4話 言えなかった言葉は、夕刻に
霧が、少しだけ薄い。
里の中でも、ここは珍しく視界が開ける場所、「夕影庭」。
夕影庭は、朝になると静かだった。
霧は薄く、やわらかく地面に沿って流れている。
木々の隙間から、淡い光が落ちる。
影は短く、まだ揺れない。
空気は冷たく、音ははっきりと届く。
ここだけは、里の中でも少し違う。
曖昧な朧隠の中で——
ほんのわずかに、輪郭がある場所。
それでも、その輪郭は長くは続かない。
時間が進めば、光は傾き、影は伸び、この場所は名前の通りの姿へと変わっていく。
その一角で、あかりとカゲロウが向かい合っていた。
あかりが軽く手を振る。
「カゲロウ、待った?」
カゲロウは木にもたれたまま、視線だけを向ける。
「今来たところ」
「そっかぁ。ごめんね、急に呼び出して」
あかりが少しだけ肩をすくめる。
「朱火様に聞いたよ。明日から三人ともバラバラなんでしょ?」
「まぁな」
短い返事。
あかりは少しだけ距離を詰める。
「私と離れるの、寂しくない?」
「寂しいな」
「えっ?」
あかりが目を見開く。
「冗談」
間を置かずに返る。
「びっくりした」
あかりが胸を撫で下ろし、小さく笑う。
「カゲロウも冗談言うんだね」
「……まぁな」
カゲロウは視線を外した。
足音が近づく。
「夕影庭って、朝に来るのは新鮮だな」
ヤクモがゆっくり歩いてくる。
「で……あかり、なんか用事?」
あかりは少しムスッとした顔でヤクモを睨む。
「明日からバラバラになるって聞いたから、四人で集まりたいなって思っただけ」
ため息を一つつく。
「ヤクモって、意外と冷たいよね」
ヤクモは首を傾げる。
「バラバラ?」
「ああ……任務のことか」
納得したように頷く。
「任務だし」
「別に、いつもバラバラじゃん」
「そうだけど……」
あかりが少し視線を落とす。
「今回は違うじゃん」
「魔王のところに行くんだよ?」
「抗争になったら、帰って来れるかわかんないじゃん」
ヤクモは少し考えてから答える。
「それはそうだけど……」
一拍。
「俺は依頼されて行くし」
「大事にされるでしょ」
「侵略王だよ?」
あかりが眉を寄せる。
「全然優しいイメージないよ」
「意外と、そういう人の方が優しいもんだよ」
ヤクモはふっと笑って、カゲロウを見る。
「カゲロウだって優しいじゃん」
「どういう意味だ?」
カゲロウが視線だけ返す。
「そのままの意味」
ヤクモは軽く肩をすくめる。
「俺はカゲロウが好きって話」
「おーい!」
遠くから声が飛ぶ。
シオンが手を振りながら走ってくる。
「あかりー!わりぃ!」
「カゲロウと飯食ってたら遅れた!」
「昼から焼肉は重い」
その声に、あかりとヤクモが振り返る。
——そこに、もう一人、カゲロウが立っていた。
「……え?」
あかりが目を瞬かせる。
「で……今日は何の話だ?って、あれ?」
シオンが足を止める。
「カゲロウ?」
三人の視線が揃う。
「どうかしたか?」
片方のカゲロウが言う。
「あぁ……二人いることに驚いているのか?」
もう片方が続ける。
「シオンとあかりから同時に呼び出されたんだ」
「それで?」
シオンが眉を上げる。
「片方を断ると後でめんどくさいから、二人に分けた」
「どんだけ効率重視よ!」
あかりが呆れる。
「やっぱりカゲロウは優しいな」
ヤクモが笑う。
「でもさ」
シオンが腕を組む。
「普通の影分身って、飯食わねぇよな?」
「それ何?」
「ドッペルゲンガー」
カゲロウが淡々と答える。
「いや怖いわ!」
「それ出会ったら死ぬやつだろ!」
「何を言ってるんだ」
カゲロウが軽く言う。
「自分で出してるんだから死ぬわけないだろ」
一拍。
「まぁ……出会ったら消えることは消えるが」
片方のカゲロウが、すっと揺れる。
そのまま、もう一人に溶けるように吸い込まれた。
「消え方キモ!」
シオンが顔をしかめる。
「それ、記憶とかどうなってんの?」
ヤクモが興味深そうに聞く。
「戻った時に共有される」
「じゃあ分かれてる間は?」
「別」
「食べた焼肉はどこに行くの?」
あかりが聞く。
「満腹感は共有される」
「便利そうで、ちょっと不便ね」
「大丈夫だ」
カゲロウは淡々と続ける。
「シオンと飯に行くのは分かってたから」
「あかりのカゲロウの方は飯抜きだ」
「"あかりのカゲロウ"って、なんか響きがあれだね」
あかりがニヤッと笑う。
「……」
カゲロウがわずかに視線を逸らす。
「それさ」
ヤクモが少しだけ真面目な声になる。
「戻る前に消されたらどうなるの?」
「どっちが本体とかあるの?」
あかりも続ける。
「どっちも本体だ」
「「「どっちも本体!?」」」
「消された方の記憶は、そのまま消え、消えたという事実だけがもう片方に伝わる」
「何人まで増やせるの?」
「俺はまだ二人に分かれるのが精一杯だ」
「でもさ」
シオンが首を傾げる。
「本体ないってことはさ、ドッペルを出した方が死んだらどうなるんだ?」
「……?」
カゲロウが少しだけ不思議そうにする。
「もう片方が生きてるから、死ぬわけないだろ」
一瞬、間が落ちる。
「……え?」
あかりが静かに言う。
「それってさ」
「実質、不死身じゃん」
シオンが言った。
「まぁ、そんな感じ」
カゲロウは軽く返す。
「カゲロウはすごいなぁ」
ヤクモが素直に言う。
「まぁな」
シオンが両手を頭の後ろで組みながら、気楽に言う。
「で、今日何する?」
あかりがすぐに返す。
「じゃあご飯いこうよ」
「いや、だから食ってきたって言ったじゃん。ほんと、このやりとり好きだな」
あかりが軽く笑う。
「まーね。こういうの、いいじゃん」
「いつもの日常って感じしてさ」
カゲロウが短く返す。
「……そうだな」
あかりは少しだけ視線を落とす。
「だって……私たちってさ」
「忍の家に生まれたから、普通の子みたいには生きれないじゃん」
少しだけ間を空け、あかりは顔を上げる。
「だからさ。こうやって、四人でバカみたいに笑っていられる時間って…」
「たぶん——当たり前じゃないんだよ」
カゲロウが、同じ言葉を少し柔らかく返す。
「……そうだな」
シオンが鼻を鳴らす。
「まぁな」
ヤクモがいつもの調子で口を挟む。
「……で、ご飯いくの?」
三人の視線が一斉に向く。
あかりがため息をつく。
「だからヤクモは冷たいんだよ。もう少しさ、感傷に浸るとか無いの?」
ヤクモが肩をすくめる。
「いや、ちゃんと空気読んだよ。笑い合うのが好きって言うから、ボケたんだけど」
あかりが即座に返す。
「わかりにくいわ!」
カゲロウが小さく笑う。
「……ふふ」
「おっ、カゲロウにウケたぞ」
「やった」
ヤクモが少しだけ嬉しそうにする。
あかりもつられて笑う。
「あはは」
シオンも声を上げる。
「はは」
四人の笑いが、朝の空気に溶けていく。
シオンが軽く手を上げる。
「じゃあまぁ、また任務終わったら会おうぜ。俺は”正義とは何か”を考えねぇといけねぇしな」
カゲロウが一歩離れる。
「俺も、やることがある」
ヤクモがあかりを見る。
「そっか。あかりはどうする?」
あかりが少しだけ間を置く。
「……私も帰ろうかな」
シオンが振り返らずに手を振る。
「じゃあまたな!」
カゲロウも短く言う。
「また」
あかりが少し前に出る。
「二人とも無理しないでね!」
「危なくなったら逃げるんだよ!」
「ご飯食べたら、歯を磨くんだよ!」
シオンが笑う。
「おかんか!でも、ありがとな!」
二人の足音が遠ざかっていく。
ヤクモが軽く伸びをする。
「よし。じゃあ、俺たちも帰ろうか」
あかりが頷く。
「……そうだね」
ヤクモが少し首を傾げる。
「ん?どうかした?」
あかりは少しだけ視線を揺らす。
少しだけ間。
「あのね」
「今日の夕刻、またここで会えるかな。話があるの」
ヤクモが目を瞬かせる。
「え?今すればよくない?」
あかりが小さく呟く。
「……バカ」
ヤクモが首を傾げる。
「なんでだよ」
あかりが少しだけ頬を膨らませる。
「少しは動揺しなさいよ」
ヤクモが真顔で返す。
「忍は動揺したらダメだろ」
あかりが思わず声を強くする。
「そうだけど!……これからの二人にとって、大事な話なの」
ヤクモが一瞬考える。
「……大事な話?」
小さく頷く。
「まぁ……大事な話なら、朝することでもないか。わかった」
あかりが呆れたように笑う。
「そこで納得するんだ。まぁいいや」
少しだけ柔らかくなる。
「じゃあ、また夕刻にね」
ヤクモが軽く手を上げる。
「ああ。またな」
あかりも小さく手を振る。
「……またね」
ヤクモはそのまま背を向けて歩き出す。
あかりは、その背中を見ていた。
呼び止めることもなく、ただ、じっと。
やがて霧がゆっくりと流れ込み、視界を曖昧にしていく。
夕影庭は、まだ朝のままだった。
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