第13話「キーウからの知らせ」
東京 某バレエスタジオ 2022年5月下旬
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1. スマホの通知
その日は、いつも通りスタジオでのレッスンが終わった後だった。
更衣室でスマホを開くと、ニュースアプリの通知が目に飛び込んできた。
「キエフ・バレエ団プリンシパル、戦闘地域で死亡」
私はその見出しを、何度も読み返した。
間違っているはずだ。誰かの間違いだ。そんなことが、あっていいはずがない。
でも、記事を開くと、そこには確かに彼の名前と写真があった。キエフ・バレエ団で長年ジュリエットを踊り続けた、あのプリンシパルダンサーの笑顔。
彼は、ウクライナ軍に徴兵された後、前線で戦っていたという。そして、帰らぬ人となった。
「舞? どうしたの?」
更衣室に入ってきたリンさんが、私の顔色に気づいた。
「何かあった?」
「...キエフ・バレエ団のダンサーが、戦争で亡くなったって」
私の声が、震えた。
リンさんの顔から、一瞬で血の気が引いた。
2. その衝撃
その夜、私はベッドの上でスマホを見つめていた。
SNSには、彼の追悼の言葉が溢れている。世界中のバレエファンが、彼の死を悼んでいる。
でも、私の頭の中は、それだけではなかった。
(アーニャは、このニュースを知っているだろうか)
(彼女は、このダンサーを知っているかもしれない。同じウクライナのバレエ団で、一緒に踊ったことがあるかもしれない)
スマホを開いて、アーニャとのメッセージ画面を表示する。
前回のメッセージから、もう何週間も経っている。
「アーニャ、元気?」
打って、消す。打って、消す。
何て送ればいいのか、わからなかった。
「大丈夫?」と聞くこと自体が、残酷な気がした。彼女が大丈夫なわけがないのに。
3. スタジオの話題
次の日のレッスン、スタジオの空気は重かった。
誰かが、そのニュースを知っていた。誰かが、口を開いた。
「キエフのプリンシパル、知ってる? あの、美しいジュリエットを踊ってた人」
「知ってる。私、彼の舞台を観たことがある」
「まさか、こんなことになるなんて...」
私たちは、言葉を失っていた。
イリーナは、スタジオの隅で黙ってストレッチをしていた。彼女の顔は、青ざめている。
彼女はロシア人だ。でも、彼女はこの戦争を望んでいない。
「イリーナさん...」
声をかけようとしたけど、やめた。何て言えばいいのか、わからなかったから。
4. ランの言葉
レッスンの後、ランが私のところに来た。
「舞、少し話せる?」
「はい」
私たちはスタジオの隅に座った。ランは、静かな口調で言った。
「辛いニュースだったね」
「はい...」
「私も、キエフ・バレエ団の公演を観たことがある。あのプリンシパルの踊りは、本当に美しかった」
ランの目が、少し潤んでいる。
「でもね、舞。彼はバレエダンサーである前に、一人の人間だった。そして、自分の国を守るために戦うことを選んだ。それを、私たちは尊重しなければならない」
「でも...」
「悲しい。それは当然だよ。でも、彼の死を無駄にしてはいけない。私たちは、踊り続ける。それが、彼への弔いになるかもしれない」
ランの言葉が、ゆっくりと私の心に染みた。
5. イリーナの告白
数日後、イリーナが私に話しかけてきた。
「舞、少し時間ある?」
「はい」
私たちはスタジオの近くのカフェに行った。イリーナはコーヒーを一口飲んでから、話し始めた。
「キエフのニュース、見たわ」
「...はい」
「私はロシア人だから、何て言えばいいのかわからない。でも、言わせてほしい。私は、この戦争を支持していない」
イリーナの声が、震えた。
「ロシアにいる友達は、『特別軍事作戦』を支持している人もいる。でも、私は違う。人の命が奪われる戦争に、賛成できない」
「イリーナさん...」
「日本に逃げてきて、良かったと思っている。でも、同時に罪悪感もある。なぜ私は逃げてきて、彼は戦って死ななければならなかったのかって」
彼女の目から、涙がこぼれた。
私は、何も言えなかった。ただ、彼女の隣に座って、その涙を受け止めることしかできなかった。
6. アーニャからの連絡
その夜、ついにアーニャからメッセージが届いた。
「ニュース、見た」
たった一言。
でも、その言葉の重みを、私は痛いほど理解した。
「アーニャ、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。でも、生きてる」
「それだけで十分だよ」
「ありがとう。でも、私たちは踊り続ける。彼の分まで」
そのメッセージを読んで、私は泣いた。
アーニャは、ウクライナにいる。爆撃の危険がある場所にいる。それでも、彼女は踊り続けると言う。
私たちが、ここで止まっているわけにはいかない。
7. 決意
翌朝、私はランのところに行った。
「ランさん、私、公演に出ます」
「...決心したんだね」
「はい。アーニャが『踊り続ける』と言ったから。私も、踊り続けます。彼女の分まで、そして、亡くなったダンサーの分まで」
ランは、優しく微笑んだ。
「それが、私たちの戦い方だね」
「はい」
私はスタジオの中央に立った。
鏡に映る自分の姿を見る。
ワガノワで学んだこと。帰国してから出会った人たち。アーニャからのメッセージ。
全てが、私の中でつながった。
「さあ、練習しよう」
ランの声に、私はバーについた。
かかとを前に。
骨盤から。
音楽に乗って。
今日も、踊る。
それが、私たちの生きる証だから。




