13話 お母さんの子供で、よかった
——冷たい。
首元に触れる刃が、現実をはっきりさせる。
動けない。
でも——全部、分かる。
「無理やり連れて帰るね」
宵の声は、優しかった。
壊れているのに、優しい。
その優しさが、余計に怖い。
「……やめなさい」
母の声が震える。
でも、体は動かない。
「ねぇ、お姉ちゃん」
宵が、少しだけ笑う。
「どうする?」
刃が、わずかに食い込む。
遅れて、痛みがくる。
細くて、鋭い痛み。
その時——
「……宵ちゃん」
母が呼ぶ。
優しく。
昔と同じ呼び方で。
その一言だけで、宵の指が、ほんの少し揺れた。
「……この子ね」
母が、コトリを見る。
懐かしむように、優しく。
「よく、あや婆を手伝ってたの」
一拍。
「あなたと、そっくり」
宵の呼吸が止まる。
「自分のことより、誰かを優先して」
「ふらふらになっても、やめなくて」
「……同じ顔、してた」
少しだけ、笑う。
その笑顔が、優しすぎて——残酷だった。
「ご飯もね、最後に食べるの」
「誰かの分を気にして」
「……それも、同じ」
刃が、わずかに下がる。
「だから」
母が、静かに言う。
「この子を見ながら……」
「ずっと、あなたを思い出してた」
その言葉が、逃げ場なく刺さる。
「……やめて」
宵が、震える。
「違う」
「それは、違う」
でも——否定しきれない。
声の奥が、揺れている。
「……コトリ」
母が、名前を呼ぶ。
今度は、まっすぐに。
「立派になったね」
優しく。
ひとつずつ、確かめるみたいに。
「友達もいて、村の人にも好かれて」
「ちゃんと、愛されてる」
一つ一つ。
未来を手渡すみたいに。
「だから」
一拍。
「あなたは、大丈夫」
「……っ」
涙が溢れる。
止まらない。
「でも——」
母の声が、少しだけ揺れる。
「本当は」
小さく。
「私が、守りたかった」
その一言で——世界が、崩れる。
「守るって、決めたのに」
「……守れなくて」
そして——
「ごめんね」
その瞬間。
母の目が、開く。
——銀月の瞳。
けれどそれは、支配のための力じゃない。
優しく。
静かに。
守るための力だった。
「……っ」
宵の動きが、一瞬だけ止まる。
母が近づく。
ゆっくりと。
震えを押し隠すように。
そして、耳元で囁いた。
「私はね」
「宵ちゃんが優しい子だって」
「ちゃんと知ってる」
その言葉が——最後の一線を揺らす。
「ずっと知ってたの」
「泣きながらでも、誰かを傷つけたくない子だって」
一瞬だけ、声が揺れる。
「だから——」
「こんなふうになってほしくなかった」
宵の目が、大きく揺れる。
壊れた心に、昔の記憶が刺さる。
——そのまま。
一瞬だけ。
迷いが、消える。
母は、短剣を握る手を——
自分の胸へと、引き込んだ。
——ズブッ
音がした。
静かに。
確かに。
「……え」
宵の声が、止まる。
母の体が、揺れる。
崩れそうになる。
それでも——まだ、終わらない。
「……これで」
かすれた声。
「あなたの目的は、なくなったでしょ」
そして。
「……もう帰りなさい」
一拍。
「……お願い」
「この子は、助けてあげて」
「……やだ」
宵が、呟く。
けれど動けない。
縛られているのは体じゃない。
心だった。
母は、コトリへ向く。
優しく。
震える手で。
頭を撫でる。
いつもと同じように。
そして——頬に触れる。
「……やだ」
コトリが、崩れる。
「やだよ」
「まだ一緒にいたい」
「いなくならないで」
子供みたいに、声をぐしゃぐしゃにして泣く。
母は、うなずく。
「……うん」
「うん」
全部を受け止めるみたいに。
「……ごめんね」
優しく。
「でも——」
一拍。
「あなたは、生きないといけない子だから」
その言葉が、重なる。
あや婆の言葉と。
同じ意味で。
同じ重さで。
頬に触れる手が、少しずつ冷たくなっていく。
「……っ」
コトリが、気づく。
その瞬間——
母の目が、もう一度開く。
今度は、逃がすためだけに。
体が、動く。
勝手に。
足が、前へ出る。
「……やだ!!」
抵抗する。
でも、止まらない。
外へ。
家の外へ。
離れていく。
その中で——
思い出が、溢れる。
笑った日。
怒られた日。
ご飯の匂い。
撫でてくれた手。
眠る前の声。
朝の光。
全部。
そして——
気づいていたこと。
(……本当は)
(召喚の儀式に、いなかったこと)
(……知ってた)
(……召喚、できないのも)
(……知ってた)
(でも)
(言えなかった)
一拍。
(……言わなくて、よかった)
言いたいことが溢れる。
でも——
最後に残ったのは。
たった一つだった。
足が止まる。
振り返る。
涙で、ぐしゃぐしゃのまま。
息を吸う。
喉が、痛い。
それでも——
「お母さんの子供で、よかった!!」
その声が届く。
確かに。
母の目が、見開かれる。
そして——
涙が、一粒、こぼれる。
優しく。
静かに。
「……そっか」
小さく、笑う。
もう何も悔いはないとでも言うみたいに。
そして——
「……いつも、見てるからね」
あの日と同じ声で。
そのまま。
静かに。
力が、抜ける。
崩れる。
もう、動かない。
残ったのは——
“失った”という現実と。
それでも、確かにそこにあった愛だけだった。
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