22話 壊す、を選ぶ
——静かすぎた。
風が、止まっている。音もなく、燃えていたはずの炎も、煙も、揺れていない。
世界そのものが——止まっていた。
「……なに、これ」
千代の声が、かすれる。
呼吸だけが、やけに大きく響く。
「いや、こっちが聞きたいんだけど」
足元から、モグの声。
地面から顔を出し、周囲を見回している。
「なにこれ、めっちゃ気持ち悪い」
軽く地面を叩く。
トン、と鳴るはずの音が、遅れて返ってくる。
「……千代」
「これ……私たちだけ、動いてる?」
千代は答えない。
止まった世界。
途中で固まった火の粉。
崩れかけた家。
すべてが、“その瞬間”のまま。
「……っ」
背筋が、冷える。
「冗談でしょ……」
「冗談ならいいけど、これ笑えないやつだよね」
モグが、低く言う。
「時間、止まってるっぽい」
その言葉に、千代の視線が動く。
丘の上には、コトリと、ライ。
そして——もう一人。
「……あの女」
小さく、呟く。
あいつだけが、止まっていない。
この世界から、浮いている。
「知り合い?」
「知らない」
即答だった。
「でも、嫌な感じする」
理解できないものへの、本能的な拒絶。
「……千代」
モグが言う。
「なんか、あっちやばそうだよ」
千代も、分かっていた。
距離があり、声は届かない。
でも——
何かが、決まっていく。
そんな空気だけが、伝わってくる。
「……っ」
一歩、踏み出す。
止まる。
間に合わない。
嫌な予感だけが、膨らむ。
「千代、待って!」
モグが言う。
「今行っても——」
その時だった。
あの女が、ライの頭に触れる。
軽く、何でもないことみたいに。
「……は?」
次の瞬間——
ライが、消えた。
音もなく、痕跡もなく、まるで最初から、存在しなかったみたいに。
千代の足が、止まる。
呼吸が、一瞬だけ抜けた。
「……え」
思考が、止まる。
理解が、追いつかない。
「……今の」
声が、震える。
だが——
次が、来る。
あの女が、コトリに触れる。
優しく。
壊れ物みたいに。
「……やめっ」
言い終わる前に——
コトリの身体が、揺らぐ。
崩れる。
ほどける。
だが——
完全には消えない。
「……っ?」
一瞬の違和感。
身体は、そこにある。
でも——
中身が、抜け落ちる。
命だけが、引き抜かれるみたいに。
力が抜け、膝が崩れる。
そのまま——倒れる。
動かない。
呼吸も、感じない。
目だけが、どこも見ていなかった。
「……は?」
千代の思考が、固まる。
理解が、拒絶する。
「……なに、今の」
後ずさる。
目が離せない。
あの女がやった。
確かに。
触れて——
そのまま。
「……殺した」
言葉が、落ちる。
その瞬間。
胸の奥が——焼けた。
「……っ」
呼吸が乱れ、視界が歪む。
うまく立てない。
(……なにをした)
(コトリが、倒れてる)
(動かない)
(……死んだ?)
(違う)
(あいつが)
(……殺した)
(許さない)
(許さない)
(許さない)
心が、沈んでいく。
暗く。深く。
でも——
想いだけが、残る。
「……約束」
ぽつりと、こぼれる。
「ずっと、一緒って……」
コトリと、ハルと、笑いながら言った。
「……守れなかった」
声が、震える。
「……私が」
「……何も、できなかった」
胸の奥が、軋む。痛い。苦しい。
それでも——
止まらない。
「……許さない」
その瞬間。
足元の土が、呼吸するみたいに脈打つ。
「そうだね」
モグの声。
いつも通りの、軽い調子。
「千代は、それでいいよ」
千代の呼吸が、荒くなる。
「……許さない」
もう一度。
「うん。許さなくていい」
千代の気持ちに連動するかのように、何かが蠢く。
ゆっくりと。確かに。
身体の奥が、脈打っている。
モグの影が、わずかに歪む。
輪郭が、にじむ。
でも——
千代は気づかない。
「……やっぱり、私」
千代が呟く。
「戻れないかもしれない」
「いいんじゃない?」
すぐに返る。
「私がいるよ」
軽い。
いつもと同じ声。
「……モグは、強いね」
「……だろだろ」
少し笑って。
「千代は……どうしたい?」
問い。
千代の視線が、ゆっくり上がる。
「……私は」
「コトリを、助けたい」
迷いは、なかった。
「わかった」
短く。
「付き合うよ」
その言葉と同時に。
モグの姿が、ゆっくり沈んでいく。
地面の奥で、“何か”が膨らむ。
押し上げるように。
うねる。
まるで、巨大な生き物が目を覚ますみたいに。
「行こ」
最後まで、軽い声。
そのまま、地中へ消える。
残った地面が、わずかに隆起する。
ひびが入る。
軋む。
止まっていたはずの世界に、音が戻り始める。
空気が、歪む。
何かが——壊れ始める。
千代は、顔を上げる。
まっすぐに。
あの女へ。
歩き出す。
その時。
「——いいね」
すぐ近くで、声がした。
振り向く間もなく。
そこにいた。
あの女。
楽しそうに、千代を見ている。
「やっと来た」
軽く、笑う。
「君も最後の選択だけど」
一拍。
「……君は壊す、だよね」
断定だった。
千代は、何も答えない。
ただ——
歩く。
コトリへ。
もう、その足は止まらない。
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