第14話「誘い」
東京 某バレエスタジオ 2022年6月初旬
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1. 梅雨の気配
6月に入り、東京は梅雨の気配を帯び始めていた。
雨の日が増え、スタジオの窓から見える空はどんよりと曇っている。それでも、スタジオの中は変わらず熱気に満ちていた。連日、帰国したダンサーたちが集まり、それぞれの思いを胸にレッスンに励んでいる。
「舞、ちょっといい?」
ある日、ランが声をかけてきた。彼女の隣には、見覚えのある顔が立っている。ユリさんだ。パリ・オペラ座から帰国した、あの世界的なバレリーナ。
「はい、何ですか?」
「公演の話なんだけどね。せっかくやるなら、ちゃんとしたものにしたいと思って」
ランが言った。
「世界の著名なバレエ団に所属するダンサーたちも、日本に帰ってきている。留学生も同じだ。せっかくだから、みんなで一緒に舞台を作り上げない?」
私の心臓が、ドキッとした。
「みんなで...ですか?」
「そう。私が声をかけてみたんだけど、結構乗り気な人が多いんだ。イリーナも、ユリさんも、健一さんも。他にも、イギリスやドイツから帰ってきたダンサーも何人か来てくれるって」
ユリさんが微笑んだ。
「ワガノワとパリ・オペラ座とボリショイが一緒に舞台を作る。面白いと思わない?」
「面白い...どころじゃないです」
私は正直な感想を口にした。
「世界中のトップダンサーたちが一堂に会するなんて。私なんかが、その中で踊っていいんですか?」
「もちろん」
ランがきっぱりと言った。
「あなたはワガノワで学んできた。それだけで、十分な資格がある。それに、あなたがいることで、この公演の意味がもっと深くなる」
「意味?」
「そう。戦争で帰国を余儀なくされた留学生たちの代表として。そして、未来のバレエを担う若者として」
2. オーディション
公演は、8月に東京の小さな劇場で行われることになった。
タイトルは「帰国者たちのバレエガラ」――帰国したダンサーたちが一堂に会し、それぞれの思いを踊りで表現する。
「群舞もあるよ。それに、ソロやパ・ド・ドゥも」
ランが説明する。
「でも、この公演は『プロだけ』の舞台じゃない。留学生たちも、アマチュアも、みんなが一緒に踊るのがコンセプトなんだ」
「具体的に、どういうことですか?」
「海外のバレエ団に所属していた人も、留学していた人も、国内で活動していた人も、みんなが同じ舞台に立つ。『バレエを愛する気持ち』だけが、そこに必要な条件」
数日後、私はリハーサルのためにスタジオに呼ばれた。
そこには、集まった20人ほどのダンサーたちがいた。イリーナ、ユリさん、健一さん。そして、見覚えのある顔が何人か。
「あれ? あなた、イギリスで留学してたんじゃ?」
「そう。戻ってきたよ。あなたは?」
「ワガノワ。でも、途中で帰ってきた」
「僕もだよ。ドイツから帰ってきた」
「私はイタリア」
「私はオーストラリア」
言葉を交わすたびに、新しい出会いがあった。みんな、それぞれの場所から帰ってきた。そして、今ここに集まっている。
3. コロナ禍の現実
リハーサルが始まっても、コロナ禍の制限はまだ厳しかった。
スタジオは定員制で、人数を制限しながらの練習。マスク着用は必須で、休憩時間には窓を開けて換気をする。
「スタジオを取るのも一苦労なんだよ」
健一さんが言った。
「ここは大丈夫だけど、他のスタジオは予約が取れなかったり、人数制限が厳しかったり。それでも、なんとかやろうってみんなが動いてる」
「すごいですね...」
「すごいのは、みんなの熱意だよ。こんな状況でも、踊りたいっていう気持ちがあるから、集まれる」
私はその言葉に、胸が熱くなった。
ワガノワで学んだのは、バレエの技術だけじゃない。どんな状況でも、踊ることを諦めない心。
4. 振り付けの話
リハーサルの後、ユリさんが私に言った。
「舞さん、群舞の振り付け、手伝ってくれない?」
「えっ、私が?」
「あなたはワガノワで学んだ。パリ・オペラ座とは違うメソッドを持っている。それが、この公演の色になると思うんだ」
「でも、振り付けなんて、やったことなくて...」
「誰でも最初は初心者よ。やってみなきゃわからないでしょ?」
ユリさんの笑顔に、私は押し出されるようにうなずいていた。
5. ワガノワとパリの融合
振り付けの作業は、思っていたより難しかった。
ワガノワ・メソッドは、体の中心を重視し、大きな動きが特徴だ。一方、パリ・オペラ座のスタイルは、優雅で繊細な動きが特徴。
「両方を取り入れるのは、難しいね」
ユリさんが言った。
「でも、それがこの公演の面白さでもある。世界のバレエが一つになる瞬間を見たいと思わない?」
「はい。私も、やってみたいです」
私たちは、何度も何度も試行錯誤を繰り返した。
ワガノワの大きなアラベスクと、パリの優雅なポール・ド・ブラ。それらを融合させることで、新しい表現が生まれる。
「これだ!」
ユリさんが叫んだ。
「これなら、ワガノワもパリも、両方の良さが出てる!」
私も、嬉しくなった。
ここにしかない、一つの振り付けが生まれた瞬間だった。
6. イリーナの提案
次のリハーサルで、イリーナが言った。
「一つ、提案がある」
「何?」
「『白鳥の湖』のアダージョを踊らないか? ボリショイのスタイルと、ワガノワのスタイル、両方を取り入れたやつを」
「それって...」
「まさに、今の私たちにぴったりだと思わない?」
イリーナの目が、きらきらしていた。
「私はボリショイで長年踊ってきた。でも、ワガノワのメソッドもリスペクトしている。その両方を、一つの舞台で見せたい」
「素晴らしいアイデアだ」
ランが拍手した。
「みんな、それぞれの国で学んできた。その全てを、この舞台で表現しよう」
7. リンからのメッセージ
その夜、リンからメッセージが届いた。
「ベトナムでも、公演の話が出てるよ。私も出ることになった」
「すごい! 頑張ってね」
「ありがとう。舞も、日本の公演、頑張って。動画、楽しみにしてる」
「うん。必ず送る」
私たちは、それぞれの場所で戦っている。でも、同じ舞台に立つ日が来ると信じている。
8. アーニャへの想い
アーニャからは、まだ連絡がない。
でも、私は彼女のことを思いながら練習を続けていた。
もし彼女がここにいたら、きっと笑っているだろう。無邪気な笑顔で、私たちを元気づけているだろう。
「アーニャ、私たちは踊り続けるよ。あなたの分まで」
心の中で、そう呟いた。
9. 新しい仲間
リハーサルを重ねるごとに、新しい仲間が増えていった。
「私、アメリカのバレエ学校に通ってたんです」
「僕は、イギリスのロイヤルバレエ学校に」
「私は、カナダのバレエ団に」
それぞれの物語があった。それぞれの苦しみがあった。でも、共通しているのは、「踊りたい」という気持ちだけ。
「私たち、すごいよね」
「何が?」
「こんなにたくさんの国から帰ってきた人たちが、一つの舞台を作ろうとしてる。それって、すごいことだと思う」
その言葉に、みんながうなずいた。
10. 決意の朝
梅雨の晴れ間の朝。
私はスタジオに向かって歩いていた。空には、久しぶりに青空が広がっている。
(今日も、練習する)
(ワガノワで学んだこと。帰国してから出会った人たち。アーニャからのメッセージ。全てを胸に)
(私は、踊る)
(それが、私の戦い方だから)
スタジオのドアを開けると、中から音楽が聞こえてきた。
今日も、新しい一歩が始まる。




