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白夜のアラベスク 〜ワガノワ、戦争、そして私たち〜  作者: はまゆう


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第21話「白鳥たちの群れ」

東京 2022年12月


---


1. 公募


告知ページを作ったのは、真由美だった。


「ポワントまたはバレエシューズ、群舞参加者募集。20回のリハーサル、衣装・ヘアメイク込み、当日のDVDプレゼント、チケット10枚支給。参加費15万円」


「高くない? これ」


美咲が画面を覗き込んで言った。


「衣装代とリハ会場代を引いたら、こっちの手元に残るのは一人7万くらいだよ」


真由美が電卓アプリを叩きながら答える。


「それでも、50人集まれば350万。メインダンサーの負担が、ほぼ半分になる」


「50人も集まる? こんなニッチな告知に」


美咲は半信半疑だった。健一さんも、正直なところ同じ気持ちだったらしい。締切の一週間前まで、応募は十数件しかなかったからだ。


だが、締切三日前から潮目が変わった。誰かがSNSでシェアしたのがきっかけだった。「大人からバレエを始めた人でも、本番の舞台に立てる」という一文が、思いのほか刺さったようだった。


締切の夜、真由美のノートパソコンの画面には、応募フォームの通知が鳴り止まなかった。


「ちょっと、これ……」


彼女の声が、少し裏返っていた。


「48人」


2. 電卓の上の予算


会議室のホワイトボードには、数字がびっしり並んでいた。


会場費、照明・音響、衣装レンタル、カメラマン、そして公募参加者48人分の衣装・リハ会場費用。


「参加費の総額は720万」


健一さんがマーカーを走らせながら言う。


「そこから、公募参加者用の衣装・リハ費用を引くと、実質の収入は350万弱」


「それを、全体予算700万から引くと」


真由美が電卓を覗き込む。


「メインダンサーの負担が、一人あたり十五万から二十万くらいに減る」


美咲が、椅子の背にもたれて息を吐いた。


「……最初の三十万から見たら、だいぶ違う」


「ただし」


イリーナが指を一本立てた。


「48人の初心者を、本番で見苦しくないように仕上げる責任は、私たちが負う。お金が減った分、稽古の負担は増える」


その言葉に、部屋が少し静かになった。楽になったわけではない。ただ、負担の種類が変わっただけだった。


3. 白鳥の湖、全幕


「第一部は、『白鳥の湖』全幕にしよう」


健一さんの提案に、美咲が眉を上げた。


「全幕? 公募の子たち、経験もバラバラですよ」


「だからこそだよ」


健一さんは、ホワイトボードに簡単な図を描いた。円の中に、小さな丸がいくつも並んでいる。


「群舞の白鳥たちは、揃った動きがすべてだ。一人ひとりの技術差より、隊列と呼吸の揃い方が問われる。逆に言えば、初心者でも、練習量さえ積めば形になる」


「主役級のパートは、もちろん私たちで」


真由美が続けた。


「オデット、オディール、ジークフリート。そこは経験者が担う。でも、湖畔を埋める白鳥の群れは、公募の子たちに任せられる」


美咲は、しばらく黙って図を見ていた。


「……悪くないかも。素人が主役をやるわけじゃないなら」


4. 隊列の中で


初回のリハーサルは、想像以上に混沌としていた。


バーレッスンの経験しかない人、社会人になってからバレエを再開した人、学生時代に少しだけ習っていた人。年齢も体つきもバラバラな48人が、スタジオいっぱいに広がって、同じ振りを繰り返す。


「腕の高さ、揃えて。隣の人の肘を見て」


イリーナの声が飛ぶ。


最初はバラバラだった腕の角度が、三回、四回と繰り返すうちに、少しずつ重なっていく。誰か一人が完璧である必要はない。全体として、一枚の白い羽根のように見えればいい。


その光景を見ながら、私はふと、アーニャのことを思い出していた。


ワガノワ時代、彼女とよく並んで白鳥のコールドバレエを踊った。「揃うって、個性を消すことじゃない。全員が同じ方向を向いた瞬間に生まれる、もう一つの生き物になることだよ」——彼女がそう言っていたのを、今でも覚えている。


今、目の前で少しずつ揃っていく48人の腕を見ながら、私はその言葉の意味を、もう一度嚙みしめていた。


5. 遠くの湖


その夜、リンからメッセージが届いた。


「これ、見て。ベトナムのニュースサイトに載ってた」


添付されていたのは、キーウの劇場の写真だった。記事の見出しは、地下シェルターでの文化活動継続を伝えるものだった。


「アーニャの劇場かどうかは、わからないけど」


リンのメッセージには、そう書かれていた。


写真の中の劇場は、壁の一部が崩れていたが、舞台の上にはまだ照明が灯っていた。誰かが、まだそこで踊っている。それが誰なのか、確かめる術はない。


「ありがとう、リン」


私は返信した。


「アーニャかどうかは分からないけど、誰かがまだ踊ってるってことだけで、少し救われる」


送信した後、私はもう一度、アーニャとの最後のやり取りを開いた。「十分な——」で途切れた音声メッセージ。既読のつかないままの、私からの言葉たち。


まだ、何も変わっていない。


それでも、その写真を見てから、隊列を組む48人の白鳥たちが、少しだけ違って見えた。


6. 数字の向こうにあるもの


「予算、ほぼ確定したよ」


翌週のミーティングで、健一さんが言った。


「メインダンサーの負担は、一人十八万。公募のみんなの参加費と合わせて、なんとか総額をまかなえる」


「十八万か……」


美咲がつぶやく。「最初の三十万から見たら、随分楽になった」


「楽になったけど」


イリーナが言葉を継いだ。


「その分、48人分の責任が増えた。お金の話は解決したけど、稽古はこれからが本番だよ」


「わかってる」


美咲が、めずらしく笑って言った。


「でも今回は、一人でその重さを背負わなくていい。48人、いや、あの写真の劇場まで含めたら、もっと多くの人と、同じ舞台を作ってる気がする」


その言葉に、私は小さく頷いた。


湖畔に立つ白鳥は、一羽では意味を持たない。何十羽もの群れが同じ方向を向いたとき、初めてそこに、一つの風景が生まれる。


遠くの劇場にいる、名前も分からない誰かも。


まだ既読のつかない、アーニャの沈黙も。


きっと、同じ湖のどこかで、繋がっている。


そう思いたかった。


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