10話 守ると決めた、それだけで
血の匂いが、重く残っていた。
地面に横たわるサトリは、しばらく動かなかった。
呼吸だけが、かすかに続いている。
視界が滲む。
音が遠い。
それでも——意識は途切れない。
思い出す。
大事な記憶。
⸻
最初に見た時。
月縛の「猫」は——何も映していなかった。
政略結婚だった。
理由も、感情も関係ない。
ただ、決まっていた。
銀色の髪。
細めた瞳。
整いすぎた顔。
だが——そこには何もなかった。
笑わない。
怒らない。
何も求めない。
空っぽだった。
だから——
「……賑やかな方がいいか」
そう思った。
それだけだった。
ライを出した。
シュンを呼んだ。
ゴウを立たせた。
メイを隣に置いた。
そして——
あや婆が、勝手に座っていた。
「なんだいこの家は。静かすぎて死ぬかと思ったよ」
ずかずかと上がり込んで、
当然みたいに席に着く。
「ここ、空いてるだろ?」
そう言って、
当たり前みたいに、そこに居座った。
追い出す理由もなかった。
気づけば、
六人と一匹で暮らしていた。
猫。
自分。
あや婆。
メイ。
ゴウ。
ライ。
食卓は六人。
シュンは、窓から覗いていた。
食卓は、いつも賑やかだった。
うるさかった。
無駄に。
「ほら、ちゃんと食べな」
「その食い方はだめだ、ライ」
「ゴウはもうちょい加減を覚えな」
どうでもいいことで、
毎日、何かが起きていた。
だが——ある日。
猫が、笑った。
ほんの少しだけ。
それだけで。
あや婆が、先に気づいた。
手を止める。
視線が、猫に向く。
「……」
少しだけ、目を細める。
「……そんな顔、できるようになったんだね」
声は、いつもより少しだけ柔らかい。
目元が、わずかに揺れる。
泣いているわけじゃない。
だが——
長く見てきた者だけが持つ、
“実感”が滲んでいた。
その言葉に、
猫は何も返さない。
ただ——
ほんの少しだけ、
口元が緩んでいた。
サトリは何も言わなかった。
だが——
「……ああ」
思った。
この人を、守ろうと。
理由なんてなかった。
政略なんて関係ない。
俺は——
古小烏 猫を、愛してる。
ただ、それで十分だった。
そして——
コトリが、生まれた。
小さな手。
小さな声。
あや婆が、真っ先に覗き込む。
「ほぉ……こりゃまた、面倒なのが来たねぇ」
そう言いながら、
誰よりも優しく、頭を撫でる。
その手が最初に掴んだのは——
自分でも、猫でもなく。
ライだった。
あや婆が、笑う。
「はは、こりゃ決まりだね」
あの時から、決まっていたのかもしれない。
それでも、関係ない。
守るものが増えた。
それで、十分だった。
「……死んでも」
声にならない声。
「守る」
それは——誓いだった。
⸻
ゆっくりと、サトリが目を開ける。
身体を起こす。
血が流れる。
止まらない。
それでも——立つ。
「おい……大丈夫か?」
ライが低く言う。
「あぁ……」
一拍。
「少し昔のことを思い出してた」
「……走馬灯か?」
「……違う」
顔を上げる。
「誓いだ」
「……そうか」
それだけで、十分だった。
「……まだやるの?」
ナリマサの声。
本当に面倒そうに。
サトリは答えない。
ただ——手を上げる。
「……メイ」
空気が、静かに沈む。
音が一瞬だけ遠のき、
淡い光が“満ちる”。
未の召喚——メイ。
ゆっくりと歩み寄る。
視線が、一瞬だけ横に流れる。
あや婆。
ほんの僅かに、目を伏せる。
そして——戻る。
「……いつも」
一歩、近づく。
「呼ぶのが遅いんです」
「もっと早ければ、こうはなりません」
手をかざす。
光が包む。
傷が閉じる。
血が止まる。
「……すまん」
「謝らないでください」
一拍。
「次から、気をつけてください」
その空気を——
——パンッ
裂く。
空間が歪む。
ライが前に出る。
雷で弾く。
だが——
次が来る。
「——ゴウ」
ドンッ
丑の召喚——ゴウ。
地面が沈む。
重い体躯が前に出る。
弾を受ける。
潰す。
止める。
その背後で——
サトリが、次の手を動かす。
風が走る。
空気が裂ける。
現れる。
午の召喚——シュン。
しなやかな体躯。
赤い鬣が揺れる。
地を蹴る。
一歩で、景色が流れる。
速い。
サトリが、その背に乗る。
次の瞬間——
消える。
射線の外へ、一気に抜ける。
——パンッ
弾が、空を切る。
初めて、
ナリマサの攻撃が外れる。
「……あー」
頭をかく。
「増えた上に、速いの来たか」
一拍。
「連携タイプか。めんどくさいな」
その間に——
ライが踏み込む。
雷が走る。
地面を焼きながら、一直線に前へ。
「前、任せろ!」
ゴウが応じる。
一歩、前へ。
ドンッ
地面が沈む。
重い体躯が、壁のように立つ。
弾を受ける。
歪みごと、押し潰す。
「御意」
後方。
メイが静かに手をかざす。
「無理はしないでください」
光が広がる。
傷を繋ぎ、動きを保つ。
中央——
風が走る。
シュンが地を蹴る。
速い。
サトリが、その背で姿勢を低くする。
「……行くぞ」
一歩で距離が消える。
二歩目で、射線の外へ。
雷、重さ、回復、速度。
それぞれが、噛み合う。
前線。
ゴウが受ける。
後方。
メイが支える。
中央。
サトリとシュンが駆ける。
ライが、前へ圧をかける。
役割が、はっきりと分かれる。
崩れない。
途切れない。
形が、できる。
“チーム”になる。
戦いになる。
「……いいね」
ナリマサが呟く。
「ちゃんと戦いになってる」
一拍。
「でも——」
視線が、動く。
メイへ。
「順番、だろ」
指が動く。
空間が——歪む。
一つじゃない。
二つ。
三つ。
四つ。
次の瞬間、
それが一気に増える。
無数。
ゴウの至近距離。
逃げ場が、ない。
「……来る」
ゴウが踏み込む。
——パンッ パンッ パンッ
連続。
四方から、同時に。
受ける。
弾く。
押し潰す。
だが——
一瞬。
処理が、遅れる。
横。
歪みが開く。
メイへ。
「……っ」
直撃。
光が揺れる。
同時に、ゴウの肩にも被弾。
その瞬間——
シュンが動く。
地を蹴る。
加速。
一直線に、ナリマサへ。
「……遅い」
ナリマサの指が、わずかに落ちる。
「——影縫」
影が走る。
地面を滑る黒い線。
一直線に、シュンの足元へ。
踏み込んだ瞬間——
その影が、蹄に絡みつく。
地面と“縫い止められる”。
動きが、止まる。
「……っ!」
加速したままの体が、
一瞬だけ“引っかかる”。
その、ほんの一拍。
——パンッ
至近距離。
歪みが開く。
脚。
撃ち抜かれる。
シュンが、低く鳴く。
前脚が崩れる。
体勢が、沈む。
サトリの重心も、ズレる。
速度が、消える。
メイの回復が、追いつかない。
ゴウは、防御で動けない。
前線が、止まる。
中央が、崩れる。
後方が、孤立する。
連携が——
崩れる。
その瞬間。
サトリが、踏み出す。
一直線。
ナリマサへ。
ナリマサの目が、わずかに動く。
「……は?」
一拍。
「寅の奴……いない?」
気づく。
その、わずかな遅れ。
「ライ!」
呼ぶ。
「……わかってる」
次の瞬間——
ライの身体が、崩れる。
形を失い、
光に変わる。
雷。
輪郭を持たないまま、
サトリの腕へ流れ込む。
右手に、収束する。
皮膚の上を、光が走る。
筋肉に沿って、雷が絡みつく。
“纏う”。
拳そのものが、
雷になる。
バチバチと、
空気が裂ける。
踏み込む。
一歩。
次の瞬間——
消える。
雷の加速。
身体が、
光に引っ張られるように前へ跳ぶ。
距離が、潰れる。
ナリマサの視界が埋まる。
「——っ!?」
目の前。
拳。
振り抜く。
雷が、爆ぜる。
——ドンッ!!
衝撃。
空気が弾ける。
ナリマサが、わずかに眉をひそめる。
「……ほんと、めんどくさいな」
だが——
その足は、
さっきよりも半歩、下がっていた。
それだけ。
だが——
確かに、押した。
光が、ほどける。
雷が、弾ける。
ライの輪郭が、戻る。
サトリが、立っている。
血だらけで。
それでも——
「……守るって決めたからな」
低く。
揺れない。
風が、吹く。
煙が流れる。
崩れた街の中で——
ただ一人、
前に立っていた。
続きが気になったら、ブクマで追ってもらえると嬉しいです。




