24話 また、笑うために
空気が、少しだけ揺れた。
三日月が、楽しそうに目を細める。
「んー……じゃあさ」
少しだけ考えるふりをして。
「コトリちゃん、ひとりだと不安でしょ?」
軽く笑う。
「だから——ちょっとだけ、動かしてあげる」
一拍。
三日月が、指を軽く鳴らす。
——ぱき。
何かが、ひび割れるような音。
止まっていた空気に、わずかに流れが戻る。
炎が、遅れて揺れる。
煙が、少しだけ形を変える。
でも——
世界はまだ、どこか噛み合っていなかった。
「君と“繋がりが強い子”だけ」
さらっと。
「その方が、楽しいし」
くすっと笑う。
そして、視線をライへ向ける。
「ほら」
「この子も、その一人」
軽く言う。
「まぁ……ついでに何人か動くけど」
興味なさそうに付け足す。
「気にしなくていいよ」
コトリは、その言葉の意味を全部は理解できなかった。
でも——
ライに、何かが戻ってくるのは分かった。
「……っ」
ライの呼吸が、戻る。
止まっていた胸が、ようやく上下する。
「……なんだ、これ」
低く、掠れた声。
ゆっくりと顔を上げる。
視界に映るのは、止まった世界。
炎が、途中で固まっている。
煙が、空中で止まっている。
異様だった。
「……夢か?」
ぼそりと。
しかし、すぐに否定する。
「いや……違うな」
痛みがある。
匂いもある。
感覚は、現実のままだ。
ただ——
世界だけが、おかしい。
「……おい」
視線が動く。
三日月へ。
この状況の中心にいる存在。
「てめぇがやったのか」
短く問う。
三日月は、少しだけ首を傾げる。
「んー……まぁ、そんな感じ」
曖昧に。
興味なさそうに。
「そんな感じ、じゃねぇだろ」
ライの声が、少しだけ強くなる。
「なんだよ、これ」
「時間、止まってんのか?」
「止めたよ」
あっさり。
「ちょっとだけ」
付け足すみたいに。
ライが、眉をひそめる。
「……なんのためだ」
三日月は、少し考えるふりをして。
「話しやすいでしょ?」
軽く言う。
「うるさいの、ない方が」
視線を、周囲に流す。
止まった世界。
崩れた村。
動かないすべて。
「……ふざけてんのか」
「別に?」
くすっと笑う。
「合理的だよ」
ライは、舌打ちしそうな顔をして。
でも——深くは追わない。
分かったことは、ひとつ。
こいつが原因で。
こいつが中心だということ。
それだけで、十分だった。
「……コトリ」
視線を移す。
コトリへ。
その顔を見て。
一瞬だけ、目が止まる。
そして——
「……いい顔になったな」
ぽつりと。
低く。
「決めたのか?」
コトリは、少しだけ驚いて。
でも——すぐに頷く。
「……うん」
迷いのない声だった。
ライは、小さく息を吐く。
「そうかよ」
一拍。
ほんの少しだけ、肩の力を抜く。
コトリは、少しだけ笑う。
「ライも……来て」
「一人だと、やっぱり不安だから」
ライは、ほんの少しだけ顔をしかめる。
「……は?」
呆れたように。
でも——
視線は、コトリから外さない。
一歩、間を置いて。
「……守る」
短く。
「最初から、そう決まってる」
一拍。
「生まれた時からだ」
「約束してんだよ」
少しだけ、睨むように。
「忘れんな」
コトリの胸が、ぎゅっとなる。
「……うん」
小さく。
でも、強く。
コトリは頷いた。
三日月が、そのやり取りを楽しそうに見ている。
「いいね」
「そういうの、好きだよ」
くすっと笑う。
そして、ライへと近づく。
「この子は消すね」
「呼ばれてる側は、ちょっと面倒だし」
ライは、何か言いかけて——
でも、言わない。
そのまま。
三日月が、すっと手を伸ばして——
ライの頭に、軽く触れる。
その瞬間。
何の前触れもなく。
ライの姿が、消えた。
音もなく。
痕跡もなく。
まるで最初から、いなかったみたいに。
「……え」
コトリが、息を呑む。
三日月は、あっさりと言う。
「大丈夫だよ」
「ちゃんと連れてくから」
「雑だね……」
思わず、コトリは口にしていた。
三日月が、少しだけ目を丸くする。
それから、くすっと笑った。
「うん」
「よく言われる」
楽しそうに。
そして——
コトリへと視線を戻す。
「で、コトリちゃんは——」
一歩だけ近づく。
「中身だけ、連れてく」
軽い言い方。
でも、確かに伝わる。
「……身体は」
「残るよ」
あっさりと。
「そっちの方が都合いいし」
「怖い?」
ふいに、聞かれる。
コトリは、少しだけ考える。
「……怖いです」
正直に。
「でも」
一歩、息を吸う。
「行きます」
三日月は、少しだけ目を細める。
「そっか」
満足そうに。
「じゃあ、いいよ」
コトリは、胸に手を当てる。
思い出す。
父の笑顔。
母の声。
あや婆の手。
そして——
千代。
ハル。
あの日。
笑いながら言った。
「ずっと一緒だよね」
当たり前みたいに。
疑いもなく。
でも——
今は、もう。
一緒にはいられない。
何があったのか、全部は分からない。
無事かどうかも、分からない。
それでも。
「……大丈夫」
小さく、呟く。
「終わりじゃない」
「ちゃんと、続いてる」
一歩、前を見る。
「また、三人で笑うために」
「今は、前に進む」
言葉にする。
自分の意思で。
「だから——」
息を整える。
「いってくるね」
優しく。
でも、ちゃんと前を向いて。
三日月は、何も言わない。
ただ、見ている。
「いいよ」
軽く。
いつも通りに。
「いってらっしゃい」
その言葉と同時に。
三日月が、コトリの額に触れる。
ふわりと。
何かが、ほどける。
身体が、軽くなる。
意識が、少しずつ離れていく。
色が、薄くなる。
音が、遠くなる。
それでも。
怖くはなかった。
自分が、抜けていく。
身体から。
世界から。
ゆっくりと。
そして——
見えた。
その場に残る、自分の身体。
力なく、崩れたまま。
動かない。
ただ、そこにあるだけの自分。
「……そういうことなんだ」
小さく、理解する。
消えたんじゃない。
置いていったんだ。
ここを。
ちゃんと、自分で選んで。
その向こうに、ぼんやりと見える。
千代。
モグ。
はっきりとは見えない。
でも、いる。
ちゃんと、そこに。
「……またね」
小さく。
でも、ちゃんと。
約束みたいに。
その瞬間。
視界が、白くほどけた。
境界が、消える。
全部が、遠ざかる。
そして——
静けさ。
でも、それは違う。
どこか、やわらかい。
時間が、少しだけ曖昧な場所。
ゆっくりと、目を開ける。
見たことのない空。
見たことのない景色。
空気が、少しだけ軽い。
肺の奥まで、すんなり入ってくる。
でも——
不思議と、息がしやすい。
「……ここが」
コトリが、小さく呟く。
「クレッセンティア」
「そーだよ」
すぐ近くで、声がした。
振り向く。
そこにいたのは、同じくらいの歳の少女。
金色の髪を、軽く揺らしている。
どこかラフで、気の抜けた立ち方。
でも——
この場所に、やけに馴染んでいる。
「新人?」
軽い口調。
興味があるのかないのか分からない声。
コトリは、一瞬だけ戸惑って。
それから——
少しだけ笑う。
「……たぶん」
「ふーん」
少女は、少しだけ目を細める。
じっと、コトリを見る。
でも、すぐに視線を外す。
「まぁ、いいんじゃん」
軽く肩をすくめる。
「生きて来れたなら、合格ってことでしょ」
「……ここって」
コトリが言いかける。
少女は、少しだけ笑う。
「そのうち分かるよ」
「考えるだけムダなやつ」
あっさりと。
そして、くるっと背を向ける。
「とりあえずさ」
振り返らずに。
「ついてきなよ」
気楽に。
でも——迷いなく歩き出す。
その背中を、コトリは少しだけ見つめて。
小さく息を吐く。
胸の奥に、もう一度刻む。
ちゃんと、生きる。
また、笑うために。
そのために——
一歩、踏み出す。
この場所で。
ここから、始める。
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