第25話 通し稽古
東京 2023年2月
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1. 衣装合わせ
段ボール箱が、スタジオの隅に山になっていた。
チュチュ、羽根のヘッドピース、タイツ、ポワントシューズ。真由美と衣装担当のスタッフが、名前を書いたタグを一つずつ確認しながら配っていく。
「わあ……」
公募組の一人が、袖を通しただけで声を漏らした。鏡の前で、白い羽根が肩から胸元にかけて揺れる。今まで練習着で踊ってきた身体に、初めて衣装の重みと質感が乗った瞬間だった。
「本番、まだ先だと思ってたけど」
美咲が、鏡越しに私を見て言った。足首のテーピングは、もう慣れた様子で巻かれている。
「衣装着ると、急に現実になるね」
「うん。今日から、通し稽古だし」
2. 通し稽古
初めての通し稽古は、案の定、ぼろぼろだった。
音楽の入りを間違える、隊列の入れ替えで人にぶつかる、衣装の裾を踏んで転びかける。イリーナの「ストップ」の声が、何度もスタジオに響いた。
「このままだと、間に合わない」
休憩中、健一さんが珍しく苦い顔でつぶやいた。48人全員を一度に動かして揃えようとすると、誰か一人がずれるたびに全体が崩れる。直しても直しても、同じところで崩れる。
「松岡さんに、聞いてみようか」
真由美が言った。あの「洗脳」アドバイスをくれた、東京バレエ団出身のインストラクターだ。
電話をかけると、松岡さんはあっさり答えた。
「48人まとめて合わせようとしてるなら、そりゃ揃わないよ。グループ分けしな」
「グループ分け、ですか」
「12人ずつ、4班くらいに分けて。それぞれの班に、経験者を一人アンカーとして入れる。まず班の中で完璧に揃えてから、班と班を合わせる。全体で一発合わせようとするより、断然早い」
「なるほど……」
「僕もコールド、素人相手に何回も本番成功させてきたけど、毎回これでうまくいってるよ」
翌日から、隊列を4つの班に分けて練習することにした。イリーナが第一班、真由美が第二班、拓也が第三班、私が第四班のアンカーに入った。
最初はぎこちなかった班ごとの揃いが、三日もすると見違えるように締まってきた。そこから班同士を合わせると、驚くほどスムーズに一つの隊列にまとまっていった。
「本当に、効くね」
美咲が、汗を拭いながら言った。
「全体でやるより、これの方が早く感じる」
「木を見てから森を見る、ってことなんだと思う」
3. 二回公演という定石
「チケットのことなんだけど」
その週のミーティングで、健一さんが切り出した。
「公募の48人、一人10枚。それだけでかなりの数になる。しかも、みんな『どうしても家族に観てほしい』って言ってきてる」
「これ、松岡さんにも相談したんだけど」
真由美が続けた。
「素人さんを大勢使う公演って、そもそも昼夜二回公演にするのが定石なんだって。会場もセットもそのまま使えるから、追加でかかるのは、スタッフの超過料金とお弁当代くらい」
「金額にすると?」
「10万から15万で収まる範囲」
美咲が、拍子抜けしたような顔をした。
「そんなに安く済むんですか」
「うん。会場を借り直すわけでも、セットを組み直すわけでもないから」
健一さんが頷いた。
「昼公演を13時30分から15時30分、夜公演を18時から20時。全員、両方に出てもらう形にしよう」
「全員、二回とも……体力、持ちますか」
「そこは、松岡さんが太鼓判押してた。休憩と補食のタイミングさえ整えれば、素人さんでも普通にこなせる範囲だって。むしろ、両方観に来られる家族が増えて喜ばれることの方が多いらしい」
その場で、二回公演にすることが決まった。
4. 伝達
「昼夜二回公演になりました。ご家族には、都合のいい回を選んで観に来てもらってください」
公募組への連絡は、真由美が作ったフォームで一斉に告知された。
数分後には、グループチャットに「やった!」「両方観に来てもらえる!」という絵文字だらけのメッセージが並んだ。瑞希からも「今度はちゃんと本人たちに確認してから投稿しますね」というメッセージが届いていて、少し笑ってしまった。
5. 通知
その夜、稽古着のまま床に座り込んで、私は今日一日の疲れを抜いていた。
スマートフォンが、震えた。
見慣れない着信音だった。アプリの通知に、見覚えのある名前が表示されていた。
——Anya
心臓が、一瞬止まった気がした。
震える指で、画面を開く。
「舞。生きてる」
たった五文字だった。それだけで、目の奥が熱くなった。
続けて、二通目が届いた。
「電波も電気もずっと不安定で、返信できなかった。ごめん。今は、少し西の方に移動してる。安全な場所。前より」
三通目。
「みんなからのメッセージ、全部読んだ。一つ残らず。特に、舞のからのやつ」
指が、震えたまま止まらなかった。私は、何を打てばいいのか分からないまま、ただ「アーニャ」とだけ打って、消して、打ち直した。
「よかった。本当に、よかった」
送信ボタンを押す。既読が、すぐについた。
「そっちは? 公演、近いんでしょ」
「うん。来月。今日、衣装合わせだった。48人の公募ダンサーと一緒に、『白鳥の湖』全幕やる。昼夜二回公演で」
「48人? すごい」
「うん。グループ分けして練習したら、思ったより早く揃うようになった」
「その方法、正解だと思う。私も昔、地方の子ども向け発表会の指導に駆り出されたとき、同じやり方した」
「アーニャも?」
「うん。全体で合わせようとすると、みんな萎縮する。班なら、失敗しても目立たないから、伸び伸びやれる」
その一言に、思わず笑ってしまった。遠く離れた場所にいても、同じ答えにたどり着いていたことが、不思議と嬉しかった。
6. 湖の向こうから
その夜、私は他のみんなにも、すぐに知らせた。
エマから、リンから、ユナから、シュエから、クロエから。それぞれの時差の中で、次々とスタンプや絵文字だらけの返信が届いた。誰も、多くを語らなかった。ただ、「よかった」という言葉だけが、いろんな言語のニュアンスで、何度も繰り返された。
翌朝のリハーサル、私は隊列の中に立ちながら、久しぶりに何の迷いもなく、まっすぐ前を向いていられた。
48羽の白鳥は、班ごとに揃い、そして全体としても、少しずつ一つの群れになりつつあった。
それでも、遠くの湖にいた一羽が、今、確かにこちらを向いている。
その事実だけで、目の前の全部の準備が、軽やかに進んでいく気がした。




