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6話 許された選択

 夜の道は、静かだった。


 夕刻の名残をわずかに残しながら、空はゆっくりと色を失っていく。

 灯りがぽつり、ぽつりと灯り始め、里はいつもの夜へと移ろうとしていた。


 その中を、あかりは歩いていた。


 足取りは軽い。

 ——軽くなってしまっていることに、気づいている。


「はぁ……なんだろう」


 小さく息を吐く。

 頬に触れた空気が、少しだけ冷たい。


「なんだか……心が充実してる」


 思わず零れた言葉に、

 あかりはすぐに口を閉じる。


 誰もいない。


 それでも、少しだけ周りを見渡す。

 ——見られていたら、なんだか恥ずかしい。


 足元に落ちる自分の影が、街灯に照らされて揺れる。

 その影が、少しだけ柔らかく見えた。


「……バカみたい」


 小さく呟いて、首を振る。


 ——任務だよ。

 ——浮かれてる場合じゃない。


 そう言い聞かせるのに、胸の奥は、まだ少しだけ温かいままだった。

 歩幅を少しだけ揃える。

 いつも通りに、何もなかったみたいに。


 やがて、見慣れた家が見えてくる。

 灯りがついている。


 その光を見た瞬間、ふっと肩の力が抜けた。


 戸を開ける。


「あら、帰ってきたの?」


 母——緋月ひづきが出迎えてくれた。


「ただいま」


「おかえり」


 靴を揃えながら、あかりは視線を落とす。


 まだ少しだけ残っている感情を、そのまま踏みならすみたいに。


「ねぇ……あかり」


「なに?」


 顔を上げる。

 母の表情は、いつもと変わらない。


 ——はずなのに。


「今日、お母さんね……朱火様に呼ばれたの」


「え?」


 一瞬だけ、思考が止まる。

 すぐに、取り繕う。


「……そうなんだ」


「何の話かわかる?」


「いや全然」


 わざとらしく肩をすくめる。


「全然わからないなぁ〜」


「あかり」


「はい」


 声の温度が、少しだけ変わる。


「そこに座って」


 あかりは、ほんのわずかに間を置いてから、頷いた。

 静かに、その場に腰を下ろす。

 さっきまでの軽さが、すっと消える。

 胸の奥が、少しだけ冷える。


「……」


 視線を落とす。


 何かを、覚悟するみたいに。

 場の空気が、ゆっくりと張り詰めていく。


 ——前日の夜


「朱火様……入ります」


 静かに戸を開ける。


 室内は、落ち着いた空気に満ちていた。

 灯りは控えめで、影が深い。


 その奥に、一人。

 火宵党首、朱火が座っている。


 背筋は伸び、隙はない。

 視線だけが、ゆっくりとこちらへ向けられる。


「来たか、あかり」


 声は穏やかで、整っている。


「はい」


 あかりは一歩進み、膝をつく。


「あなたにお願いされた、ヤクモへの同行任務についてです」


 その一言で、空気が少しだけ変わる。

 あかりの指先が、わずかに強くなる。


「……はい」


「結論から言います」


 間を置かず、朱火は告げる。


「本来であれば、あなたを同行させるつもりはありませんでした」


「……はい」


「侵略王チンギスへの接触は、高リスクです」

「それに、ヤクモ単独で成立する任務に、追加戦力は不要です」


 理屈としては、正しい。

 だからこそ、言葉が詰まる。


「ですが」


 朱火の視線が、わずかに鋭くなる。


「あなたは、自ら志願してきた」


 あかりの呼吸が止まる。


「……はい」


「理由は?」


 短い問い。

 逃げ場はない。


「それは……」


 言葉が出ない。


 用意していたはずの理由が、すべて薄っぺらく感じる。


「戦力として有効だから、です」


 やっとの思いで出した言葉。


「私の能力は、ヤクモと相性が良く——」


「それは建前でしょう」


 切り捨てられる。


 一瞬で。


「……っ」


 言葉が止まる。


 視線を逸らすこともできない。


「……で?」


 ほんの少しだけ、声の温度が変わる。


「本音は?」


 沈黙。

 逃げられない。

 ごまかせない。

 ——分かってる。


 この人には、全部見えている。


 あかりは、小さく息を吸う。


「……行かせたく、なかったからです」


 絞り出すように言う。


「一人で行かせるのが……嫌で」


 視線が揺れる。


 それでも、言葉は止めない。


「危ないって、分かってるのに……」

「それでも行くって言うから……」


 拳を握る。


「だったら、せめて——」

「一緒にいたいって思いました」


 静寂。


 言い終わったあと、少しだけ震えが残る。

 朱火は、何も言わない。

 ただ、あかりを見ている。


 長い沈黙。やがて——


「……そうか」


 小さく、息を吐くように言った。

 その声は、もう先ほどまでとは違っていた。

 少しだけ、柔らかい。


「やっと本音が出たな」


「……すみません」


「謝ることじゃねぇよ」


 口調が、崩れる。ほんの少しだけ。


「あたしも、最初から分かってたしな」


 あかりが顔を上げる。


「え……?」


 朱火は、軽く肩をすくめる。


「お前、顔に出るんだよ」


「……っ」


「ヤクモの話してる時だけ、分かりやすい」


「なっ……!」


 言葉を失う。


 朱火は、小さく笑う。


「若いうちは燃えとけ。それも才能だ」


 その言葉に、あかりの目が揺れる。


「……いいんですか」


 思わず、零れる。


「くノ一としては……」

「ダメだな」


 即答。


「感情で動くのは、隙になる」


 一拍。


「でも」


 朱火は、まっすぐにあかりを見る。


「それが“お前の生き方”なら、否定はしねぇ」


 空気が、変わる。


「好きにしな」


 その一言は、静かで——重い。


「責任くらいは、あたしが持つ」


 あかりの目が、見開かれる。


「朱火様……」


「ただし」


 朱火の視線が鋭くなる。


「死ぬな」


 一言。


 それだけ。


「……はい」


 あかりは、深く頭を下げる。

 胸の奥が、熱い。


「……緋月もな」


 ふと、思い出したように朱火が呟く。


「あいつも、同じ顔してたよ」


 静かな声。


「守りたいもんができた時の顔だ」


 あかりの呼吸が、少しだけ止まる。


「……そう、なんですか」


「まぁな」


 朱火は、軽く笑う。


「結果、あいつは幸せそうにしてる」


 視線を逸らしながら。


「それも、悪くねぇ生き方だ」


 一瞬だけ、静寂。


 そして――


「行ってこい」


 短く、言う。


「……はい!」


 あかりは、強く頷いた。


 ———


「あかり」


「……はい」


 あかりは、ゆっくりと顔を上げる。

 母の視線は、まっすぐだった。


「朱火様がね、あなたは私に良く似てるって言うの」


 一瞬だけ、あかりの目が揺れる。


「うん」


 小さく頷く。


「私はね、あなたが選んだ道だから応援したい」


 その言葉に、あかりの指先がわずかに緩む。


「……お母さん」


 少しだけ、声が柔らかくなる。


「でもね」


 母の声が、ほんの少しだけ落ちる。


「相手は魔王だから」

「本音はね……行かないで欲しい」


「え?」


 あかりの呼吸が、わずかに止まる。


「まぁ……私の子だし、そんなこと言っても効かないのもわかってる」


 母は、少しだけ肩をすくめる。


 その仕草が、ほんの少しだけ優しい。


「………」


 あかりは何も言えず、視線を落とす。


 胸の奥が、少しだけ痛む。


「だからせめて、これだけは約束して欲しい」


「約束?」


 あかりが顔を上げる。


 母は、一歩だけ近づく。


「絶対に死なないこと」


 静かに、言い切る。その言葉は、強く重い。


 ほんの少しだけ言葉を選ぶように間を置き、


「それと……」


 あかりの目をまっすぐ見て言う。


「ヤクモ君を守ること」


「え……」


 あかりの目が、わずかに見開かれる。


「女の子のあなたが守るのは、ちょっと変だけど……」


 母は、少しだけ笑う。


「火宵の血を継ぐあなたなら、できるわね」


 その言葉に——

 あかりの中で、何かが静かに定まる。

 拳を、ゆっくりと握る。


「私、絶対に守る」


 はっきりと、言い切る。

 緋月は、それを見て小さく頷く。


「よし!」


 ぱん、と軽く手を叩く。

 空気が、少しだけ緩む。


「じゃあ母としての言葉はこれで終わり」


 くるりと背を向ける。

 さっきまでの重さが、嘘みたいに消える。


「遅かったけど、誰と一緒にいたの?」


 振り返らずに、軽く聞く。


「……ヤクモ」


 あかりは、少しだけ間を置いて答える。

 母が振り返る。


「あら」


 口元が、少しだけ緩む。


「本当に好きなのね」


「……はい」


 今度は、迷わず頷く。

 母の目が、やわらかく細くなる。


「素直で良い子」


 一歩だけ近づいて、あかりの頭に軽く手を置く。

 

 ほんの一瞬だけ。


「任務、しっかりね!」


 ぱっと手を離す。


「はい」


 あかりは、少しだけ背筋を伸ばして答える。

 その表情は、もう迷っていなかった。


 ———


 夜は、すでに深い。


 里の外れ。

 灯りの届かない場所に、影だけが落ちている。


 音はない。

 風もない。

 ただ、空気だけが、静かに停滞していた。


 その中に、カゲロウは立っていた。


 微動だにせず。

 呼吸すら、感じさせない。


「……」


 ゆっくりと、視線が落ちる。

 その足元の影が——わずかに、揺れた。


 音もなく。

 影が、ひとつ分離する。


 地面から“剥がれる”ようにして、

 もう一つの輪郭が立ち上がる。


 同じ顔。

 同じ姿。


 カゲロウが、二人。

 どちらが先に立っていたのか、分からない。


「行け」


 短く、言う。


 もう一人のカゲロウは、何も言わない。

 ただ、頷くようにわずかに動く。


「斜陽様のところだ」


 一歩、踏み出す。

 その動きに、迷いはない。


 足音は、しない。

 気配も、残らない。

 そのまま、闇の中へと溶けていく。


 残ったカゲロウは、動かない。


 ただ、そこに立っている。

 影も、揺れない。


「……」


 やがて、夜だけが、静かに残った。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


続きが気になった方は、

ブックマークで追っていただけると嬉しいです。

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