第18話 「それぞれの再出発」
東京 2022年秋
1. 久しぶりの再会
ある日、東京の街角で、見覚えのある顔に出会った。
「舞? 桜井舞ちゃん?」
声をかけてきたのは、かつて同じバレエ教室に通っていた先輩、裕子さんだった。彼女はドイツのシュトゥットガルトバレエ学校に留学し、シュトゥットガルトバレエ団に入団したと聞いていた。数年ぶりの再会だった。
「裕子さん! 久しぶりです!」
「本当に久しぶり! 大きくなったね」
裕子さんは笑っていた。でも、その笑顔の裏に、何かが隠れているような気がした。
「今、何してるんですか?」
私が尋ねると、彼女は少し間を置いて、答えた。
「今はね、街のストレッチサロンで働いてるんだ」
「ストレッチサロン?」
「うん。バレエは...もうやめてる」
その言葉は、とても静かだった。
2. 裕子さんの物語
私たちは近くのカフェに入った。裕子さんは、ゆっくりと話し始めた。
「シュトゥットガルトバレエ団に入ってから、順調だったんだ。最初の二年間は、夢のような日々だった。舞台に立てることが、何よりの幸せだった」
「でも、三年目のある日...」
彼女は、右手を差し出した。
「アキレス腱を切ったんだ。リハーサル中に、突然、ふくらはぎの下の方がが『バチッ』って音がした。すぐに手術したけど、回復がうまくいかなくて、痙攣がひどくてね。医者には『もう舞台には立てないかもしれない』って言われた」
「裕子さん...」
「それでも、何度もリハビリをした。でも、戻れなかった。結局、退団することになったんだ。諦めるのは、本当に辛かった」
彼女の目は、少し曇っていた。それでも、彼女は続けた。
「でもね、日本に帰ってきて、いろいろ考えた。バレエができなくなった私に、何ができるんだろうって。それで、ストレッチの資格を取ったんだ。怪我の後遺症で苦しんでいる人たちを助けたいと思って」
「すごいですね...」
「すごくないよ。ただ、やるしかなかったんだ。バレエができなくなったからって、人生が終わるわけじゃない。次のステージを見つけるしかないんだよ」
裕子さんの言葉は、とても力強かった。
3. 志保さんの姿
数日後、今度は別の先輩・志保さんから連絡が来た。
彼女は英国ロイヤルバレエ学校に留学していたが、怪我で帰国したと聞いていた。
「舞、元気? よかったら、私のレッスンを見に来ない?」
彼女は、今はジャズファンクのインストラクターをしているという。
私は、彼女のスタジオを訪れた。
スタジオには、若い女性たちが集まっていた。音楽は、バレエとはまったく違う。リズミカルで、エネルギッシュで、そして自由だった。
志保さんは、楽しそうに踊っている。彼女の動きは、以前よりずっと自由だった。バレエの基礎がしっかりあるから、どんな動きも美しい。
「すごいですね、志保さん」
レッスンの後、私が言うと、彼女は笑った。
「ありがとう。バレエを諦めるのは、本当に辛かった。膝と腰を痛めて、医者から『バレエは続けられない』って言われた時は、世界が終わった気がした」
「でも、今は...」
「今は、これでいいんだって思えるようになった。バレエじゃなくても、踊ることはできる。体の使い方、表現すること、そういうバレエで学んだことは、どんなダンスにも生きてる」
志保さんの笑顔は、輝いていた。
4. 2人の共通点
裕子さんも、志保さんも、怪我によってバレエの道を絶たれた。
でも、二人とも違う道を見つけていた。
裕子さんは、ストレッチサロンで、怪我に苦しむ人たちを支えている。彼女の知識と経験は、まさにそのために活かされている。
志保さんは、ジャズファンクという新しい表現を見つけた。バレエで培った基礎と美意識を、新しい形で表現している。
二人とも、泣き言を言わなかった。
「諦めるのが辛いのは、わかってる。でも、それ以上に、前に進まなきゃいけないんだ」
裕子さんの言葉が、心に残った。
5. バレエと怪我
彼女たちの話を聞いて、私は考えた。
バレエダンサーにとって、怪我はつきものだ。アキレス腱断裂、膝の靭帯損傷、腰痛、足首の故障...どんなに注意しても、怪我はやってくる。
そして、怪我によって、その先を奪われる人は少なくない。
「でもね、舞」
志保さんが言った。
「怪我をした自分にできることを、しっかり考えることが大事なんだ。自分は何ができて、何ができないのか。それを冷静に見極めて、次のステージに進む。それが、バレエで学んだことの一つでもあると思う」
「志保さん...」
「泣いてもいい。悔しくてもいい。でも、それで終わらない。そこからどうするかが、その人の人生を決めるんだと思う」
その言葉が、深く心に刺さった。
6. 裕子さんのサロン
後日、私は裕子さんのストレッチサロンを訪れた。
彼女のサロンは、街の一角にある小さな場所だった。でも、中は明るく、温かい雰囲気が漂っている。
「舞、いらっしゃい」
裕子さんは、笑顔で迎えてくれた。
「ここで、どんなことをしているんですか?」
「怪我でバレエを諦めた人たちが、結構来るんだよ。少しでもバレエに近づけるように、体のケアをしている」
裕子さんは、手際よくストレッチの指導をしている。その手つきは、かつてバレエで培った繊細さが生きている。
「バレエができないからって、バレエを忘れなきゃいけないわけじゃない。むしろ、バレエで学んだことを活かせるんだ」
彼女の言葉に、私はうなずいた。
7. 志保さんの舞台
志保さんのジャズファンクの発表会を観に行った。
舞台は、バレエとは全く違う。照明はカラフルで、音楽はリズミカル。観客は若者たちで埋め尽くされている。
でも、その中で志保さんは輝いていた。
「バレエを辞めて、他のジャンルに転向する人たちはたくさんいるよ。でも、バレエで学んだことは、決して無駄にならない」
彼女のダンスには、確かにバレエの基礎があった。背筋の伸び方、腕の動き、足の位置。それらが全て、彼女のダンスをより美しくしている。
「すごい...」
私は、志保さんの踊りに釘付けになっていた。
8. それぞれの選択
バレエダンサーの中には、怪我で道を絶たれる人がいる。
でも、その先に何があるかは、本人次第だ。
裕子さんは、ストレッチサロンという形で、バレエの経験を活かした。
志保さんは、ジャズファンクという新しい表現を選んだ。
二人とも、自分のできることを考え、前に進んでいる。
「舞、私たちはバレエを辞めたわけじゃない。ただ、違う形でバレエを続けているだけだ」
裕子さんの言葉が、心に響いた。
9. 新たな仲間
その後、私は裕子さんのサロンで、何度かボランティアで手伝った。と言っても裕子さんは毎回きちんと謝礼をくれた。怪我で悩む人たちの話を聞き、ストレッチを教えた。
志保さんのスタジオにも、時々顔を出した。彼女のジャズファンクは、私にも新鮮だった。
「舞も、いつか踊ってみる?」
志保さんの誘いに、私は少し迷った。
「バレエじゃないダンスは、初めてで...」
「大丈夫。君にはバレエの基礎がある。それがあれば、どんなダンスでも踊れるよ」
私は、勇気を出して、彼女のクラスに参加した。
動きは、バレエとは全然違う。でも、体の使い方、音楽の感じ方、表現の仕方。バレエで学んだことは、確かに生きている。
「すごい、楽しそう!」
「うん、楽しい!」
私は、新しい自分を発見した気がした。
10. 次のステージ
帰り道、夜の街を歩きながら、私は考えた。
バレエダンサーとしての道は、一本だけじゃない。
怪我で諦めなければならない人もいる。でも、その先には、また別の道がある。
裕子さんも、志保さんも、そのことを教えてくれた。
「私は、私は...」
まだ答えは出ていない。でも、一つだけ確かなことがある。
「私は、踊り続ける。それが、どんな形であれ」
自分にできることを、しっかり考える。
そして、前に進む。
それが、バレエで学んだ、最も大切なことかもしれない。




