細くなる。


「影縫 夜黒」


 名前をなぞるように言う。

 玄が、軽く肩を鳴らす。


「一応、今日あいつも呼んでおる」


 何気ない口調。

 だが、わずかに様子を見るような間がある。

 朱火が、少しだけ眉を上げる。


「そうなのか?」


 一拍。


「あいつ……来るかな」


 視線を空に向ける。


「昼間に行動するイメージが無いな」


 玄が、すぐに返す。


「まぁ……十中八九来ないじゃろ」


 あっさりとした断定。

 朱火の口元が、わずかに緩む。


「わかって呼んだのか?」


「呼ばないと角が立つじゃろ」


「それもそうか」


 短く、納得する。


 風が、またひとつ抜ける。

 霧が、わずかに揺れる。


「昔はかっこいいと思った時期もあるんだけどな……」


 朱火が、ぽつりと漏らす。

 玄の目が、わずかに見開く。


「なんと!?」


 少しだけ体を乗り出す。


「朱火にも、色恋沙汰があったのか?」


 茶化すような声。

 朱火は、ため息をひとつ。


「玄さん……私のことをなんだと思ってるんだ」


 少しだけ視線を外す。


「私はこれでも、行き遅れて、仕方なく党首になったと思ってる」


 どこまで本気か分からない言い方。

 玄は、腕を組む。


「そうか」


 一拍。


「てっきり、里一番の怪力自慢で」


 口元が緩む。


「私が最強!敵なしで、満を持して党首になったと思っとった」


 朱火の眉が、ぴくりと動く。


「私はそんなに怪力自慢の戦い方はしない」


 少しだけ語気が強くなる。


「まったく。乙女心が傷つくぞ」


 玄が、声を出して笑う。


「フハハ。すまん、冗談じゃ」


 ひとしきり笑ってから、ふっと息を抜く。

 そして、少しだけ真面目な声で言う。


「まだまだ元気そうで良かった」


 朱火は、一瞬だけ視線を向ける。


 すぐに逸らす。


 返事はしない。


 ただ——


 ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。


「それで、魔王の状況はどうなんだ?」


 玄が、視線を外したまま言う。


「わしにも全てはわからんが、ノブナガとカリグラがぶつかりそうじゃ」


 淡々と返す。


「正魔王と狂魔王か……気が合わなそうだもんな」


「うむ」


 短く頷く。

 風が、ひとつ抜ける。

 霧が、わずかに揺れる。


「他にもあるのか?」


「ダヴィンチとチンギスも怪しいの」


「知魔王と侵略王」


 朱火が、少しだけ眉を上げる。


「意外だな……あそこは、二人ともぶっ飛んでるから、気が合いそうなもんだけどね」


「まぁ、どうなるかはわしにもわからん」


「そうか」


 一拍。


 朱火が、空を見上げる。


「シュラは気まぐれだし」

「三日月は存在自体がよくわかんないしな…」


 少しだけ、間。


「斜陽様はどうするのかな」


 玄が、ゆっくりと息を吐く。


「わしらは、斜陽様をお守りすることに専念しよう」


「そうだな」


 その言葉は、軽い。


 軽いはずだった。


 ——その時。


 空気が、わずかに沈む。

 霧の流れが、鈍くなる。

 音が、ひとつ遅れる。

 玄の目が、わずかに細くなる。

 朱火も、気づく。


 “何かが来た”。


 だが——

 気配が、薄い。


 次の瞬間。


 そこに、いた。

 音もなく。

 足音もなく。

 影の中に、立っている。


「え?夜黒くん?」


 朱火が、わずかに目を見開く。

 玄が、すぐに視線を向ける。


「おぉ。夜黒。来てくれたか」


 軽く言う。

 だが、目は笑っていない。


「………」


 夜黒は、何も言わない。

 ただ、そこに立っている。


 視線は、わずかに下。

 呼吸すら、感じられない。


「ん?」


 玄の声が、少しだけ低くなる。

 朱火が、苦笑混じりに言う。


「めずらしいね。夜黒くんが昼に外出るなんて」


 返事はない。


 ただ——


 空気だけが、重くなる。


 その時。


 霧が、動いた。

 ゆっくりと。

 だが、確実に。


 流れるのではなく、剥がれるように。

 白が、薄くなっていく。


「なんじゃ?」


 玄が、空を見上げる。


「なんか変だね」


 朱火も、周囲を見渡す。

 光が、強くなる。

 影が、はっきりと浮かび上がる。


 隠されていたものが、露わになるように。


 夜黒が、口を開く。


 ほんのわずかに。


「……斜陽様がやられた」


 その声は、低く。

 静かで。

 感情が、ない。


「「はっ!?」」


 空気が、弾ける。

 玄と朱火の声が、重なる。


 夜黒は、続ける。

 変わらない声で。


「時の魔王、三日月が——」


 一拍。


「斜陽様を、消した」


 風が、止まる。

 音が、消える。


 昼の光だけが、強かった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


続きが気になった方は、

ブックマークで追っていただけると嬉しいです。

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