9話 それでも、立つ
街が、崩れていた。
見慣れた通りは、もう形を保っていない。石畳は割れ、壁は崩れ、屋根は焼け落ちている。
その中で——
地面が、あちこちで抉れていた。
自然に崩れたものじゃない。内側から、無理やりこじ開けられている。
指で掻いたような跡。爪で削ったような傷。
人の手で、掘り返された穴だった。
そこから——
人が、出てくる。
ひとり、ふたりじゃない。
次々と、押し合うように、這い上がるように。
土にまみれたまま、顔を上げる。
その目に、焦点はない。
その中の一人に、
サトリの視線が止まる。
見覚えのある顔だった。
夜、酒を酌み交わした男。
どうでもいい話で笑って、くだらないことで言い合って、それでも最後は同じ杯を空けた相手。
その男が——
何の躊躇もなく、刃を振り上げている。
目は、合わない。
もう、いない。
サトリは、何も言わない。
ただ一度だけ、目を伏せる。
そして——視線を外す。
「やめろ! 正気に戻れ!」
叫びが飛ぶ。
だが、届かない。
振り上げた腕は止まらない。刃は躊躇なく振り下ろされる。
相手が誰かなんて、関係ない。
近くにいるものすべてに向かって、
ただ、壊す。
応戦する者もいる。
まだ正気を保っている街の人たちが、必死に仲間を止め、庇い、食い止めようとする。
それでも——
数が、多すぎた。
一つの穴から、何人も出てくる。
倒しても、止まらない。
また、増える。
押し返される。
建物が崩れる。
柱が折れる。
火が上がる。
煙が、空を覆う。
昨日まであった穏やかな景色は、
もう、どこにもなかった。
その端で——
サトリは立っていた。
静かに、状況を見ている。
止めきれない。
守りきれない。
それは、もう分かっている。
視線が落ちる。
足元。
あや婆が倒れている。
動かない。
ライが周囲を睨む。
穴から這い出た人影が、確実に距離を詰めてくる。
「……時間、ねぇぞ」
サトリは、一度だけ目を閉じる。
そして——
「ちょっといいか?」
ナリマサが視線だけ向ける。
「なに?」
構えは崩さない。
空間の歪みも、消えてはいない。
「戦闘中で言う話じゃないが……」
一拍。
「あや婆を弔いたい」
短く。
「恩人なんだ」
ナリマサは、すぐには答えない。
視線をわずかに落とす。
あや婆を見る。
ほんの一瞬。
眉が、わずかに動く。
「あぁ……わかった」
低く言う。
「……手短にな」
許可ではない。
同意でもない。
ただ——否定しなかった。
その代わり、
指先はわずかに動いている。
空間は、静かに歪んだまま。
“いつでも撃てる状態”だけが、保たれている。
ライが息を吐く。
周囲を見渡し、距離と数を測る。
「あぁ……急ぐぞ」
二人はすぐに動いた。
半壊した家の脇、石で組まれた低い台へ。
あや婆の体を運ぶ。
肩と足を支え、揺らさないように持ち上げる。
軽くはない。
だが、雑には扱わない。
土を払い、乱れた髪を整え、ゆっくりと横たえる。
背後では、戦いが続いている。
叫び声、崩れる音、火のはぜる音。
それでも——
この場所だけが、わずかに静かだった。
二人、並ぶ。
手を合わせる。
「……いい顔をしてるな」
ライが言う。
「最後まで、コトリを守ってくれた」
「感謝しかないな」
サトリが静かに言う。
目は閉じたまま。
ナリマサは、何も言わない。
その場に立ったまま、
ただ一度だけ、あや婆を見る。
目を閉じる。
ほんの一瞬。
それだけで、また目を開ける。
空間の歪みが、わずかに強くなる。
気づいている。
二人とも。
サトリが、ゆっくりと目を開ける。
手を下ろす。
「……終わりだ」
ライも、手を離す。
立ち上がる。
振り返る。
ナリマサと、目が合う。
わずかな間。
ナリマサが、息を吐く。
「……もういいか?」
サトリは、何も言わない。
ただ、立つ。
ナリマサが、肩を軽く回す。
「正直さ」
一拍。
「俺、あんたとやる気ないんだよね」
軽い口調。
だが、目は逸らさない。
「任務は、保護なんだよ」
「それだけ」
指先が、わずかに動く。
空間が、静かに歪む。
「ここで時間使う意味、なくない?」
サトリが一歩踏み出す。
「行かせるわけにはいかない」
それだけ。
迷いはない。
ナリマサが、わずかに目を細める。
「……そっか」
一拍。
「じゃあ、仕方ないな」
小さく、息を吐く。
風が、抜ける。
ざわめきの中で、そこだけがわずかに静かになる。
コトリの気配は、もう遠い。
それを確認してから——
ライが、小さく息を吐く。
「……なぁ」
視線は前。
ナリマサを捉えたまま。
「継承したばっかで、いきなり共闘ってどうなんだよ」
サトリは動かない。
同じように、前を見たまま。
「……そうだな」
短く返す。
それだけ。
肯定だった。
そして、少しだけ間を置いて——
「だが」
「やはり、コトリはお前を選んだな」
ライの目が、わずかに細くなる。
「……ああ」
小さく頷く。
「最初から、分かってた」
視線は変わらない。
「遠い昔から、決まってたことだ」
静かな確信。
サトリは何も言わない。
ただ、わずかに目を細める。
「……話、終わった?」
ナリマサが言う。
退屈そうに。
空気が、わずかに歪む。
「準備できたなら——」
一拍。
「やるけど」
サトリが一歩踏み出す。
ライも並ぶ。
「来い」
その瞬間——
空間が、歪む。
何もない場所が、ねじれる。
点のような“ズレ”が、いくつも生まれる。
——パンッ
弾が、出る。
見えない。
だが、空気の裂け目だけが残る。
サトリが動く。
最小で避ける。
半歩ずらす。
身体を捻る。
ライも動く。
指先に雷を走らせる。
歪みに向けて——撃つ。
——バチィッ!!
空間ごと、弾ける。
歪みが消える。
「……潰せる!」
次の歪み。
横。
背後。
上。
雷を連射する。
一つ、消す。
二つ、潰す。
三つ目——
——パンッ
「……っ!」
被弾。
肩が跳ねる。
「ちっ……!」
処理が、追いつかない。
それでも——
避ける。
消す。
凌ぐ。
ナリマサが、息を吐く。
「……めんどくせぇな」
一拍。
「……影縫」
足元の影が、不自然に伸びる。
その瞬間——
地面に影が走る。
サトリの足元。
ライの足元。
黒い線が絡みつく。
「……っ!?」
動きが、止まる。
足が、縫い止められる。
次の瞬間——
——パンッ パンッ
連射。
回避が、間に合わない。
サトリの脇腹。
ライの肩。
血が、散る。
「ぐっ……!」
拘束は一瞬。
だが、それで十分だった。
影が解ける。
ライが、歯を食いしばる。
「……舐めんなよ」
雷が、爆ぜる。
全方位。
無差別に放たれる。
空間ごと焼き払うように、
歪みを巻き込んで、薙ぐ。
地面が弾ける。
空気が震える。
ナリマサへも——
一直線に雷が走る。
だが——
当たらない。
歪みが、弾く。
軌道が、逸らされる。
ナリマサは、そこに立ったまま。
「見えてるよ」
淡々と。
「全部」
指が、わずかに動く。
新しい歪みが、生まれる。
空間のあちこちに。
「だから——」
一拍。
「当てればいいだけ」
——パンッ
弾丸が走る。
サトリが動く。
身体を捻る。
急所を外す。
だが——
肩を貫く。
脇腹を抉る。
血が、散る。
「……っ」
膝が、わずかに沈む。
それでも——
倒れない。
足に力を込める。
踏みとどまる。
ナリマサが、わずかに目を細める。
「……もういいだろ」
一歩も動かないまま。
「追わせてくれ」
それが、本音だった。
一拍。
サトリが、顔を上げる。
血が、頬を伝う。
口元からも、流れている。
それでも——
目だけは、揺れない。
「……追わせるわけ、ないだろ」
低く。
だが、はっきりと。
そのまま、一歩踏み出す。
血が、地面に落ちる。
構えは、崩れない。
まだ、戦う。
ナリマサが、小さく息を吐く。
「……めんどくせぇな」
空間が、歪む。
戦いは、
まだ終わらない。
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