42. 「これからは心霊ロケには行けへんなぁ……」
すでに一階の部屋はほぼすべて回っており、探索しなければならない場所は残りは二階のみとなっていた。
昔ながらの狭くて急な階段を上がると、そこには八畳ほどの物置のような小さな空間が広がる。
天井は低く、屋根の傾斜に合わせて斜めになっており、とてもこじんまりとした部屋だ。
申し訳程度に箪笥などの家具が置かれていたが、本来は生活するための空間ではなかったのだろう。
本来なら換気は悪くないはずだろうに、その部屋全体に立ち込める空気はあまりにも重く、圧迫感すら感じさせた。
「なんでこんなところに日本人形飾るん!? 怖すぎやろ!!」
二階に上がってすぐ、箪笥の上に飾られた日本人形を見つけ、三戸部がたまらずといった様子で絶叫を上げた。
が、しかしおそらく三戸部は見た目ほど恐怖を抱いているわけではない。
先ほどの勝手口の扉が勝手に閉まったことも、三戸部はどこか仕込みか偶然だと思っている節がある。
あれだけ確かめ、ありえないという結論が出たにもかかわらず、まだ半信半疑であるらしい。
「み、三戸部さん……! しず、静かに……!!」
「なんや吉原! またなんか聞こえたんか!?」
それに対し、吉原の態度はあきらかに異様だった。
テレビでよく目にする彼はこんなところで怯え、止めたりするような芸人ではない。
むしろ自ら率先して怪しい場所へと進んでいき、盛大に怖がり騒いでみせる。そんなタイプだ。
そもそも大先輩である三戸部がリアクションで盛り上げている最中、それを制止するなど後輩として、してはならない振る舞いだと彼自身もわかっていないはずがない。
「やっぱやばいでこの部屋!」
三戸部がそう叫んだ瞬間、吉原の顔が完全に凍りついた。
だぁん!!
「きゃあ!!」
「い、今! そっちから何かっ!」
三戸部へと注目が集まる中、誰もいないはずの友近の奥から勢いよく何かが飛び、乾いた衝撃音が部屋に響き渡った。
全員がそちらへと視線を向け、凜子も怯えながら、それでも音がした方を覗き込むように身を乗り出す。
しかしその動きを止めるように、吉原が腕を前に差し出した。
「は……?」
思わず動きを止める。
しかしどうしたのかと問う前に、吉原の顔がぽかんとした間抜けなものへ変わった。
「ど、どうしたんですか、吉原さん」
「え、あ、いや……ええ……?」
声をかけられたことにも気づかないように、呆然と部屋の隅を見つめている。
思いもよらない光景を目の当たりにし、思考が停止してしまったかのような顔だった。
「……あの、吉原さん」
「……すいません、僕の位置が悪かったですね。塞いじゃってて」
我に返った吉原が、まるで考えもせず前に出てしまっただけだと言わんばかりの態度で、横へ避けた。
不自然な動き、というわけではなかった。
急な音に驚き、安全を確認せずに進む凜子を咄嗟に止めたのだと思えばおかしくはない。
しかし。
「……今、何を見たんですか」
思わず口をついて出たその言葉に、吉原は曖昧に「手毬がぶつかったとこしか、見えなかったですね」とそう言葉を濁した。
「ここから一直線に壁に当たったんですよ? 誰かが投げないとありえないです」
「でも友近さんの奥、誰もいませんでしたよね……」
「こっち側、カメラ撮ってました?」
「多分、友近さんのとこで切れてます。手毬が置いてあった箪笥までは画角に入ってないですね……」
その間、スタッフと友近、三戸部がそろって手毬のが元々あった場所を調べていたが、当然ながら原因が特定できるはずもなく。
わかったのは、やはりどう考えてもありえないという、その結論だけだった。
「……撮影、続けますか?」
勝手口の扉に続いて、二度目。
仮にも現役で撮影に使われている場所で、まさかここまで物理的な異常が起こるとは思ってもなかったのだろう。
スタッフたちは仕込みなどないことを知っている。
だからこそ、今、スタッフの間に広がる緊張感と恐怖は最初とは比べ物にならない。
しかしだ。
「ここで撮影やめても尺が足りんやろ。時間もあるんやし、予定通りやらんと」
「……そうですね」
三戸部の言葉は至極もっともだった。
どう映っているかは撮影した映像を見返してみなければ分からないが、それでもただのラップ音ひとつで特番を組むこともある心霊ロケにおいて、十分すぎる撮れ高だ。
しかし今回は一時間を超える特番用のVTRである。
ここまでの撮影分では三戸部の言う通り尺が到底足りない。
しかし、それよりも。
これから先、何が起きるかわからないという危機感すら凌駕する、これ以上の凄まじい映像が撮れるかもしれないという期待が、撮影続行を選択させた。
「やりましょう。予定通り一階の広間に降りて、どこを誰が検証するか決めるトークを撮ります」
ディレクターのその一言で撮影の続行が決まった。
どこか重苦しい空気のまま、一行は一階へと向かう。
そんな中、階段を先に降りていく吉原の背中に、後ろから三戸部が気さくに声をかけた。
「吉原、お前大丈夫かほんまに」
「だい、大丈夫です……僕は、たぶん……ただ三戸部さん。三戸部さんは気をつけたほうが……」
「気をつけろってどういうこっちゃ!!」
そう言って三戸部がからからと笑い飛ばした、次の瞬間だった。
「ぅわっ!」
「きゃあ!!」
突如、凜子と友近の服が後ろから強烈な力で引っ張られた。
思わぬ衝撃に二人は驚き、つんのめって足を止める。
先に降りていた吉原が驚いたように振り返った。
「うおおぉぉっ!?」
「いだっ!!」
三戸部の体が宙を舞った。
足を踏み外したわけではない。後ろから見ていた凜子には、頭を力任せに押されたように上半身からバランスを崩し、突っ込むように階段から転落していくのがはっきりと見えた。
「三戸部さん! 吉原さん!」
「大丈夫ですか!!」
大慌てで駆け寄るスタッフに続き、凜子と友近も階段を駆け下りる。
先ほど動けないほど背中に引っかかったはずの『何か』は、嘘のように消えていた。
凄まじい音を立てて転落した三戸部だったが、吉原がとっさに受け止めてクッションになったことと、転げ落ちた段数がわずかだったこともあり、足を少し捻った程度で済んだらしい。
だが、安堵の空気は一瞬で吹き飛んだ。
「な、な、なんやこれ!!」
立ち上がろうとした三戸部の首元を見た瞬間、その場の全員の顔から血の気が引いた。
三戸部の首元には明らかに人の指で力強く掴んだであろう、生々しい真っ赤な指の痕がくっきりと残っていたからだ。
当然、撮影は中断された。
スタッフたちが大慌てで機材を撤収する中、凜子たちは逃げるようにロケバスへと戻る。
完全に顔を蒼白にした三戸部が応急処置を受けていたが、車内の誰もがひねった足のことなど気に留めてない――いや、気にする余裕などありはしなかった。
「……もう、撮影再開は無理ですよね」
「当たり前です。怪我までしてるんですから……」
「……これ、番組で流すんですか?」
友近の言葉に、ロケバスに同乗したスタッフたちも口を閉ざした。
テレビであれば、どれほど軽傷であろうとロケ中の事故映像であり、起きた現象も現象だ。異常すぎるためお蔵入りは免れない。
だが今回はネット配信の特番だ。
コンプライアンスの基準はテレビより緩い。大幅に編集する必要はあるだろうが、やり方次第では流せないこともないだろう。
しかし問題はそんなことではない。
「心霊映像としては間違いなく伝説級の撮れ高です……でも、三戸部さんが怪我までされて、いくらネット番組と言えどこれを流せるかは……」
「流すべきや」
そうはっきりと言い切ったのは当の三戸部だった。
顔は未だに青褪めたままだ。しかしその目は力強いほどのしっかりとした意思があった。
「さすがに坂寄さんと、あと上の人らにも相談せんとあかんやろうけど……俺は流すべきやと思う。
見たやろ。仕込みも何にもない。こんなん、絶対に生きてる人間には出来へん。
正直、これまで幽霊や心霊現象なんて、所詮勘違いかやらせやって何十年も信じとった。
でもな、今、絶対ありえへんと思っとったことが俺の身に、実際に起きたんや。お蔵入りにするわけにはいかん」
三戸部とてわかっている。
一番恐ろしい目に遭ったのは自分であり、しかもそれが幽霊という常識の通じないものが原因であるならば、まだ無事に終わったとも言い切れない状態だ。
だが今日この場所で、己の数十年培ってきた『常識』が完全に打ち砕かれた。
目の前には誰もいなかった。自分の首に触れるものなど何もなかった。
あの数秒の間に……いや、落下したあの瞬間に、形のない誰かが間違いなく自分の首を掴み、引きずり落としたのだ。
そう言った後、三戸部はスタッフたちに首元の指の痕をあらためて記録するよう頼んでいた。
「……三戸部さん、怖くないんですか?」
思わず聞いた凜子に三戸部は大げさに破顔してみせた。
「怖いに決まっとるやん! 絶対このあと速攻でお祓い行くわ!
でもな、これまでの価値観がぶち壊されるような信じられん目に遭って、それが全部映像に残っとるんや。これを世に出さんでいいなんて思うんやったら、テレビの仕事なんてしてへん!!」
「……すごいですね、三戸部さん」
先輩の壮絶なプロ根性に、感嘆としたように吉原が呟く。
しかし三戸部は笑いつつも、未だ引きつった顔でぽつりと付け加えた。
「ただまぁ……もうこれからは心霊ロケには行けへんなぁ……」




