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白夜のアラベスク 〜ワガノワ、戦争、そして私たち〜  作者: はまゆう


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第19話「遠い約束」

第18話「遠い約束」


東京 2022年秋〜冬


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1. 秋の訪れ


10月。東京の街は、少しずつ秋の色に染まり始めていた。


スタジオの窓から見える木々は赤や黄色に変わり、空気はひんやりとしている。ワガノワでの秋を思い出す。あの時は、まだ戦争なんて想像もしていなかった。


「舞、ちょっといい?」


健一さんが声をかけてきた。


「次の公演の話なんだけど、少し相談があるんだ」


「何ですか?」


「今回の公演、テーマを『絆』にしようと思ってるんだ。世界中に散らばった仲間たちとの、遠い約束をテーマに」


私は、その言葉に胸が熱くなった。


「いいですね、そのテーマ」


「だろう? じゃあ、早速準備を始めよう」


2. エマからのクリスマスカード


11月。エマからクリスマスカードが届いた。


「舞へ。今年のクリスマスは、ニューヨークで過ごすよ。家族と一緒。でも、みんなのことを考えてる。特にアーニャ。彼女は今、何をしているんだろう。元気でいるといいな」


カードの裏には、ニューヨークの街並みの写真が貼ってあった。エマは、元気そうだ。でも、その手書きの文字は、少し寂しげだった。


私は、エマに返事を書いた。


「エマへ。日本は秋から冬に変わりつつあるよ。私たちも、次の公演に向けて準備を始めた。『絆』がテーマだ。エマのことも、思い出しながら踊るね。遠くにいても、私たちは繋がっている」


そんなやり取りが、何よりの支えだった。


3. リンからの手紙


リンからも、手紙が届いた。


「ベトナムは、もうすぐ乾季に入るよ。公演も順調で、次の舞台はホーチミン市で行う予定だ。今は、もっと上手くなりたくて、毎日練習している。舞は、日本のスタジオで元気にしている?」


手紙には、彼女の練習風景の写真が同封されていた。彼女は、前よりも凛々しい表情をしている。


「リンへ。私は元気だよ。次の公演のテーマは『絆』。みんなのことを思い出しながら踊る。遠くにいても、私たちは同じバレエを愛している。それが、何よりの繋がりだよね」


手紙を書くたびに、彼女の笑顔が浮かんだ。


4. ユナからの動画


ユナからは、動画が届いた。


そこには、韓国の伝統的な衣装を着て踊るユナの姿が映っていた。バレエと韓国舞踊を融合させた、新しい作品だ。


「韓国で、新しい挑戦を始めたよ。母のスタジオで、伝統舞踊の先生とコラボしたんだ。バレエの基礎があるから、どんな動きも美しくできる。これからも、いろんなことを学んでいきたい」


動画の最後で、彼女はカメラに向かってウインクした。相変わらず、彼女は元気だ。


「ユナへ。動画、見たよ。新しい挑戦、すごいね。私も、次の公演で新しいことに挑戦するよ。お互い頑張ろう!」


返信を送りながら、私は彼女のバイタリティに感心していた。


5. シュエからの詩


シュエからは、短い詩が届いた。


「雪が降る前に、また一歩。あなたの声が聞こえる、遠い場所から。踊る指先に、約束を込めて」


彼女はいつも通り、少ない言葉で多くを伝える。


「シュエへ。詩、ありがとう。とても美しい。私も、あなたの声が聞こえるよ。遠くにいても、私たちは繋がっている。次の公演、頑張るね」


返信を打ちながら、彼女のことを思った。彼女もまた、自分の道を歩んでいる。


6. クロエからのビデオ


クロエからは、パリ・オペラ座でのリハーサル風景が送られてきた。


「パリは、もう冬だよ。オペラ座の中は、いつもより賑やかで、活気がある。ワガノワで学んだことが、今でも生きている。特に、基礎の大切さを実感している」


映像の中で、彼女は楽しそうに踊っている。ワガノワでの日々が、彼女の支えになっているのだ。


「クロエへ。映像、見たよ。パリ・オペラ座、本当に素敵だね。私も、次の公演に向けて頑張る。遠くにいても、私たちは同じバレエを愛している。それが、何よりの繋がりだよね」


そんなやり取りが、続いている。


7. アーニャからの声、そして沈黙


アーニャからは、久しぶりに音声メッセージが届いた。


「舞、聞こえる?」


彼女の声は、少し掠れていた。でも、確かに生きている。


「キーウは、冬が来たよ。寒いけど、まだ生きてる。地下公演は続けている。観客は少ないけど、それでも誰かが拍手をくれる」


「今日は、小さな女の子が来たんだ。戦争で家族を失ったらしい。でも、彼女は私の踊りを見て、笑ってくれた。それだけで、十分な——」


そこで、音声が途切れた。


私は何度も、その部分を聞き直した。「十分な」の続きに、彼女はきっと「んだ」と言おうとしていたのだろう。でも、その先は無音のまま、メッセージは終わっていた。回線が悪かっただけかもしれない。そう思って、返信を送った。


「アーニャへ。声、聞いたよ。元気そうで良かった。私も、次の公演に向けて頑張る。私たちは、必ずまた会える。その日を信じて、踊り続けよう」


送信ボタンを押しながら、私は彼女の笑顔を思い浮かべた。


その日は、それで終わった。


だが、返事は来なかった。


翌週も、その翌週も。


エマからは相変わらず賑やかなメッセージが届いた。リンからは新しい練習風景の写真が。ユナからは韓国語のスタンプだらけのメッセージが。シュエからは短い詩の続きが。クロエからはパリの街の写真が。


アーニャからだけ、何も来なかった。


最初は、忙しいのだろうと思った。地下シェルターでは電波も不安定だと、以前彼女が話していたのを思い出した。だから私は、いつも通りメッセージを送り続けた。「元気?」「新しい振り付け、見てほしいな」「絆というテーマで踊るよ、アーニャのことも」


既読すらつかないまま、画面の中のメッセージだけが積み重なっていった。


8. 絆のリハーサル


次の公演のリハーサルが始まった。


テーマは「絆」。世界中に散らばった仲間たちとの、遠い約束。


「今回は、それぞれの国のダンスの要素も取り入れよう」


健一さんが提案した。


「ベトナムのフォークダンス、韓国の伝統舞踊、アメリカのモダン、中国の古典舞踊、フランスのバレエ、ウクライナの民舞...それらを全て融合させた作品を創りたい」


「すごいアイデアですね」


そう答えながらも、私の声は少し硬かった。


「どうした?」


「いえ……ウクライナのパート、なんですけど」


健一さんが、手を止めた。


「アーニャさんから、最近連絡がないんです。三週間、既読もつかなくて」


スタジオが、一瞬静かになった。


「地下にいるから、電波の問題かもしれません。前にも、何日か連絡が取れないことはあったので」


自分に言い聞かせるように、私はそう続けた。健一さんは何も言わず、ただ頷いた。


「ウクライナのパートは……振り付けだけ、先に進めておこう。アーニャさんの分は、彼女が戻ってきてから、一緒に仕上げればいい」


その言葉に、私は少しだけ救われた。でも、心のどこかで、別の可能性が頭をよぎるのを止められなかった。


その夜から、私は稽古の後、一人でウクライナの民族舞踊の動画を何度も見返すようになった。誰かに見せるためではなく、ただ、繋がっていたくて。


9. お互いを思いながら


リハーサルの日々が続く中で、私はいつも仲間たちのことを考えていた。


リンがベトナムで頑張っていること。

ユナが韓国で新しい挑戦をしていること。

エマがアメリカで元気にしていること。

シュエが中国で詩を書いていること。

クロエがフランスで輝いていること。


そして、アーニャのこと。


みんなにメッセージを送るたび、私は同じ文面をアーニャにも送っていた。返事は、まだない。


ある夜、リンから電話がかかってきた。


「舞、アーニャから連絡ある?」


「ううん……そっちにも来てない?」


「私にも、もう一ヶ月来てない。エマにも聞いたけど、同じだって」


電話の向こうで、リンが小さく息をついた音が聞こえた。


「大丈夫だよね、きっと」


「うん」


そう答えたけれど、二人とも、その言葉に自信がないことは分かっていた。


遠くにいても、私たちは繋がっている。


そう信じてきたはずなのに、今初めて、その言葉の脆さに気づかされていた。繋がりというのは、いつも当たり前にそこにあるものじゃない。誰かが、それを保ち続けようとしなければ、簡単に切れてしまうものなのだ。


10. 遠い約束


公演の初日が近づいていた。


ウクライナのパートは、結局アーニャの振り付けを入れることになった。以前彼女が動画で送ってくれていた、地下での練習風景。あの映像に映っていた小さな動き、ステップの一つ一つを、健一さんと二人で丁寧に拾い上げて、舞台用に組み直した。


本番当日。舞台の一角に、小さなスペースが用意されていた。


そこには、誰も立たない。


音楽が流れる中、私たちはそれぞれの国のダンスを踊る。エマのモダン、リンのフォークダンス、ユナの韓国舞踊、シュエの古典舞踊、クロエのバレエ。そして最後に、その空いたスペースにスポットライトが当たる。


誰もいない光の中に、アーニャの映像が投影される。地下室で踊る、あの日の彼女。


観客席から、小さなどよめきが起きた。


私は、その光に向かって手を伸ばした。届かないと分かっていても、伸ばさずにはいられなかった。


公演が終わった夜、私はスマートフォンを開いた。まだ、返信はない。


それでも、私は打ち始めた。


「アーニャへ。今日、公演が終わったよ。ウクライナのパートは、あなたと一緒に踊った。あなたがいなくても、あなたの踊りは確かにそこにあった」


「必ずまた会える、なんて簡単には言えない。それでも、私はあなたを待ってる。既読がつく日を、ずっと待ってる」


送信ボタンを押した後、私はスタジオの窓から空を見上げた。


星が、一つ、また一つと輝いている。


遠くの空の下に、まだアーニャがいると、信じたかった。


その約束を胸に、明日もまた踊る。



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