51.迫り来る死のとき⑥
しばらく時間が流れて。
彼女を抱きしめていた死神がそっと起き上がった。
「そろそろ兄貴んところ行こう」
死神は手を握ったり開いたりして、全身に巡る魔力を確認しているようだ。
彼女はまだぼんやりする頭を何とか働かせる。
───そっか、さっき〝お兄さんのところ〟って言ってたんだ。
先ほどどこかに行くと言った死神に、なんとなく〝はい〟と答えてしまったが、きちんと聞き取れていなかったようだ。
「ごめんなさい、死神さん。他に行きたいところがあるんです⋯⋯そこへ連れてってもらえませんか?」
彼女の言葉に死神はビクッと一瞬震えると、力なく首を横に振った。
「悪いな⋯⋯他に跳ぶだけの魔力は残ってねえんだ───今日はもう兄貴のところだけにして、そこはまた今度にしようぜ?」
普段なら、死神の言うことに従っただろう。
しかし彼女は譲らなかった。
「私に〝また今度〟はないんです───お兄さんでも、もう、無理」
「───何でだよ!?」
死神がガシッと彼女の両肩を掴む。
その目は、怒っているようでもあり泣いているようでもあり。
本当に自分のことを思って言ってくれているのだろうと彼女は嬉しくて。
ふわりと微笑んで───彼女は彼に残酷な事実を告げた。
「首から下、動かないんです」
死神の目が見開かれる。
その顔を見つめながら、彼女は淡々と話す。
「もう感覚もないんです。〝自壊プログラム〟っていって───百合子の命日、死亡時刻に合わせて、この身体は壊れるようにプログラムされているんです」
「───どうして」
その〝どうして〟は、どうしてそのことを黙っていたのか、なのか、どうしてそんなプログラムが、なのか───それとも両方か。
「ごめんなさい、ずっと私の命日の記憶が曖昧で───意図的に私に知られないようにされていたみたいで。さっき思い出したんです。〝人造人間が百合子〟を越えてはいけない。いいえ、きっと父様は、同じ年齢、同じ日にち、同じ時刻に死ぬからこそ〝本物の百合子の再来〟と考えたんじゃないかと。今ならそれがわかるような気がします」
穏やかに笑う彼女とは対照的に、死神の顔色は悪くなるばかり。
「意味が、わからない」
「私もそれに何の意味があるかわからないんですけど───でも自分の身体のことはなんとなくわかります。この身体はもう〝おしまい〟なんだって」
「そんなこと⋯⋯⋯⋯頼む、兄貴んところ行こう。首から下だってまた動くようになるかもしれないじゃねえか」
死神自身、無責任なことを言っているとわかってる───だけど期待したいのだ、奇跡を信じたい、また彼女と一緒に暮らせると。
しかし彼女はホロホロと涙をこぼしながら首を横に振った。
「ここまでプログラムが進んでしまっては、もうどうすることもできません⋯⋯だったら、最期は〝人間〟として迎えたい。〝人造人間〟みたいにもう身体を弄られるのは嫌なんです」
もっと早く、兄に助けを求めていればこんなことにはならなかったのではと、後悔ばかりが死神の脳裏をよぎる。
「研究室の冷たいベッドで眠らされてワケもわからず切り刻まれて最期を迎えるより、死神さんと一緒に太陽が昇る海を見たいんです」
「海に行けばもう転移は使えない⋯⋯本当に間に合わなくなるぞ?」
「お願いします、死神さん」
「ダメだ⋯⋯まだ、諦めるなよ」
「私を海に連れてって」
「ダメだって」
「お願い、死神さん」
お互い譲らない。
しばらく沈黙が流れて───先に口を開いたのは死神だった。
はあぁあ、と深いため息をついて。
「お前⋯⋯〝死にたくない〟って、言ったじゃん」
「それは〝健康な身体だったら〟ですよ───動かない、壊れた身体じゃ死神さんに迷惑かけちゃう」
「迷惑って、そんなの今さらだろ?」
「あ、死神さんヒドイ。結構私役に立ってたと思うんですけど?」
こんなときなのに、2人でくすりと笑ってしまう───こんなにいつも通りなのに。
今度は彼女が深いため息をついた。
「仮に生き延びたとしても、この身体を維持するのはとても難しいんです。いつ壊れるかわからない、もしかしたら暴走するかもしれない───それより先に精神が崩壊するかもしれない」
「俺がいるだろ、頼れよ───初めて会ったときの図々しさはどこいった?」
「それは長くて半年だとわかってたからですよ」
「俺の寿命長いらしいから⋯⋯俺からしたら半年も50年もそんなに大差ねえよ?」
「50年って」
それは違う───そう言いそうになったが、彼女は口を噤んだ。
脳裏に天使が言った言葉が蘇る。
『任務で死にかけた死神は、アナタとあの方の契約によって生かされた。だからアナタがその契約を破棄してしまえば、あの子の魂は輪廻に戻ることなく消滅しちゃうの』
そして、彼女自身と契約したあの方の声も。
『私には魂がないらしいですが、こんな私のでいいなら残りの寿命も差し上げますから』
〝そう、じゃあがんばって。ボクを楽しませてよ───ただし、契約はしっかり守ってね?〟
自分が生き延びてしまったら。
死神は死ぬ。
それは絶対にダメだ。
せっかく生き延びられる方法があったとしても、死神が死んでしまったら生きている意味がない。
だからこれでいいんだと、彼女は自分に言い聞かせて。
「あと50年生きてたら、私もうおばあちゃんですよ?」
彼女はクスクスと笑うが、歳を取れない死神の顔が一瞬苦しそうに歪んだ。
失言したと彼女は謝ろうと口を開くが。その口から出たのは謝罪の言葉ではなく、鮮やかな血だった。
「あ⋯⋯あれ?」
「おいっ、大丈夫か!?」
拭いたくても首から下が動かない身体ではどうすることもできず、喉に流れ込んだ血で激しく咽た。
身体が、壊れていく。
死神は呼吸の荒い彼女を抱き起こし、シーツで吐血を拭き取ってやる。
「ご、ごめんなさ⋯⋯布団、汚し───え? 私、服は?」
ハラリと落ちた掛布の下、自分が裸なことに彼女は気付いた。血の気の引いていた顔が、今度はみるみる赤く染まっていく。
「な、なんで」
「あ〜悪い、さっき怪我確認するのに服脱がせた」
「⋯⋯死神さんヒドイ、恥ずかしいじゃないですか」
「恥ずかしいも何も、昨日ここで───」
お前を抱いた。
あなたに抱かれた。
夢のような時間だった。
熱を持つ肌の感触、乱れる呼吸に何度も口付けをして。
本当に現実だったのだろうか、自分の願望が見せた幻だったのではないか───
しかしお互いの顔を見て、あれは紛れもなく現実だったことを確信した。
見つめる彼女に対して、死神は気まずそうに目を逸らす。
「っていうか前に俺怪我して帰ってきたとき、お前も俺の服脱がせてたし⋯⋯おあいこだ」
「あれは不可抗力でして」
「じゃあこれも不可抗力ってことで」
死神は彼女をベッドに寝かせると、クローゼットから自分の服を取り出した。自力では動けない彼女に手こずりながらも丁寧に着せていく。
「俺の服だけど⋯⋯悪いな」
「〝彼シャツ〟なんて最高ですね」
「⋯⋯バーカ、スウェットだ」
死神は一瞬言葉に詰まると、苦々しくそう言ったが。
───〝彼〟のほうは否定しないんだ。
彼女はくすりと笑う。嬉しくて抱きつきたい気分なのに、身体は少しも動かない。
死神の優しい手つきを感じながら、半年前からの思い出を振り返る。
楽しくて、幸せで、大満足の人生だった。
後悔はない。
後悔はない、けど。
「海に連れてって⋯⋯死神さんと、もう1度デートしたい」
彼女の未練はただひとつ。
「お前は、もう、死んでもいいって言うのかよ」
「⋯⋯⋯⋯はい」
本当は、死神とずっと一緒にいたかった。
だけどそれは叶わないから。
「最期に目に写る世界が、死神さんと一緒に見る太陽が昇る海なんて⋯⋯最高じゃないですか」
ホロリ、涙を流しながら微笑む彼女を見て。
死神はため息をつくと天を仰いだ。
正当防衛だとは思う───だけど自分の両親を手に掛けた。
拒否のできない仕事だから───今まで数えられない人間の魂を刈った。
悲しいとか、つらいとか。何年経っても感じなくなるということはなく、人の死には常に負の感情が付き纏った。
だけど今死神が感じているのは。彼女を失ってしまうというという、今までと比べ物にならない恐怖。
1人になるのが怖いんじゃない。
彼女がいなくなった世界で生きていかなければならないことが、たまらなく恐ろしい。
───そんなこと、はじめからわかってた。
あの日、研究所の爆発から彼女を連れ出して、彼女の正体を知って。
それでも自分の独断で連れ出した以上、最後まで責任を持って彼女を見届けると。
だけどやっぱり、半年も一緒に暮らしていれば、情が湧く。
その〝情〟が何なのかは、もう気付いて───
「私を〝人間〟にしてくれて、ありがとうございます」
「何だよ、その言い方⋯⋯」
死神は上を向いたまま、手のひらで目を押さえる。そうしないと無様に泣いてしまいそうで。
何度も深呼吸をして、目に浮かんだ涙をやり過ごす。
はあぁああ、と息を吐き出した。
「わかった、海に行こう───死んでも忘れられない、最高の思い出にしてやるよ」
「⋯⋯ありがとう、ございます」
彼女も顔を歪ませて涙をこぼす。
その透明で美しい雫を指で拭い、死神は繊細な硝子細工を運ぶように、彼女を抱き上げる。
首から下の動かない彼女はされるがままだが、かろうじて動く頭を彼の胸に擦り付けた。
「ふふっ、お姫様抱っこ嬉しいです」
「⋯⋯バーカ」
「バカなんです、私」
「知ってる」
「もう⋯⋯相変わらずヒドイ」
くすりと2人して笑って。
死神は転移陣の前に立つと、それに魔力を流す───ふわりと光が灯ったところで、彼女の視線に気付いた。
彼女は死神の赤くなった瞳を見つめていた。
「神秘的で、海に沈む太陽みたいな赤で、本当にキレイ───海から昇る太陽は何色なんでしょうね、楽しみだな」
彼女がフフフと微笑んだところで、死神は魔法陣へと目を移し、転移先へ意識を巡らせる。
前回は彼女と海へ行くことが楽しみで正直少し浮かれていた。
今回は彼女と死に別れるために海へ行くなんて。
「行くぞ」
本当は行きたくない。
助かりたい、まだ生きていたいと言ってくれ。
今ならまだ兄のところへ助けを求めに行ける。
しかし、彼女の口から出たのは───
「はい───海に、行きましょう」
その穏やかな口調に、死神はギリリと奥歯を噛む。
空間がグニャリと歪み淡い光に包まれた、次の瞬間には数十時間ぶりの浜辺に2人は戻ってきた。




