56.転生する魂〜その1
前世〝死神〟と呼ばれた男の魂は、気付くと緑色の世界にいた。
無性に腹が減っている。この感覚は久しぶりだなと懐かしい気持ちにもなるが、はて何を食べれば良いのか───とりあえず目の前の緑色を食べることにした。うん、美味しい。
ムシャムシャ夢中に食べていると、巨大な何かが近づいてくる気配。
「うわっ、毛虫!」
うるさい邪魔するな、そう思いながら毛を逆立てれば、巨大な何かはそのまま去っていった。
もりもりと葉っぱを食べ、キツくなった皮を何度か脱ぎ、自分で作った繭の中に閉じこもる。
寝るのももうおしまいにしようか、意を決して外に出れば、なんだか飛べるような気がして。
光に誘われるまま、空を舞う。
あそこに行けば、何か大切なものが見つけられそうで。
「あ、ちょうちょ!」
「ばーか、あれは蛾だ。ここ前が公園だから結構虫が多いのかもな」
なんだか聞いたことある会話だな、なんて思っていたら、ネバネバの何かに引っ掛かった。
「あぁっ!?」
そのネバネバで身体をグルグル巻きにされ、苦しくてジタバタと暴れていると。
「今ならまだ助けてあげられるんじゃないですか!?」
「⋯⋯なんで助ける?」
「だって可哀想じゃないですか!」
「じゃあ逆に生きるためのメシがようやく食えると喜んでる蜘蛛からメシを奪うのは可哀想じゃねえのかよ」
嫌だイヤだ怖い。
目の前の近づいてくる何かに本能的に怯える。
だけど何故だかお前になら喰われてもいいか、なんて思ったりして。
そこでその蛾の意識は途切れた。
蛾の魂は真っ白な空間を漂っていた───自分で作った繭の中のように心地良い。
「え、もう君戻ってきたの? 早くない? まぁでも土の中で7年ゆっくりできてよかったでしょ? え、全然だった? あれっ、セミに転生させてあげたつもりが蛾だったね〜ごめんごめん間違えちゃった。じゃあ次こそいいのに転生させてあげるね! ちゃんと〝創造神の加護〟も付けとくから!!」
急に変な声がしたと思ったら、グニャグニャと頭の中を捏ねられるような感覚に襲われ。それに抵抗する暇もなく、蛾の魂は次の転生に向け作り変えられていく。
その〝創造神の加護〟って⋯⋯ホント役立つの? そんなことは訊かなかった。
それよりなにより。
彼女のもとに帰りたい。
蛾の願いは、ただそれだけだった。
前世〝蛾〟だった魂は、気付くと真っ暗で狭い空間に閉じ込められていた。腹が空いていて仕方がないのに、鳴いても腹は満たされない。
カリカリと壁や床を引っかいてはみるが状況は変らず。
そのうち空腹と寒さでぐったりとして動けなくなって。意識が朦朧とし、その命の灯火が消えそうになったとき。
急に世界が明るくなった。
「もう大丈夫だよ⋯⋯久しぶりだね───おかえりなさい死神さん」
あたたかくて優しくて、どこか懐かしい腕に、ぎゅっと抱きしめられた。
〝サク〟と名付けられた真っ黒な毛並みの仔犬は、生後間もなくダンボール箱に入れられ、マンションのゴミ捨て場に遺棄されていたところを住人の女子中学生に保護され、そのまま飼われることになった。
月日は流れ。とある休日の朝、マンションの一室。
ダイニングテーブルに親子2人の女性が向かい合って、まったり遅めの朝食を摂っている。
「さゆ〜、アンタいいかげん結婚適齢期なのに、休みの日デートする彼氏もいないの?」
「うるさいなぁ⋯⋯私にはサクがいるからいいの」
「あのねぇ、母さんが今のアンタの歳にはもうアンタ産んでたからね?」
「はいはい、耳タコ耳タコ。母さんが私を産んで早々に夫は不倫相手と蒸発したんでしょ、そんなの聞いたら結婚に夢見れないよ。その点、サクは私を裏切らないし」
「ちゃんと捜し出して慰謝料と養育費がっつり取ったし。お金のあるバカで助かった」
「だから聞きたくないって」
「サクじゃお金は稼いできてくれないよ、エサ代だってバカにならないんだから」
「サクはここにいてくれるだけでいいの! 私の癒やし!! サクにかかるお金は全部私払ってるんだから、母さんにとやかく言われる筋合いはないってば」
飼い主たちの口から自分の名前が出るたびに、リビングのソファーで丸まって寝ているサクの耳がピクピク動く。
あの日彼女の手のひらに乗るほどの小さく弱々しかった仔犬は、動物病院の先生曰く、ハスキーかシェパードの血が混ざった雑種犬との見立て通りすくすくと大きくなり、十数年たった今は立派な成犬⋯⋯を通り越し、すっかり老犬になった。
「でもアンタの大学の同級生のほらあの子⋯⋯誰だっけ? 結婚式の招待状来てたし、せっかくだから良い男見つけてきなさいよ?」
「友達の結婚式は婚活会場ではありませーん」
「そんなこと言ってもさ〜その子の相手、超エリートなんでしょ? その同僚とかさ」
「よしっ、サク! 散歩行こっか!!」
「あ、ちょっと小百合!?」
朝食を食べ終えた彼女は勢いよく椅子から立つと、母親の声を背に玄関へと向かった。
サクは嬉しくて尻尾をブンブン振りながらついていく。
1人と1頭が向かったのはマンション近くにある大きな公園のドッグラン。
彼女は持っていたフリスビーを手加減して投げる。サクはそれをよたよたしながら追いかけ───落ちたフリスビーをモタつきながら咥えると、ようやく彼女のもとに戻った。
「ごめーん! 今のもちょっと遠かったかぁ」
彼女はサクの頭をなでなでしながらフリスビーを受け取ると、再びゆっくりと走り出したサクの前に落ちるようさらにふんわり投げてくれたが、サクは頭でそれを弾いてしまった。
あらぬ方向に転がったフリスビーは結局彼女が回収し、1人と1頭ベンチに座り、他の犬たちが楽しそうに走り回っているのを眺める。
フリスビーはサクがまだ仔犬だった頃から好きな遊びだが、年老いた身体はなかなか思うように動いてくれない。
最近はフリスビーで遊んでいるのか、フリスビーに遊ばれているのかといったかんじだが、何をしていても彼女と一緒なら楽しいのだ。
まだ息の荒いサクの背中を撫でながら、彼女はひとりごちる。
「サクもおじいちゃんになったもんねぇ⋯⋯人間だと100歳くらいかな」
おじいちゃんがフリスビーって⋯⋯考えればすごいことだよねと、彼女はクスクスと笑う。
ツヤツヤで真っ黒だった毛並みはいつのまにか白毛が混じり、ハリ艶がすっかりなくなってしまったが、彼女が毎日丁寧にブラシで整え、2週間に1回ビショビショになりながらもお風呂に入れてくれる。
彼女が気持ちいいねとキュっと抱きついてきたので、サクはお礼にとペロリ彼女の頬を舐めた。くすぐったそうに目を細めた彼女は、更に腕に力を込めて。
「んふふ⋯⋯ありがとサク、大好き───大好きだよ、死神さん」
彼女がサクの名前ではない〝死神さん〟と呼ぶ。それは決まって周りの誰も聞いていないときだけ。
自分の名前じゃないとわかっているが、何故だろう、不思議だが嫌な気分にはならない。
彼女に抱きしめられながら、サクは公園のベンチの上、ゆったりとした時間を満喫した。
それから更に1年後、寝たきりになったサクの背中を撫でながら、彼女はテレビを見ていた。
テレビは何か重大で深刻なニュースを伝えているようだ、それに対して彼女が何か言っているが、年老いて目も耳も悪くなったサクにはそれもわからない。
それでもサクの耳に、彼女がそっとくちづけしたのだけはわかった。
お礼に彼女の頬をペロリと舐めたいのに、不自由な身体ではもう顔を上げることさえできない。
サクはもう自分の命が残り少ないことを悟っていた。
その翌日の明け方。
サクの魂は静かに身体から離れた。
彼女はサクの身体を抱きながら空中を漂う小さな光の玉を見つめ、ホロホロと涙を流している。
「ありがと、ありがと⋯⋯大好きだよ、サク。また会おうね。ずっとずっと待ってるから───何回生まれ変わっても、どんな姿になっても、ずっとあなたを愛してる」
久しぶりにしっかりと聞けた彼女の声。
彼女がそう言ってくれるのが嬉しくて。
魂だけになったサクは、彼女の頬をペロリと舐め───ようとしたが、舐める舌がなかった、ちょんとしか触れられなかったが、彼女にはサクの気持ちが伝わっただろう。
彼女を残して逝くのは心残りだが、彼女と過ごした日々は幸せだった。
サクの魂は吸い寄せられるように、天に昇っていった。
サクの魂は真っ黒な空間を漂っていた───何もない、ただの無。光も音も、そこには存在しない。
「あれ、キミか⋯⋯久しぶりだね。今世は幸せな人生───いや、犬生だったかい? ⋯⋯そっか〜それは良かった」
急に変な声がしたが、姿の見えないその声の主は元気がないようだ。
「そりゃ元気もなくなるよねぇ⋯⋯何度シミュレーションしてもボクが創った世界は滅ぶんだ。科学を発展させると絶対、人間は滅びに突き進む。何度も何度も修正パッチ投入するのに───幸せになるための発展なはずなのに、なんでだと思う? はあぁぁあ、キミが掃除人してる頃が懐かしいよ」
ひどく落ち込んでいるようだが、慰めようにも自分は丸裸の魂で、相手がどこにいるかわからないでは、どうすることもできない。
「ありがと、気持ちだけで充分だよ。でもホントどうしようかな〜。ボクには〝近未来SF〟向いてないのかな⋯⋯ここは趣向を変えて〝勉強に部活に恋の青春群像劇〟とかにしてみるべき?」
変な声は1人うんうんと唸っていたが、しばらくして何か思いついたようだ。パチンと指を弾いたような音がした。
グニャグニャと頭の中を捏ねられるような感覚に抵抗する暇もなく、サクの魂は次の転生に向け作り変えられていく。
「やっぱり次は〝剣と魔法の冒険ファンタジー〟にするよ! もちろんキミにもそっち行ってもらうからね───ボク、結構キミの魂お気に入りなんだ〜⋯⋯え、気持ち悪い? そんなこと言わないでさっ、ちゃんと〝創造神の加護〟付けとくから!!」
その〝創造神の加護〟って⋯⋯ホント役立つの? そんなことは訊かなかった。
それよりなにより。
彼女のもとに帰りたい。
サクの願いは、ただそれだけだった。
お読みいただきありがとうございました。
実際に土の中で7年も過ごすセミは日本にはいないそうで、クマゼミでも4〜5年くらいのようです。
ま、ファンタジーなので、そのへんはあしからず⋯⋯
明日の投稿もよろしくお願いします。




