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白夜のアラベスク 〜ワガノワ、戦争、そして私たち〜  作者: はまゆう


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第15話「リハーサル」

東京 某バレエスタジオ 2022年6月中旬〜7月


---


1. 暑さと熱気


6月も半ばを過ぎると、梅雨の合間に真夏のような暑さが訪れる日があった。スタジオの窓を全開にしても、空気は重く、汗が止まらない。それでも、私たちの熱気はそれ以上だった。


「もう一度、最初から!」


ユリさんの声が飛ぶ。彼女の指示はいつも的確で、厳しい。でも、その瞳には熱い思いが宿っている。彼女自身、パリ・オペラ座で長年培ってきたものを、この舞台に注ぎ込もうとしているのだ。


群舞のリハーサルは、連日続いていた。20人近いダンサーが一列に並び、同じ動きを繰り返す。なかなか揃わない。タイミングがずれる。角度が違う。


「みんな、自分のことだけ考えないで! 周りを見て!」


イリーナが怒鳴る。彼女はボリショイ仕込みの厳しさで、群舞の統率を任されていた。


「一つになれ! 一人じゃない! みんなで一つの作品を作るんだ!」


その声が、スタジオに響く。


2. 健一さんの教え


休憩時間、健一さんが私のところに来た。


「疲れただろ?」


「はい、ちょっと...」


「無理するなよ。でも、ここが踏ん張りどころだ」


彼は、自分の若い頃の話をしてくれた。


「ドイツのバレエ団に入った時、僕は日本人というだけで、いろいろ言われた。『背が低い』『体格が違う』って。でも、負けなかった。自分にできることを、一つずつ積み重ねていった」


「すごいですね...」


「すごくない。ただ、やるしかなかったんだ。同じように、君たちもやるしかない。戦争で帰国せざるを得なかった。でも、それは終わりじゃない。ここからが始まりだ」


その言葉が、ずっしりと心に響いた。


3. ワガノワとパリの融合


ユリさんと私は、振り付けの最終調整をしていた。


「ここ、もう少し腕を柔らかくして。パリ・オペラ座では、腕は空気のように軽く」


「でも、ワガノワでは、もっと力を入れて」


「そこが難しいんだよね」


私たちは何度も試行錯誤を繰り返した。どちらかのスタイルに偏らず、二つの良さを引き出す。


「こうは?」


私が腕を動かすと、ユリさんが目を輝かせた。


「それだ! 最初はパリの柔らかさ、最後にワガノワの力強さ。それなら両方の良さが出せる!」


「本当ですか?」


「本当よ。これで決まりね」


その瞬間、新しいものが生まれた気がした。


4. イリーナの『白鳥の湖』


イリーナは、『白鳥の湖』のアダージョを一人で練習していた。


その動きを見て、私は息を呑んだ。彼女の踊りは、まるで水面を滑る白鳥のようだった。腕の動き、首の角度、指先まで、全てが美しい。


「イリーナさん、すごいですね」


「ありがとう。でも、まだ完成じゃない」


彼女はそう言って、バーについた。


「ボリショイでは、白鳥は力強く踊るのが伝統なの。でも、私はワガノワの繊細さも取り入れたい。そのバランスが、まだ難しい」


「それって、私たちと同じですね」


「そうね。みんな、同じようなことを考えてる。自分の故郷のメソッドと、他のメソッドをどう融合させるか」


イリーナは少し間を置いて、続けた。


「それが、この公演のテーマでもあるわ。異なるものが一つになる。戦争が引き裂いたものを、バレエが繋ぐ」


5. 留学生の集い


リハーサルの後、私たちはスタジオの近くのカフェに集まった。参加者は、すべて留学生だ。


「どこから帰ってきたの?」


「イギリス。ロイヤルバレエ学校」


「僕はイタリア」


「私はオーストラリア」


「私はワガノワ。でも、途中で帰ってきた」


「私もワガノワだよ! どのクラス?」


「クラスノワ先生のクラス」


「えっ! 私も! もしかして、2年生?」


「うん!」


「私も! 名前は?」


「桜井舞です」


「私は田中真由美! 一緒のクラスだったじゃん!」


私たちは、驚きと喜びで抱き合った。同じワガノワで、同じクラスノワ先生のクラスにいたのに、日本に帰ってきてまで会うとは思わなかった。


「真由美は、ワガノワに残らなかったの?」


「うん。日本政府の退避勧告が出て、仕方なく帰ってきた。でも、また行きたいと思ってる。戦争が終わったら」


「同じだね」


私たちは、それぞれの思いを語り合った。ワガノワでの日々、帰国後の葛藤、そして、これからのこと。


6. エマからのビデオ通話


その夜、エマからビデオ通話のリクエストが来た。


「舞! 元気?」


「エマ! 久しぶり!」


画面の向こうには、エマの元気な姿があった。ニューヨークのスタジオのようだ。


「こっちは、もう夏だよ! 暑い!」


「こっちも暑いよ!」


「公演のリハーサル、どう?」


「大変だけど、楽しい! いろんな国の人たちが集まってる!」


「すごいなあ。私も見に行きたいよ」


「動画、送るから!」


「約束だよ!」


エマは、相変わらず明るかった。でも、その目は少し寂しそうだった。


「ねえ、舞。みんなに会いたいよ。リンにも、ユナにも、シュエにも、クロエにも、アーニャにも」


「...うん。私も」


「でも、きっとまた会える。そう思って、頑張ってる」


「うん。私たちも、頑張る」


ビデオ通話を終えた後、私はしばらくその言葉を反芻していた。


(きっとまた会える。その日を信じて、今は踊る)


7. リンからの公演の知らせ


リンからもメッセージが届いた。


「ベトナムでの公演、来月に決まったよ。『白鳥の湖』全幕」


「全幕! すごい!」


「うん。でも、すごく大変で。もう毎日泣きそう」


「でも、頑張ってるんだよね?」


「うん。みんなに会える日を夢見て」


「私も、頑張る」


リンの努力が、画面越しに伝わってきた。


8. シュエの言葉


シュエからは、突然長いメッセージが届いた。


「中国で、戦争反対のバレエ公演が開かれた。私は参加しなかったけれど、その話を聞いた」


「それって、中国政府が認めてるの?」


「認めてない。でも、個人のダンサーが自主的にやったんだ。国が何を言っても、踊りたい気持ちは止められない」


その言葉が、深く心に刺さった。


「シュエは、踊ってる?」


「踊ってる。毎日。あなたも?」


「踊ってる。毎日」


「それでいい」


たったそれだけのやり取り。でも、それが何よりの支えだった。


9. アーニャからの連絡


久しぶりに、アーニャから連絡があった。


「キーウで、地下公演が始まった」


「地下公演?」


「そう。地下鉄の駅で、避難している人たちにバレエを踊るんだ。照明は携帯のライト。音楽はスマホのスピーカー。でも、みんなが拍手してくれる」


その言葉を読んで、私は涙が止まらなかった。


「アーニャ、すごいよ」


「すごくない。ただ、踊ってるだけ。それが、私たちにできる唯一のことだから」


「日本でも、公演をするんだ。帰国したダンサーたちと一緒に」


「いいね。その動画、送って」


「うん。絶対に送る」


「楽しみにしてる」


アーニャは、相変わらず強かった。どんな状況でも、彼女は彼女のやり方で踊り続けている。


10. リハーサル最終日


8月の初め、リハーサルは最終段階に入っていた。


「通し稽古をする。最初から最後まで、休まずに」


ランの声がスタジオに響く。


音楽が流れ始めた。私たちは、一歩一歩を確かめるように、動き出した。


群舞のシーン。20人のダンサーが一つになる。


ソロのシーン。それぞれの個性が光る。


パ・ド・ドゥ。健一さんとユリさんの息の合った踊り。


そして、ラスト。


全員が一列に並び、最後のポーズを決める。


「...終わり!」


ランの声が、スタジオに響いた。


拍手が起こった。私たちは、抱き合って喜んだ。


「すごい、やった!」


「疲れた...でも、楽しい!」


「本番、楽しみ!」


私たちの顔には、疲れと喜びが混ざっていた。


「みんな、よく頑張った」


ランが言った。


「あとは、本番に向けて体調を整えるだけだ。休めるときは休め。でも、踊るときは全力で」


私たちはうなずいた。


本番は、もうすぐそこまで来ている。



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