50.迫り来る死のとき⑤
人が多い街中ではもう彼女の匂いは追えない。
強化された視覚がもたらす情報は、脳の処理能力を上回っているらしい、頭が割れそうに痛い。
聴覚もあらゆる音を拾いながら、彼女が発する声を捜す。
「ユリ! ユリ───っ!!」
体中から血を流しビルの屋上を跳ぶ死神の耳に、雑踏の中から彼女の悲鳴のような叫び声が微かに聞こえた。
「ユリっ!?」
屋上に着地して、聞こえた方角に視線を向ける。多量に押し寄せる視覚情報の中、彼女だけを捜して。
そしてようやく見つけ出した。
遥か遠く、彼女が狂ったように人混みをかき分けて走る後ろ姿。
その先には車の往来激しい幹線道路。
彼女は横断歩道の前で止まっていた少年を引き倒すと、勢いそのまま───
「バカヤロウ! 何してんだ!!」
このあと兄の場所まで空間を跳ぶだけの魔力を考えれば無理はできない。今彼女がいる場所までの長い距離を魔法陣無しの縮地で跳ぶのは初めてだ。しかし迷っている暇はない。魔力を練り無理矢理空間を捻じ曲げる。
「ユリっ!!」
目の前に迫りくる大型トラック。
立ち尽くす彼女を背後から抱きしめて。
歩道までのほんの少しの距離を跳躍すればよいだけだというのに、ガクンと膝が抜けて動かない。
「ちょ、アンタ! どうして!?」
どこからか天使の焦った声が聞こえたが、答えている暇はない。
下を見ればアスファルトから湧いて出てきた無数の黒いモヤが、死神と彼女の足に纏わりついた。
「地縛霊!!」
ここで死んだ人間の成れの果てか───やがて人のような形になったモヤは、死神と彼女を逃がすまいと、自分と同じ目に合わせてやろうというように、不気味にニヤリと笑う。
もう地縛霊を払い除けて跳ぶ時間はない。
死神がグイッと彼女と体勢を入れ替え、足に纏わりついていた地縛霊が目的は果たしたというように消えると同時。
死神と彼女は、減速なしの大型トラックに撥ねられ、激しく弾き飛ばされた。
バキバキバキッと、それが自分の身体から聞こえる音だとは信じたくないが、折れた骨が容赦なく内臓を傷付け、肉を裂く。
背負っているリュックの中、治癒の魔法陣がものすごい早さで消費されている───つまりまだ自分は死んでいないのだと、想像を絶する痛みの中、宙を舞う死神は腕の中の彼女をぎゅっと抱きしめた。
道路にグシャッと叩きつけられた死神の身体は、彼女を腕に抱いたまま、血を撒き散らしながら引き摺られるように二転三転するとようやく止まった。
治癒の魔法陣を全部使い切ったが、全回復とはいかなかったようだ。頭からは止め処なく血が流れ、堪らず口から吐き戻したものは血塗れの肉塊、足はあらぬ方向に折れ曲がり、裂けた肉から骨が覗いている。
それでも死神は起き上がると、腕の中、ぐったりとして動かない彼女に呼びかける。
「ユリ! ユリっ!!」
彼女の血塗れの顔を手で拭うが、血をさらに塗り拡げただけだった。
周りから悲鳴やらなんやら怒号が飛び交う。誰かが救急車を呼べと叫んでいるが、普通の人間ではない死神と彼女が救急車に乗るわけにもいかない。
大丈夫ですかと声を掛けられるも、これのどこが大丈夫に見えるってんだと無視をする。
ここはとりあえず場所を移動しようと、リュックの中の転移の魔法陣に意識を集中する───が、いつまで経っても発動しない。
「クソっ!!」
もう転移できるほどの魔力は残っていないらしい。使い物にならない足では、走って立ち去ることもできない。
どうすれば───回らない頭でなんとか考えようとしたとき。
周りに集まっていた野次馬1人が悲鳴をあげた。
「ねぇ! あの人カメラ写んないんだけど!!」
その声が聞こえた方を見れば、事故現場の写真か動画を撮っているのかスマホを手にした若者が、周りの人にその画面を見せていた。そしてそれを確認するかのように、何人かがスマホを手に持ちこちらに向けようとしている。
「てめぇら勝手に撮ってんじゃねぇ!!」
「きゃあぁぁあ!?」
声に魔力を込め叫べば、若者のスマホはパンッと爆ぜた。とりあえず目で確認できたその他のスマホも壊しておく。
弱っていても死神は破壊専門だ、残り少ない魔力でもスマホを壊すことくらいはできたが、今度はスマホが爆発しただの電源落ちただの、あの人の目が赤く光っただので騒いでいる。
救急車の音が近づいてくる。ぐるりと周りを野次馬で囲まれ、どうにも身動きがとれない。
死神は意識のない彼女を片手で抱き直すと、もう片手に残り少ない魔力を練り始める。こうなったら一か八か、大鎌でここにいる人間の魂を刈って───
〝ちょっとぉ⋯⋯これ以上大事にしないでくれる?〟
死神の頭に直接声が響いた。若いのか年老いているのか、男なのか女なのかもわからない不思議な声だが、死神は誰なのかすぐ理解した。
周りを見渡しながら見えない相手に怒鳴る。
「クソがぁ! どこにいやがる!? 彼女に何吹き込んだ!?」
〝まぁまぁ、この場はボクと彼で処理しておくから。とりあえず君はお家帰って落ち着いたら?〟
彼とは天使のことか、先ほど声がしたような気がした。
しかしそんなことは今の死神には関係ない。
さらに食って掛かろうとしたところで、周りの空間がグニャリと歪んだ。
〝いいね⋯⋯物語も佳境に入ったってかんじ? ついでに君の怪我は治しておいてあげるよ。まだまだ君には期待してるからね〟
「ふざけやがって!!」
この状況を楽しむかのような声に死神が言い返したときには、2人はアパートの死神の部屋に戻ってきていた。
どうやら声の主に強制的に送り返されたらしい。
彼女を抱えたまま、死神は床に崩れ落ちた。
「いってぇ⋯⋯」
痛いが先ほどまでの痛みと比べればなんてことはない。相変わらず血塗れのボロボロだが、体中からの出血は止まっており、骨が見えていた足も元通りになっている。
「───ユリ!」
慌てて彼女をベッドに寝かせて、血塗れの顔をシーツで拭う。顔を近づければ、弱々しいが呼吸も確認できた。
見える部分に大きな傷はないが、死神自身もあれだけの怪我を負ったのだ、サイボーグ化されて骨格は丈夫になっているとはいえ、彼女が無傷だとは思えない。
それにあの不思議な声の主は、死神の怪我は治すと言っていたが、彼女の怪我に対しては何も言っていなかった。
「悪い⋯⋯服、脱がす」
震える指で彼女の服に手を掛ける。
昨晩見た、彼女の裸体。
美しかった。離したくなくて───
柔らかくてなめらかな肌は、ずっと触れていたくて。夢中になってたくさんの吸い跡を残したのに。
それを隠してしまうように擦過傷や裂傷、打撲痕など多々あるが、上半身に致命的な傷はなかった。顔に付いていた血は死神のものだったのかもしれない。
続けてボトムに手を掛けると、こちらはぬちゃりと鮮血が溢れた。シーツで血を拭き取りながら出血場所を探す。大きな外傷はないが、彼女の下半身から───消化器官か女性器か、とろりとろりと出血をしている。
グッと歯を食いしばる。
外傷なら圧迫止血できるが、内部損傷はどうすることもできない。出血が大量ではないのが唯一の救いか。
彼女に掛け布団をかけてやり、深いため息をつき、どうすればいいのかと頭を抱えていると。
「うっ⋯⋯⋯⋯しにがみ、さん?」
「気付いたか!?」
がしっと彼女の肩を掴めば、焦点が合っていないのかぼんやりとした様子で、彼女は何度もまばたきをしている。
「痛みは!?」
彼女はゆっくり首を横に振る。
「ここ、死神さんの、ベッド?」
「⋯⋯よくわかったな」
「死神さんの、いい匂い───するから」
「何言ってんだバーカ」
顔色をなくした死神とは対照的に、くすりと彼女は微笑む。
死神はその彼女の頬を撫でた。
「もう少ししたら俺の兄貴んところ行こう⋯⋯再生医療の研究してて、医師免許も持ってる。すげぇ奴なんだ───きっとなんとかしてくれる」
「⋯⋯はい」
彼女が気持ちよさそうに顔を動かし、死神の手に頬ずりをする。
こんなときに兄に丸投げなんて情けないが、死神では彼女の怪我や自壊プログラムをどうすることもできない。
自身の怪我が治った今、もう少し休めば魔力もある程度回復する。
兄のところへ転移陣を使って跳ぶことが、今の死神が彼女にできる唯一だと信じて。
死神の手の感触を頬で感じながら、彼女は何度もまばたきを繰り返す。
ぼんやりとしか見えなかった視界はある程度改善されたが、いつまで経っても焦点が合わない。まるで培養槽の水の中に沈められていたときのようにずっとぼやけている。
目を凝らせば、ようやく目の前の死神の顔がなんとなくわかるようになってきた。
その彼の悲痛な面持ちを見て、彼女は自分の状態が芳しくないことを悟った。しかしもう覚悟を決めていたので、今さら悲観したり騒ぐことはしない。
頬に当てられている死神の手の心地良さにうっとりしながら、どうして気絶してたんだっけと、記憶を辿る。
今日は1日掃除をがんばって。
そうだ、オムライス作らなきゃ。確か下準備まで終わってたからあとはチキンライスを炊いて。
あれ、メッセージカードはどうしたっけ。Dearの欄に死神さんの名前を書きたくて、パソコンで死神さんの事件のことを調べてたら天使さんが来て、それで───
脳裏に眩しいライトとクラクションの音が再生される。
「───トラックの、事故」
「!」
「あの男の子は、無事でしたか?」
「男の子? お前⋯⋯事故のことどこまで覚えてる?」
死神の苦しそうな表情に、彼女は横に首を振った。
彼はどう話そうか少し悩んだようで───小さくため息をつくと、ポツリと答えた。
「誰も怪我してねえよ───お前以外」
「⋯⋯そうですか」
それは良かったですと彼女が言う前に、死神がベッドに横たわる彼女を、上半身覆いかぶさるように抱きしめた。
「助けてやれなくてごめん⋯⋯⋯⋯悪かった。怖かっただろ」
耳元でそう呟く死神の声が震えている。
彼の髪に残る、鼻を突く血の匂い。
トラックに撥ねられる直前に感じた彼の体温は幻ではなかった───治癒の魔法陣があるとはいえ、死神だって大怪我をしただろうことは予想がついた。しかし彼はそれを言うつもりはないらしい。
───謝るのは私の方なのに⋯⋯⋯ごめんなさい、死神さん。
彼女も死神を抱きしめたいが、それはもう叶わない。
ホロリと流れた涙を、彼の髪に移した。
お読みいただきありがとうございました。
毎日細々と書いて、祝・50話!!
46話の後書きで、あと残り10話くらい〜と書いておりましたが、今日投稿分以降で残り8話です。(全58話)
よろしくお願いします。




