53.海に還る②
「魂は上がってきた?」
波の音が終わりなく続く砂浜。突然聞こえたテノールの声に、死神は何も答えない。
どれだけ泣き続けたか。
もう涙も枯れ、死神は彼女の頬を撫で、徐々に冷めゆく彼女の身体を腕に抱いていた。
いつの間にか死神の隣に来ていた天使が、あらまぁと呆れたように口を開く。
「ヒドい顔してるわねぇ⋯⋯せっかくの男前が台無しよ?」
天使も人の死なんて見慣れている。
毎日毎日、老若男女、1人のときもあれば大勢のときも、家族に看取られる幸福な死も、寂しく孤独に迎えた死も、寝ているかのようなキレイな遺体も、目を背けたくなるような死体もいろいろだ。
いちいち悲しいなんて思っていたら、こんな仕事やってられない。
死んだ肉体は、天使から見たらただの肉塊にすぎない。
重要なのは魂だから。
もともと魂のない彼女に、命としての価値があったのかと疑問に思っていると。
「⋯⋯俺が納得するような説明あるんだよなぁ?」
しかし死神はそうではないらしい。もう動くことのない彼女の亡骸を腕に、仇かのように天使を睨む。
全く怖くも恐れもないが、天使はため息をついた。
「アタシはあの方の指示に従っただけよ───アナタにもその子にも可哀想なことしたと思ってる。だけどアタシもそろそろ輪廻に戻らないと、好きな人の魂の元へたどり着けなくなっちゃうの。ごめんなさいね」
天使も死神も、あの方の下知に逆らうことはできない。そこに自分の意思は関係ない。
自分が外れてしまった輪廻に戻るため、あの方の眷属としてあの方が満足するまで身を粉にして働くまで───まぁ天使に生身の身体はないのだが。
死神も確か輪廻に戻るために掃除人として働いていたが、今となっては輪廻に戻りたいのかもわからない。
両親を殺したあの時は、それしか道はないと思っていたから。
「好きな人、か⋯⋯⋯⋯あんたの恋人って、一緒に心中したっていう男だっけ?」
「⋯⋯キモチワルイと思ってる?」
少し傷付いたような天使に、死神は静かに首を横に振った。いつだったか一方的に聞かされた天使の悲恋を思い出す。
視線を再び彼女に戻した。
「あんたが生きてた時代は同性愛って迫害の対象だったんだろ? 俺の生きてた時代は奇異の目では見られるけど、そういう人もいるって寛容になりつつあった。それが今じゃ法律も整備されて男とか女とか関係なく、好きな人と結婚できるようになった」
時代が変われば考え方も変わる。
昔ダメだったものが可能になったり、逆に自由だったものが規制されたりする。
「いいんでねえの? 次こそあんたは幸せになれる」
「性別はなるべく恋人とは被りたくないんだけど⋯⋯できたら子どももほしいし。ま、その前に出会えるかもわからないし、出会っても好き同士になれるかもわかんないだけどねぇ」
出会っても前世憶えてないなら意味ないかしらと、天使が苦笑しながら言う。
生まれ変わるのは、今よりも後。このまま医学も科学も発達したら、生まれてきた性別なんてきっと些細なことだろう。
だけど人の心はどうすることもできない。
「ユリも───生まれるのがあと何十年も先だったら。もっと幸せな人生送れたのかな」
時代が違えば、彼女と幸せな未来を生きていたのだろうか。クローンだとかサイボーグだとか、そんなこと関係なく。
勝手に身体を改造されることなく、寿命をコントロールされることなく、彼女にも人権ある未来が───
彼女の頰に手を当てる。
夜中の海風にさらされたその身体は、もう生前の温かさを感じることは出来ない。
「それは今のアタシたちにはわからない───けどあの方が良く思ってないのは確かね。残念だけど、魂がないっていうのはそういうことなのよ」
「あの方、ねぇ⋯⋯」
天使の否定的な言葉に噛み付くこともなく───死神もあの方がそういう考え方だというのは、あの研究所の爆破依頼があったときから何となく気付いていたから。
2人はしばらく波の音を聞いていたが、遠くから車や船の音が聞こえはじめた。人々の毎日の生活が始まる。
見れば空も白み始めている。
「さぁ、もう時間よ。人目に付く前に彼女とお別れしなさい。海に沈めるって約束なんでしょ? ここの海は少し沖に出れば深くなるから、そこに沈めてあげなさいな」
「⋯⋯わかった」
天使に促され、彼女を横抱きにして立ち上がる。ずっしりとした重みが死神の腕に掛かった。
『海で生まれて海に還る、ですか。なんだかいいですね、それ───羨ましいです』
『私が壊れて動かなくなったら、海に沈めてもらえませんか』
『私、海水より比重あるので沈みますよ。それに肉は深海生物のエサになるだろうし、骨格は塩分に弱い合金なので腐食も早いと思います』
彼女の言葉が死神の頭の中、蘇る。
いつかこの日が来ると思ってた。
だけどこんなに早く突然で、こんなにも苦しくて悲しいなんて。
彼女を腕に抱いた死神は砂浜を海に向かって歩き、波打ち際まで来る。さらに一歩踏み出せば、死神の足は海に沈むことなく水面を歩くことができた。砂浜から離れ、沖へ。もっともっと遠く。
死神の前を先導していた天使がピタリと止まった。
後ろを見ると、砂浜が遥か遠くに見える。
「このあたりで大丈夫よ、海に還っていけるわ」
真っ黒だった海に、少しずつ色が戻り始めた。
彼女には訪れなかった、今日という新しい日。
死神は太陽が昇ってくる水平線を見つめる。
「もう少しだけ待って欲しい───海から昇る太陽を見たいって、言ってたから」
「───わかったわ。でも本当にこれが最後だからね?」
「あぁ」
空が明るくなっていく。
水平線が、炎が走るように金色に光り、真っ赤に燃えた太陽が少しずつ顔を出す。
「見ろ、ユリ───綺麗だろ? 海に沈む太陽も真っ赤だけど、海から昇る太陽はまた違う真っ赤なんだ」
彼女のうっすらと開いたままの瞳に太陽が映る。
まるでそこに命が宿っているようで。
死神は彼女の眦にキスをした。
「───Requiem aeternam dona eis, Domine───♪」
死神と彼女から少し離れた場所で、天使が自慢の美声を披露している。生きているときは世界的有名なテノール歌手だったというのは嘘じゃないらしい。
その彼が歌うのは。
「⋯⋯鎮魂歌」
主よ、永遠の休息をかれらに与え、
たえざる光をかれらの上に照らし給え。
神よ、主への称讃をふさわしくうたうのは、シオンにおいてである。
エルサレムでは、主にいけにえをささげる。
すべての肉体の向うべき主よ。われらの祈りをききたまえ。
主よ、永遠の休息をかれらに与え、
たえざる光をかれらの上に照らし給え。
いつものナヨナヨした口調からは考えられない、腹の底から響くような歌声に、芸術には疎い死神も、心揺さぶられるとはこういうことかと思えるほど。
美しい朝日に照らされた彼女の顔を目に焼き付けながら、その歌声に耳を傾ける。
天使が一章歌い切ったところで、太陽がその姿全てを現した。
「すげーな⋯⋯〝天使の歌声〟ってこのことか」
「バカなこと言わないで───まぁ小さい頃はそう言われてたけど。でも魂のない彼女に鎮魂歌なんて皮肉にしか聞こえなかったかしら」
───天使さんすごーいっ! 心揺さぶられました!!
きっと彼女ならこう言うだろう。その姿が目に浮かぶ。
わかりやすい奴め、と死神はクスッと笑った。
「感動して涙目になってんじゃねえかな」
もう彼女の乾いた瞳には何も映っていないけれど。
笑ったり悲しんだり怒ったり。くるくると変わる彼女の表情をずっと見ていたかった。
「なぁ⋯⋯なんでユリには魂がないのに、意思とか感情があったんだと思う?」
「さぁ───アタシにはわからないわ」
「死んで身体から離れた魂は記憶とともに浄化されて、新しい身体を与えられて再びこの世に戻ってくる。だから身体はただの容れ物で魂に意思が宿ると思ってた───」
「ダメよ。それ以上はあの方の領域、考えちゃダメ」
ちらり天使を見れば、いつもの胡散臭い笑顔ではなく、静かな怒りともどかしさへの焦りの表情を浮かべている。
「ユリは放っておいてももう長くは生きられなかった───なのにアンタを使ってまで殺そうとしなければいけなかったのはどうしてだ?」
「約束よ、彼女を海に沈めなさい」
天使が質問に答えることはないだろう、もしかしたら彼もその理由なんて知らないのかもしれない。
完全に朝を迎えた今、砂浜から遠いとはいえ、人間に見つからないとは限らない。
「そうだな、もう⋯⋯お別れだ」
死神は彼女のくちびるに最後のキスをする。
乾燥して弾力が失われたそこは、数時間前、死神のことが好きだと言葉に紡いでくれた。
ずっと憶えてる───この身が亡びても、新しい身体に生まれ変わっても。
もう2度と、お前に出逢うことはないとわかっていても。
「俺の心はお前のものだ───ユリ」
ずっとお前を愛してる。
彼女をぎゅっと抱きしめる。
離ればなれにならないように。
死神は大きく息を吸うと、空を仰ぎ叫んだ。
「よぉ。天におわす神サマ───この世界の〝創造神〟とやら! 俺に言う事くらいあるだろ? ちょっと話しようぜ!!」
「あんたバカ! やめなさい!!」
〝わかった、いいよ〜!〟
天使の焦った声とともに、若いのか年老いているのか男なのか女なのかもわからない不思議な声がしたが、死神は誰なのかすぐ理解する。
その瞬間。
───死神さんっ、ダメ!!
彼女の悲痛な叫び声が聞こえたような気がして。
「ごめん、ユリ───ずっと愛してる」
そう呟いた死神の身体が淡く光る。すると彼の魂がふわり胸から抜け出して、空の彼方一直線に飛んでいった。
「教授、徹夜されたんですか?」
「うん、ちょっとね───君もかい? 無理しちゃダメだよ?」
研究機関の廊下ですれ違った部下に心配させまいと笑顔を向けたが、さすがにこの歳で徹夜はキツイな、正直なところそう思った。
双子の兄、四乃森拓也は自販機で買ったコーヒー片手に、自身の研究室の扉を開けた。
朝日に照らされた室内は、泥棒でも入ったかのように分厚い資料やら何か書き殴った紙やらが散らばっている。
全部拓也本人がしたことだ。
死神だという双子の弟、咲也と昨日の夕方40年ぶりに会った。もうすぐ機能停止する人造人間の女性を助けてほしいという。
それから一睡もせずその方法を調べ上げ、頭の中であらゆるシミュレーションをし、理論上は助かる見込み半々といったところまで考えたが。
「約束の夜明けは過ぎたよ⋯⋯君は何してるんだい?」
椅子に深く腰掛け、咲也から預かっている転移の魔法陣を手に取りに話しかける。
するとそれは一瞬光ったかと思うと、あっという間に跡形もなく消えた。
シーンと静まりかえる部屋の中。
拓也は深いため息をついた。
「そうか───君は今、死んだんだね?」
そう思った理由はわからない。
でも間違いないだろう。細胞が、魂が───自分の片割れがこの世から消えたということを感じている。
悲しいとは思わない。
昨日、久しぶりに会えて話せたことが奇跡だったのだから。
その場で目を閉じ、両手を合わせる。
「君が安らかな眠りにつけますように。願わくば、来世も君と兄弟として生まれますように」
つぅーっとひとすじ、涙が流れた。
魂を失った死神───咲也の身体は、彼女を抱えたままバシャリと海に落ちた。
ゆっくりゆっくり、2人は海に沈んでいく。
海底の砂を静かに巻き上げ、沈みきった咲也の身体の上に彼女の身体が覆いかぶさった───この人は自分のものだと、誰にも渡さないというかのように。
やがて2人の身体に海底の生物が集まり、肉がほとんどを食い尽くされると、微生物にさらに分解され、長い月日をかけて跡形もなく海へと還った。
『私、人工的に作り出されて。生まれも育ちも全部、自然に反してるんです。だからせめて死んだあとくらい自然の一部になりたい───〝海に還りたい〟』
いつだったか、彼女が言ったその願いは叶った。
お読みいただきありがとうございました。
もうすぐ終わりというところですが、体調不良です⋯⋯
明日の更新は体調によってはお休みさせてもらうかもしれません。
よろしくお願いします。




