第24話 SNS投稿
東京 2023年1月
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1. 拡散
「これ、見てもらえますか」
真由美が、スマートフォンの画面をこちらに向けた。動画アプリだった。
再生された映像には、見覚えのあるスタジオの床、見覚えのある隊列が映っていた。白鳥の湖、第二幕の群舞。振付の全体像が、はっきりと分かる角度で撮影されていた。
「これ、公募の誰かが上げたやつ?」
「うん。キャプションに『本番前だけど気分だけ先取り♡』って」
投稿主は、公募組の一人、二十代の女性だった。悪意はまったくなかったのだろう。むしろ、嬉しさが溢れ出た結果だった。フォロワーからは「素敵」「本番が楽しみ」というコメントがついている。
「困るのは」
真由美が続けた。
「本番の見せ場、ネタバレになってることと」
「あと?」
「イリーナも真由美も、はっきり顔が映ってる。二人とも、今の所属先には内緒でこの公演に出てるんだよね」
その一言で、事の重さが分かった。
2. イリーナの立場
事務所に呼ばれたイリーナは、動画を見ても表情を変えなかった。ただ、いつもよりわずかに声が低かった。
「別に、責めるつもりはない」
彼女は言った。
「彼女は、悪気があったわけじゃない。ただ、嬉しかっただけ」
「でも……」
「本国の家族に、今の状況を詳しく知られたくない事情がある。それだけ」
それ以上、イリーナは説明しなかった。私たちも、聞かなかった。ただ、事情の重さだけが、部屋の空気に沈んだ。
3. 話し合い
投稿した本人——瑞希という名前だった——を呼んで、健一さんが説明した。
「動画、消してもらえるかな」
「え、何かまずかったですか? 私、みんなの頑張ってる姿、誇らしくて」
瑞希は、心底驚いた顔をしていた。悪気のなさが、逆に対応を難しくしていた。
「気持ちは、すごく分かる」
健一さんは、慎重に言葉を選んでいた。
「でも、本番の見せ場が事前に広まると、チケットを買ってくれたお客さんの楽しみを奪ってしまう。それに、出演者の中には、今回の参加を周りに知られたくない事情がある人もいる」
「そんな……全然、知らなくて」
瑞希の声が、小さくなっていく。
「ごめんなさい、すぐ消します」
「うん。責めてるわけじゃないんだ。ただ、これからは、稽古場での撮影と投稿については、みんなで一つルールを決めよう」
その日の帰り際、瑞希は私のところに来て、もう一度謝った。
「本当に、ごめんなさい。舞台に立たせてもらえるだけで舞い上がってて」
「大丈夫だよ。次から、投稿する前に一言相談してくれれば十分だから」
彼女は、まだ少し肩を落としたまま、頷いた。悪意のない失敗ほど、後味が重く残るものだと、私は改めて思った。
4. 気づかれた違和感
その一件が落ち着いた数日後、私は別の違和感に気づいた。
隊列の中で、一人だけ、着地の音が違う。
美咲だった。ジャンプの着地のたびに、右足だけ、わずかに床に落ちる速度が遅い。かばっている、というほど分かりやすくはない。でも、毎日見ている目には、その微妙なズレが引っかかった。
「美咲、大丈夫?」
休憩中、さりげなく聞いてみた。
「え、うん! 全然平気」
答えは早すぎた。早すぎる返事は、たいてい、平気じゃないときに出るものだ。
5. 白状
稽古後、更衣室で美咲を捕まえた。
「本当のこと、話してくれる?」
しばらく黙った後、彼女は足首を見せた。少し腫れている。
「二週間前くらいから、ちょっと痛くて。でも、湿布して誤魔化せば大丈夫だったから」
「病院、行った?」
「行ってない。行って『安静に』とか言われたら、外されるかもしれないし……」
「美咲」
「わかってる、よくないってことくらい。でも、あとちょっとで本番なんです。ここまで来て、抜けたくない」
彼女の目に、涙が滲んでいた。三十万の話をしていた頃の彼女とは、もう違う顔だった。あの頃は「お金の価値」に納得できなかった彼女が、今は、抜けることの方を怖がっている。
6. 判断
健一さんとイリーナ、真由美を交えて相談した。
「本人の意思を尊重したい気持ちは分かる」
イリーナが、静かに言った。
「でも、怪我を隠して踊り続けて、本番中に悪化したら、彼女自身がもっと長く苦しむことになる」
「病院に行かせて、まず状態を把握するところからだと思う」
真由美が続けた。
「軽ければ、テーピングと動きの調整でなんとかなるかもしれない。重ければ、無理はさせられない」
「私が話す」
私は言った。
「美咲とは、ずっと一緒にやってきたから」
7. 話し合い、その先
「病院、行こう」
私は、美咲にそう伝えた。
「外されるって決まったわけじゃない。まず、状態を知ることが先だよ」
「もし、無理って言われたら?」
「そのときは、そのとき考える。でも、隠したまま踊って、もっと悪くしたら、来年もその先も踊れなくなるかもしれない。それだけは、避けたい」
美咲は、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「わかった。行く」
診断は、軽度の靭帯の炎症だった。数週間、負荷を落とせば、本番までには間に合う。ジャンプの回数を減らし、隊列の中でも負担の少ない位置に配置を変えることで、参加自体は続けられることになった。
「よかった」
結果を聞いて、美咲は初めて、素直に泣いた。
8. 隠すことと、見せること
その夜、家に帰ってから、私は今週の出来事を振り返っていた。
瑞希は、隠すべきことを、悪気なく見せすぎてしまった。美咲は、見せるべきことを、意地で隠し続けようとした。方向は真逆なのに、根っこにあるものは似ている気がした。誰かに、どう見られるか。それを、うまくコントロールできないまま、ただ一生懸命だっただけだ。
スマートフォンを開くと、アーニャとのトーク画面がまだそこにあった。既読のつかないメッセージの列。
彼女もまた、今どこかで、何かを隠しながら、あるいは見せられないまま、日々をやり過ごしているのかもしれない。無事だと知らせたくても、知らせられない事情があるのかもしれない。
隠すことにも、見せることにも、それぞれの理由がある。
その理由の全部を知ることはできなくても、せめて、無事を祈ることだけは続けたい。




